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『日口斤凵丁口 丁凵斤丨夕丁丁生 斤凵尺生刀夕丨斤夕』
(ボクト、ツキアッテクレナイカ)
おやすみ…茜。
この文章を作るには、パソコンのほうが作りやすかったのだ。ひと仕事終えた充足感にひたりながら祐介はメーラーを落とした。丁度その時階下からとおる声で由美江が呼んだ。
「佑介―ッ、お風呂入れるわよォ」
「オーッ、いま入る」
佑介は大きく返事をして階段を降りた。
素早く着ている物を脱衣カゴに放り込むと、浴室のドアを開けて中に入り、掛け湯を2杯してどぶんと浴槽に沈んだ。白い湯気が顔に触れる。
真行寺家の大きな風呂とは較べものにならないほど粗末な風呂場だ。カビで目地が黒くなっているタイル、湿気で薄汚れた天井、気怠い光りを放つ照明器具、すべてがいつもの景色である。それだけになんとなく心が憩まった。
全身に石鹸を塗り、憑き物でも落とすかのようにタオルで躰をこする。今度は頭から湯をかぶり、汚れで泡立たないシャンプーを気にすることもなく両手の指で無心に髪を洗う。髪がふくんだ水を両手で切ったあと、タオルでひと拭いしてふたたび浴槽に身を沈めた。
浴槽の中から窓のサッシュを眺めながら佑介は思った――。
(自分はいまこうしてゆったりと風呂につかっている。果して本当にあのふたりが死んだことと、スマホに送られてきた暗号メールとの間に因果関係があったのだろうか――。ひょっとして偶然の出来事だったのではないのだろうか)
ふと、疑問が佑介の脳裡を過ぎった。
メールを送られた佑介本人からすると、ここでこうしてのんびり温もっているのが不思議でならない。自分だけが特別扱いされているような気がした。
ここにきて、警察が判断を下したのが間違いではなかったのかもしれないと思いはじめている。
いずれにしても現時点では真偽を証明する手立てはない――そんな釈然としない気持のまま風呂から上がった。
風呂から出た佑介は急に空腹感を覚え、由美江にラーメンを作るように頼む。由美江は、「こんな時間に食べて大丈夫なのか」と佑介を気づかったが、どうしても食べたいという佑介に負けてインスタントラーメンを拵えた。
佑介は座敷であぐらをかきながら、火傷しそうなくらい熱いラーメンをふうふういいつつ勢いよく啜る。湯気とゴマ油の香りでむせ返る。しかし佑介はそんなことまったく気にしなかった。スープをひと口飲んだ時、これまで何度も感じた味と暖か味が重なって、いま自分の家にいることをあらためて実感した。
あっという間にすべてを平らげた佑介は、由美江が置いてくれたお茶を急いで飲むと、由美江に「おやすみ」とひと言いって2階に上がった。
佑介の胸はいま烈しく鳴っている。先ほど茜に送ったメールの返事が気になってしかたないのだ。
怖い物見たさの心境でメーラーを立ち上げる。
あった――間違いなく受信トレーに茜からのメールが届いている。
件名は「おめでとう」だった。
佑介はその文字を見た瞬間少しほっとした。その5つの文字から自分の期待した返事が書かれているような気がした。すぐにマウスをクリックして茜からのメールを開く。
佑介、よかったネ。
あれから随分心配したよ。
もしあれっ切りになったらどうしよかと思った。
でも本当によかった。また明日学校で佑介の顔が見られるネ。
弘務にもメール送ったのかナ。彼も随分と佑介のこと心配してたから。
佑介から預かった腕時計は明日学校に持って行くからネ。
そうそう、佑介が送ってきたメールのことだけど、
わたし的な気持を素直に表現すると、
『 斤夕刀氏夕生丁生口斤凵 』
じゃあ、明日学校で……おやすみ。
佑介はメールを読み終えると、ゴロリとベッドに躰を投げ出した。
(考えておく――か)
天井を見ながら、茜らしい返事だと思った。
メールに書かれてあった茜の返事を胸の中で何度も反芻しながら目を瞑る。
どこからか金木犀の香りがそこはかとなく届いた。
(了)
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