第1章 メール着信  9月18日・日曜日

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 9月18日・日曜日

 墓参りのあと、おきまりの『天狗屋』で家族揃って少し早めの夕飯をすませ、家に戻ってからずっと机に向かっていた佑介はいささか疲れを覚え、外の新しい空気が吸いたくなって窓を細めに開ける。

 いつの間にかあの狂った夏の気配は跡形もなく消え去り、この頃ではひんやりとした夜気があたりを支配するまでようになった。見上げる夜空には、すべてを忘れさせてくらい神秘的なコバルトの絹布の中で、数えられるほどの星が微かに明滅していた。

 佑介は二、三度大きく深呼吸したあと、高校の入学祝いに叔父からプレゼントされたG・SHOCKに目をやる。電波受信機能とタフソーラーを搭載した最新モデルだ。随分と気に入っている時計だった。

 腕時計は21:50を指していた。

 普通なら中間テストが終わってゆっくりしたいところなのに、佑介が時間を惜しんで受験勉強をするには大きな理由があった。


 2年前の秋――佑介が必死で高校の受験勉強に取り組んでいた時のことである。

突然の報せは家中を震撼させた。父親の佐倉雄三が交通事故で亡くなったのだ。原因は対向車の飲酒運転によるセンターライン越えだった。

 その日、夕方から出かけた父・雄三は、3時間ほどで用事をすませると、近道をするのに国道から脇道に入り、慣れない道を家に向かって車を走らせていた。

あと少しで家だという時、雄三はスピードを出して走って来る対向車に気がついた。危険を感じて慌てて路肩に寄せようとしたが、時すでに遅く、雄三の車は見るも無残なほど大破した。

 45歳で他界した父親の死は、あまりにも早過ぎた。

 突然の訃報に、母の由美江、佑介、それに中学1年になる妹の典子の3人が、やり場のない憤りと悲しみに打ちひしがれ、泪に暮れる日が続いた。

 家中のすべての電気が消えたような沈鬱な日々の中で、母親の由美江は悲しさをこらえて気丈に振舞おうと努力をしたけれど、逆にそれが悲しい表情となって現れてしまった。

 そんな母親の姿を見た佑介は、あまりの悔しさに加害者に復讐したいという衝動に駆られたことは一再ではなかった。


 佑介の家は、N市東区にあるアズマ商店街の中ほどでささやかに自転車屋を営んでいる。木造2階建てで店舗面積は15坪ほどの小さな店だ。店の奥に8帖の和室と台所、トイレ、浴室がある。2階は6帖の和室が3つあり、いまでは表通りに面した部屋を佑介が使い、次が妹の典子、いちばん西を母親が使っている。

 祖父の代に『佐倉自転車店』としてはじめた自転車屋は、そこそこ景気のいい時期があったにはあったのだが、自動車産業が伸びはじめるとそれに圧されるようにして売れ行きが顕著に落ちこんでいった

 先行きを憂慮した2代目の雄三は、決断して公的機関からの融資を受け、屋号を「サイクルショップ・サクラ」と変え、昔からあった町工場のようなイメージから洒落た雰囲気の店に一新した。

 雄三の決断が功を奏したのか、徐々にリピーターも増え、余裕のある経営状態とはいえなかったが、なんとか家族4人が暮らせる程度の収入はあった。

 ところが、突然一家の大黒柱がいなくなってしまった。生前かけていた生命保険の保険金を受け取ったものの、わずかな金に安穏としているわけにはいかない。これから佑介と典子の高校・大学と物入りが続くのだ。

 やむなく由美江は夫の遺した店を継ぐことにした。ところが由美江には、見よう見まねで覚えたパンクの修理や外れたチェーンの掛け直し、それと簡単な部品交換くらいしかできない。複雑な修理が舞い込んだ折には、懇意にしている同業者に頼むようにしながら店を続けた。

 ひとつ屋根の下に生活していれば家計の様子くらいわざわざ聞かなくてもわかる。ある日、佑介は常々胸にあった大学進学への煩悶を母親に話すと、母親は間髪をいれずに大学進学を強制した。男はこの先を考えたら大学くらい出てないと出世できない、それに大学を出ることは父親の希みでもある、と足した。

 確かに生前父親はことあるごとに、「父さんは高校しか出てないから、おまえは一生懸命勉強して、いい大学を卒業してくれよ」と、口酸っぱくいっていた。

 母親の薄っすら泪を浮かべた目と、油で黒く汚れた爪先を見るとそれ以上のことはいえなかった。以来、佑介は家の経済状態からして自分自身に国公立の大学入学を課し、ひたすらそれに向かって努力している。


 きょう日曜日は前々からお彼岸の墓参りをすることに決まっていた。ところが由美江に急用ができて家を空けたため、家族揃って墓に向かったのは午後からだった。

 墓は、家から徒歩で20分ほどの場所にある庚安寺・本堂の裏手に先祖代々の墓石としてある。

 庚安寺は慶安2年(1649)に建立された由緒ある寺で、檀家の数も少なくない。山門をくぐると、正面が本堂になっていて、右手に石段のついた鐘楼がある。 左手には樹齢300年の菩提樹があり、寺の敷地にはクヌギや銀杏、白梅・紅梅など四季を感じさせる樹木が配されている。

 途中の生花店でお供え用の花を買い、寺で手桶と柄杓を借りる。供花を対の花立てに活け、墓を奇麗に掃除して僧侶を待った。

 線香の煙が立ち込める中で読経がはじまる。いくら10月に近くなったとはいえ、まだこの時期炎天下に立ち続けるのはさすがにこたえた。佑介は咽喉を押し潰して発する僧侶の声を聞いた瞬間、ふと小学生の頃に父親と一緒に寺の境内で蝉捕りをした光景が重なって思い出された。


 無事墓参りをすませたあと、

「天狗屋でなにかおいしいもんでも食べて帰ろうか?」

 由美江は典子の顔に微笑みながらいった。

 天狗屋はお寺の近くにある古くからの洋食屋で、お寺に来ると必ずといっていいほどこの店に顔を覗かせる。佐倉家ではお寺に行くということは、天狗屋に行くということでもあった。天狗屋はどこにでもある場末の洋食屋だが、家族のささやかな楽しみのひとつでもあった。

 店では佑介はポークステーキ、典子はクリームコロッケ、そして由美江はエビフライの定食と、いつも食べるものは決まっている。

「たまには違ったものにしたら?」

 由美江は、子供たちに違ったものを食べさせたいと思う。

「そうだなァ、きょうはハンバーグ定食にしてみようかな。ノリ、おまえなににする?」

 メニューから目を離して妹を見る。

「うーん、魚フライ定食にしようかな。でもクリームコロッケも捨てがたいし……。お母さんは?」

 典子は散々悩んだあげく、決めかねて母親に振った。

「お母さんは、いつものでいい」

たまには違うものを食べようといって、3人してメニューとにらめっこをしたのだが、結局注文したのはいつもと同じものになった。そして注文を終えると、お互いに顔を見合わせて笑った。

 佑介にしてみれば、家族揃っての睦まやかな外食ということについては特別なこととして考えたことはない。以前から、ずっと日頃の生活の延長線上にあるものだとしか思っていなかった。

あの忌々しいメールが自分に届くまでは――。

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