7 9月20日・火曜日
4
9月20日・火曜日
佐倉佑介は昨日と違って、朝食をちゃんと摂って元気よく登校した。正直なところ、佑介はほとんど寝ていない。いや、眠れなかったといったほうがあたっている。しかし、あまり睡眠不足の憮然とした顔で母親と顔を合わせると、またいらん 心配をかけそうなので虚勢を張って家を出たのだ。
佑介は教室に入るなり、田倉弘務の姿をさがした。ぐるりと教室中を見廻したがどこにもいない。近くにいた女子に訊ねてみる。「知らない」とそっけない返事が返ってくる。
ひょっとして、昨日のことが原因で具合でも悪くなったのと違うだろうか――最悪の事態がフラッシュライトのように脳裡を掠める。
その時、屈託のない大きな声で話しながら教室に入ってくる弘務の姿が目に入った。
「おーい、弘務ゥ」
佑介は口の横に手をかざして呼んだ。
「ゥイッス。佑介、どうかしたのか?」
佑介は弘務の返事が信じられなかった。頼りにしていた友は、昨日のことを忘れてしまったのだろうかと思うくらい悠然としている。少し腹が立ってきた。
「なんでもないよ」
佑介は、唇を結んで椅子に腰を降ろし、授業の用意をはじめた。
「なにすねた顔してんだよォ。ひょっとしてオレの姿が見えないんで、寂しくて捜してたんじゃないのか?」
机の横に来て茶化したようにいう。
「そんなんじゃない」
佑介は、弘務の態度を腹にすえかねて視線を合わそうとしない。
(もうこんなやつなんか絶対頼りにしない、なにがなんでも自分ひとりで暗号を解読してやる。もし解読できなかったとしても自分が死ねばいいことだ)
ひとの気持をないがしろにする弘務の態度に、佑介は自暴自棄になっていた。
「あっそうそう、昨日の暗号のことなんだけどォ……」
弘務はあたりを一瞥したあと急に声をひそめていった。
「ん?」
佑介は意味がわからなくなってしまった。
あらためて顔色を変えたまま弘務を見た時、担任の安永先生が教室に入って来た。結局話が尻切れトンボになってしまい、肝心なその先を聞くことができなかった。
安永先生が簡単な連絡事項を伝えて教室を出ると、入れ替わるようにして今度は田中先生が入って来た。
1時限目は数学である。なぜか数学の時間になると教室が水を打ったように静かになる。授業がはじまり田中先生がぼそぼそと積分の説明に入っているが、佑介は弘務のいいかけた言葉がひどく気になって先生のいっていることがまったく耳に入ってこない。
授業終了のチャイムが鳴り響いた時、クラス全員が時間中ずっと息を詰めていたかのような重い吐息が一斉に洩れた。
嬌声を上げながら廊下をバタバタと走る女子。
教室の後ろで格闘技の真似事をして喜んでいる男子。
窓際では3、4人の女子がかたまって大きな笑い声を立てながら話を弾ませている。
佑介は行きたかったトイレを後廻しにして、弘務の席に駆け寄り、
「さっきいいかけたことって、なんだよ」
と、腹を立てていたのもすっかり忘れ、いまは懇願するように弘務の顔を見る。
「いい方法が見つかったんだ」
弘務は目を大きくしてすごく自信のある言い方をした。
「それって、暗号が解読できたということか?」
佑介の口元に自然と微笑が浮かんでいる。
「ちがうよ。頭のいいおまえに解読できないのに、このオレがそんなに簡単に解けるわけないだろ。そうじゃなくて、助っ人を頼もうと思って……」
弘務は解読できたわけでもないのに、ボタンがちぎれ跳びそうなくらい胸を張っていう。
「助っ人? 助っ人って誰?」
「篠塚――
篠塚茜は成績もよく、明るく積極的な性格で、学級委員の他にテニス部のキャプテンをやっている。なにより、茜も佑介たちと中学が同じだけにクラスの中でも取り分け佑介たちと仲がいい。課外授業の時に一緒に行動したり、たまには3人でランチを摂ったりすることもある。
「えッ! 茜?」
佑介は意外だという顔を見せる。
「そう、彼女だったら口が堅いから他の連中に話すようなことはないし、それになんたってオレよりも数段頭の回転がいい。こんないい人材をみすみす逃すことはないだろ?」
弘務は右手の人差し指を垂直に立てながらいう。
「ま、まあそうだけど――でも、彼女自身がその気になってくれるだろうか?」
「そいつはここでオレたちが心配してもはじまらないことだ。彼女に直接聞いてみよう」
弘務は踵を返すと、篠塚茜を捜しに教室を跳び出して行った。
佑介がトイレから戻って来ると、弘務は指で丸を拵えて彼女が承諾したことを報せ、ランチを食べながら話す段取りにした、とつけ加えた。
3人の仲がいいのにはこんなエピソードがある。
中学校3年の時、3人はたまたま同じB組に編入された。運動の苦手な佑介は理科クラブに所属し、躰を動かすのが得意な弘務は水泳部に入っていた。文武両道の茜は、いまと同じテニス部で頑張っていた。
3人は以前から仲よかったのだが、さらに友情を深めたのは、夏休みに入って間もない頃だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます