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 授業が終わるのを待って、佑介と弘務は力強く自転車をこいで地下鉄のK駅に向かった。

行き先の異なるふたりは駅のホームで別れると、それぞれの目的地に向かって電車に乗った。

 佑介はK駅から6つ目のS駅で降りると、2ヶ月前の記憶を頼りに槙田庄司のマンションへ急ぐ。

 マンションは閑静な住宅地にあり、14階建ての3階が槙田の家である。マンションの下に佇んだ佑介は、何気なく建物を眩しげに見あげた。白い楔が天空に突き刺さっているように見えた。あそこから槙田は身を投げたんだ、そう考えた瞬間頭が小鳥の羽根が風を受けたようにふらふらとした。

 佑介は槙田庄司に家に行ったことがない。葬儀は1階の集会場だったので家まで行く必要がなかったからだ。

 不安な気持でエレベーターを待って3階まで行くと、1軒1軒表札を見ながらゆっくりと廊下を歩いた。槙田の家は11号室だった。

 大きく息を吸い込んでからおもむろにインターホンのボタンを押す。反応がない。もう一度今度は前より強く押した。ややあって母親らしき声が聞こえた。

「はい」

「あのう、佐倉といいます。庄司くんと同じ学校の生徒です」

 佑介は緊張で声を詰まらせながら伝えた。

「ちょっとお待ち下さい。いま開けますから」

 ロックを解除する金属音がしたあと、ドアが細めに開いた。覗かせた顔を見た時、瞬間佑介は頭の中で自分の母親と較べた。パーマをかけて身奇麗にした女性を目のあたりにした時、自然と普段気にすることもなく見ていた母親との隔たりがあまりにも大きいのにあらためて気がついた。

「なにか?」

 庄司の母親の上品な物言いに少々戸惑う佑介。

 瞬間頭の中が真っ白になった佑介は、ここに来る地下鉄の中でさんざん会話のシミュレーションをしてきたはずなのに、どぎまぎしながらいまさらに言葉を捜す。

「――じつは僕、東陵高の天文クラブで庄司くんと一緒だったんです。あの時は庄司くんが死んだと聞いてびっくりしました。それで天文クラブのみんなでお葬式に出たんですが、そのあとどうしても庄司くんの気持や行動が知りたくなって、それできょう突然ですがお邪魔しました」

 佑介はそれらしい口実を口にする。

「そうなんですか。ここではあれですから、どうぞ中に……」

「はい」

 佑介は薄汚れたスニーカーを丁寧に脱いで部屋に上がった。

 リビングに通された佑介はベージュ色の革のソファーにそっと腰をしずめる。人それぞれの生活環境があるのだから、所詮比較してもしょうがないと思いながらもついつい部屋中を見廻してしまう。

 こんな洒落た生活をしていた庄司が羨ましかった。しかしもう彼はこの家にいない。開け放たれたガラス戸から顔を覗かせる爽やかな秋の風が、レースのカーテンを息づかせている。光りの満ちた明るい部屋だった。

「あいにくこんなものしかありませんが……」

 母親は花柄のお盆にオレンジジュースと甘そうなショートケーキを佑介の目の前に勧めた。

「すいません」

 咽喉が渇いていた佑介は遠慮することもなく、ジュースのグラスを握りしめて一気に半分ほど飲んだ。

「佐倉くんは庄司と仲良かったの?」

 正面に腰かけて緩やかな微笑の顔で訊ねる。

「ええ、クラブでは結構――はい」

 佑介は多少の後ろめたさを抱きながら返事をする。

「それは、どうも。私も主人も庄司がどうしてあんなことをしたのかわからないんです」

 そういったあと、突然顔を曇らせた。先立った息子のことを思い出したのだろう。

「僕もそうなんです。だって、前日まで庄司くんと天文写真を見ながら話してたんです。その時には全然そんな素振りを見せなかったのに――」

 緊張しているせいか咽喉が渇いてしかたがない。佑介はジュースをもうひと口飲んだ。

「あまりおいしくないけど、よかったらケーキもどうぞ」

「はい」

 佑介はなかなか本題に入ることができないでいる。

 母親が席を立つのを見て、佑介は頭を抱えた。

(こんなはずじゃなかったのに――)

自分の中のなにかが邪魔をして、なかなか庄司のスマホのことをいい出せない。

(ここに来た目的はあのメールの内容を知ることにある。どうしたらいいのだろう――)

 母親がキッチンから戻って来た。温かいお茶を前に置きながら、「よかったら、庄司にお線香を上げてくれない?」と、遠慮がちにいった。

「はい。そのつもりで来ました」

 母親はリビングのすぐ隣りにある6帖の和室に案内した。和室の隅には黒檀の小ぢんまりとした仏壇が据えられてあった。佑介は数日前の墓参りを思い出しながら経机のロウソクに火をともし、その火を線香に移したあと、顔の前で強く手を合わせた。

 仏壇の中には庄司の笑顔の写真が、葉書大の写真立てに納まっていた。

(ひょっとして、オレも間もなくこうなるのだろうか)

 明日は我が身かも、と焦燥の混じった神妙な顔で庄司の写真を見ていた時、写真立てに隠れるようにしてシルバー色のスマホが眼に入った。

「あのう、あれって、庄司くんのスマホでしょうか?」

 佑介は指差しながら背中の母親に振り向いて訊いた。

「そうよ。あの子、スマホが好きで、いつもスマホをいじってたの。ひどい時には食事の時も覗いているから、取り上げてベランダに棄てたことがあるのよ」

「見せてもらっていいですか?」

「どうぞ。でもずっと置きっ放しだから、電池は切れてるのと違うかしら。そうそう、ちょっと待ってよ、どこかに充電器があったはずだから」

 母親は仏壇のスマホを佑介に手渡すと、そのまま部屋を出て行った。佑介はスマホの電源を押したが、当然のことに画面は真っ黒のままだった。

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