第二章

第二章

「ええ。」

と、鬼頭輝美は呟いた。

「久保誠一、生徒の名は、久保誠一です。」

「そうか。なるほどな。」

と、杉三は、言った。

「でも、もう遅いぜ。久保君なら、今頃池本クリニックで保護されているさ。アヴェロンの野生児みたいな姿になって、病院の先生に再度教育をしてもらうことになるだろう。こないだ、カフェのおかみさんが、がりがりになった奴を発見して、病院に連れて行った。もう五貫程度しかない、それくらい悲惨な姿でな。持っていた生徒手帳で、岳陽高校だとわかったが、学校の先生が、今時になって、たずねてきたのか。まったく、学校の先生ってのは、なんでそんなに動きが鈍いんだろうね!」

「そうなの?」

「そうなのじゃないよ!かなり世間を騒がせて、大変なことになったようだけど、先生、何も知らないんだな。ちょっと恥ずかしいよ。」

「ごめんなさい。私、富士に住んでいないものだから、その辺りのことはあまりわからなくて。」

輝美がそういうと、杉三は、あーあ、という顔をして、またからからと笑った。

「そんな言い訳すんな。とにかく今は、大騒ぎだよ。あの、アヴェロンの野生児のことでね。」

「本当にそうなの?久保君が、そうなってしまったこと。」

「うん。その通り。いま病院で寝てるけどな。其れよりも、なんでお前さんたちは、あいつがアヴェロンの野生児と化すまで放置していたんだ!ほんと、それが腹が立つんだよ!」

輝美の発言に、杉三は語勢を強くして言った。

「本当にさ、何で学校の先生は、そういう肝心な時に、なんで何も手を出さないで、放置しておくことができるんだかねえ。それが不思議でしょうがないよ、僕は。生徒がおかしくなったって、なんとも思わないのか?本当に、反応が鈍いというか、何も見えないというか、目の玉はどこにあるのかと思うんだが、、、。」

「本当にそうね。」

輝美は、それを突かれて、本当にそうだと思って、杉三に言った。

「ごめんなさい。ほんと、申し訳ないことをしたわ。」

「申し訳ないのは、僕じゃないよ。久保君だよ。久保君に謝罪してくれ。」

杉三にまた言われて、さらに輝美は小さくなる。

「つまりこれから久保君のお宅に行っても、親御さんたちは仕事にいってしまっているのかしら?」

「うーん、そこがわからないところでな。」

と、また杉三は言った。

「なんだか、華岡さんの話だと、生徒手帳に書いてあった住所に行ってみたんだが家はもぬけの殻になっているそうだ。」

つまり、行方不明になっているという事である。

「それじゃあ、あたしたちは、、、。」

「ま、要は手も足も出ないってことだな。」

輝美は泣きたくなった。

「まあ、泣かずによ。これからできることを探してくれればいいのさ。もう、放置しすぎていたことをしっかり反省してな。」

杉三は、輝美に言った。そうか、それがあったか、と、輝美はそう考えなおす。

「そうね。その通りかもしれない。」

「かもしれないじゃないの!そうしなきゃいけないのさ。学問を教えてればいいのかっていうと、そういう訳ではないぞ!」

「そうね。じゃあ、私、これからどうしたら?」

輝美は、がっかりと肩を落とす。

「そうだな。僕もさ、事件のことが本当にどういうメカニズムで起きたのか、よくわからないからさ、すごく気になるんだ。一緒に調べてみない?」

不意に杉三がそんなことをいいだした。

「それが、たぶん、今までの償いになるんじゃないのか?」

そうだね、其れしかたぶんないだろうな、と輝美は思い直した。

「じゃあ、あたし、そうするわ。一緒にやっていきましょう。あたしは、特にクラスを持っているわけでも無いけれど、一応岳陽高校教師の鬼頭輝美です。あなたは、」

「僕か。僕は影山杉三だ。杉ちゃんって呼んでね。」

「よろしく。」

二人は、顔を合わせて、敬礼しあった。

と、そこへ杉三のスマートフォンが鳴った。

「えーと、この赤いボタンを押せば、出られるんだよな。よし。」

と、急いで、電話アプリを操作して、

「はいはい、もしもし。あ、華岡さん。え?久保誠一の母親が?あ、そう。わかった。それでは、あとは彼女が何をどう吐くかだなあ。」

杉三は、電話を切った。

「あ、あのね、久保誠一の母親、久保兼子が捕まったらしい。なんでも、久保君にご飯くれないで、死なせようとしたらしい。ただ、その理由はどうしてもわからないとか。」

「久保君のお母さんが、、、。」

輝美はおどろくというよりも、呆然としてしまった。

「とりあえず、バラ公園のカフェにでも行こう。」

と、杉三は、彼女をバラ公園まで連れて行き、公園のなかにある、例のカフェに、輝美を入らせた。マスターがメニューを持ってきてくれて、輝美は、コーヒーを一杯注文した。杉三も続いてコーヒーを頼んだ。

「もうちょっと詳しく教えてよ。久保誠一という生徒は、どんな人物だったんだ?」

「ええ特によくできたというわけではなかったけど、宿題もちゃんとやって、まじめな生徒でしたよ。」

「そうなのか、平たく言えば、平凡な子だったんだな。」

「ええ。ただ、お宅があまり裕福ではなかったから、大学へは進学しないで、地元の工場で働くって言ってました。でも、夏休みが終わった後かしら。急に学校へ来なくなって。」

其れから、半年間学校へ来なくなってしまったという事である。

「何だろう。体のバランスでも崩したのかな?」

杉三は、頭を傾けて言った。

「それは分からないんだけど、私が見たときは、何か悩んでいるような雰囲気だったわよ。」

「その時点で気が付かなきゃ、本当はだめだぜ。今の事、華岡さんに伝えてもいいかなあ?なんだか情報がなくて、悩んでいるみたいだったからさ。」

杉三に言われて、輝美は、ええ、お願いします、と杉三にお願いした。


一方、華岡は。

「うーんどうしてかなあ。なんでそんなに、黙ったままなんだろう。逮捕したにはいいものの、動機が見えてこない。何か言ったらどうですか!」

取調室で、一生懸命取り調べをしても、それでも久保誠一の母親久保兼子はなにも言わないのだった。

久保兼子の経歴については、部下の者からの説明によると、誠一の進学先を巡って、夫と離婚し、現在は誠一と二人で暮らしているようだが、職業は介護商売をしていた模様である。誠一も、その母親を理解して、よりよい学生になれるように、頑張っていたようで、特に異常性は認められない。今の

時代の家庭であれば、よくある家庭であった。

「一体どうして、息子さんをあんなふうに追い詰めたりしたんですか?それほど、誠一君は邪魔だったのでしょうか?」

華岡はそう聞いたがそれでも、久保兼子は黙ったままだった。結構綺麗な女性じゃないかと、思われるほど、かなり整った顔立ちをしている。ただ、それに惑わされて、結構な数の男性が騙されてしまいそうな女性だった。

「あのですね。久保さん。」

華岡は、そうもう一度聞くが、いまだに反応はない。

「警視、時間ですよ。取り調べ時間は、そこまでですよ。」

部下の刑事に言われて、華岡は、もう日が落ちてしまったことを気が付く。

「あんまり長時間取り調べを続けると、また誘導尋問したんじゃないかって、お咎めが来ちゃうじゃありませんか。それは絶対嫌だって、おっしゃっていたでしょう?」

「そうだっけねエ。」

華岡はぼそっといった。

「それでは、本日の取り調べはここまでにします。また明日、続きをやりましょう。」

と、しぶしぶ華岡は、椅子から立ち上がって、取調室を出た。彼女、久保兼子の身柄は別の刑事が留置所に連れて行ったが、華岡はその背中を、困った顔で見つめていた。


「じゃあ、とりあえず、久保君に会いに行ってみたいのだけど。」

コーヒーを飲み終わった輝美は、杉三に言った。

「ウーン、それはやめた方がいいと思うぞ。すごいがりがりに痩せちゃって、大変らしいから、やめた方がいい。」

杉三は、そういったが、輝美はどうしても会いにいきたいのだと言った。たぶん教師の私なら、すぐにわかるだろうからと。

「わかった。じゃあ、行ってみるか?」

杉三がそういうと、

「ぜひ行ってきてやってよ。あの子、誰にも会えなくて、寂しい思いをしているんじゃないのかい?」

カフェのおかみさんが、そう口を挟んだため、それでは行ってみるかという事になった。二人は、カフェにお金を払うと、池本クリニックまで歩いて行った。

池本クリニックは、このバラ公園から比較的近く、すぐに歩いていくことができた。時折、この公園に患者が散歩に来ることも多いという。

杉三が受付に言って、久保誠一君はいますか?と聞くと、

「それが、ちょっと大変なことになっていまして。」

と、受付係が言った。

「はあ、何だどうしたの?」

「ご面会はできない事になっています。」

「へえ、なんで?せっかく学校の先生が会いたいって言ってきてくれたのにさ?」

「ええ、そうなんですが、今ちょっと、特殊な治療をやっておりまして。」

「はあ、なんだそれ?教えろよ。僕が答えを聞くまで下がらない奴なの、知っているでしょ?」

「もう、そうなったら教えるしかないですね。杉様。それじゃあ、お伝えします。久保さんは、意識はありますが、人を極端に怖がる様になってしまったので、今、家族以外の方の面会は差し控えていただいております。」

受付係は、そう閉口しながら言った。普通の人なら、こういわれればそうなのかと納得するところだろうが、杉三はというとこうである。

「はあ、なるほどね。ですけど、お前さんたちのやり方は間違えてるぜ。あの少年をやった犯人は母親だろ?それだけが面会出来て、ほかのやつらがだめってのは、おかしなところだよなあ?家族が犯人だって、はっきりわかっているのに、なんで犯人としか面会させてくれないんだ?」

「でも、ほかにもいるじゃありませんか。父親とか、兄弟とか。」

受付係がそういうと、杉三は、輝美に、久保君の家族関係を言ってみろ、と言った。輝美が、とりあえず、母親と二人暮らしで、父は不在と言うと、杉三は、これでどうだ!と笑って言った。

「はい、そうでしたね。ごめんなさい。でも、本当に、、、受付の立場の私でもわかります。久保君は、今非常に哀れで、なるべくなら人に会わせないであげたほうがいいのではないかって。」

「そうかあ、じゃあ、とにかく現在の状況を教えてよ。」

「ええ、院長先生のおはなしによりますと、長期間何も食べていなかったらしくて、あばら骨の筋肉が全然ないほどやせてしまっていたようです。言葉も、ほとんど発しません。言葉を本当に失ったのか、其れとも、あえて話さないのか、それはわからないと、先生はおっしゃっていましたが、いずれにしてもひどい状態なのだとおっしゃっていました。」

「そうですか、、、。」

輝美は、やっぱり来るのが遅かったなあ、、、と感じてしまった。どうして、そうなるまで、周りの人も放っておいたのだろう?それほど酷くなったのなら、なぜ、手を出さなかったのだろうか?

とりあえず、今日は、面会は出来ないとして、引き下がることにした。

「なんだか、申し訳ない気持ちになっちゃったわ。」

道路を歩きながら、輝美は言った。

「あたし、教師のくせに、こんなこともできなくて、何をしていたんでしょうね。久保君がこんなひどい状態だったと何も知らなかった何て。生徒を、なんとかするのが、教師なのにね。」

「本当か?それ、上っ面だろ?」

杉三はいたずらっぽく言った。

「え?」

「学校の先生ってのはさ、生徒を守るというのは、ただの名目で、本当は、自分を守っているんだよな。だから、僕は嫌いなんだよ。学校の先生は!」

「そうよね、、、。」

輝美は、いわれてしまったな、と思いながら、杉三の顔を見た。

「学校の先生ほど役に立たないものはない!と言っても過言ではないんじゃないの?」

「そうね。」

杉三に言われて、輝美はもう学校の先生は、役に立たないとは言われないようにしようと思った。

「わかった。あたしももう少し、この久保君の事件を調べてみる。」

「よし、それでよろしく頼もうぜ。久保君という生徒がどんな奴だったか、調べてみような。」

「うん!あたしも頑張ってみるから!しっかりやろう!とりあえず、私、久保君の生活環境について、もうちょっと、頑張って調べてみるわ。ありがとうね。あたしを刺激してくれて。」

輝美は、何か吹っ切れたように言った。

「まあ、僕が言うことは、バカの一つ覚えだぞ。それは、忘れないでね!馬鹿の一つ覚えが公に報道されるようになったら、其れこそ、おしまいだぞ。」

「ええ!わかっています。そうならないようにしなきゃいけませんね。」

二人は、にこやかに笑いあった。


製鉄所で寝ていた水穂の下に、華岡がやってきた。ものすごい疲れた顔をしている。

「おーい、一寸聞いてくれよ。俺、もうどうしようもなくてさあ。」

と、華岡は、頭をかじりながら、四畳半にやってくる。水穂は、布団から起きて、布団のうえに座った。

「どうしたんですか。華岡さん。」

「お前も知っているか?久保兼子が逮捕されたの。」

華岡は、そう言い出した。

「あ、はい。タブレットのニュースで見ました。」

水穂は、何を言い出すんだという顔で華岡を見た。

「その久保兼子の取り調べを今しているんだが。久保兼子。」

「はあ、そうですか、、、。」

と、少しばかりせき込みながら、華岡の話を聞いた。

「その久保兼子なんだが、こっちの話を聞いているかどうかまるで分らんのだ。ちっとも、発言しない。もう、石みたいに、硬くなって、何も話さないんだよ。あの、息子を殺しそうになった、動機も何もわからない、、、。」

「話さないんじゃなくて、話したくないんだと思いますよ。華岡さん。」

水穂は、静かに言った。

「誰でも、いいたくない事情が、有るじゃないですか。」

「うーん、でもさ、同和問題とは違うぞ。それに久保兼子は、そういう事情があったわけではないんだけどなあ。彼女の、経歴を調べても、父も母もちゃんといるし、暴力団に育てられたとか、そういう経歴ではない。」

華岡は腕組をして考え込んだ。

「華岡さん、かえって今は、親がいるほうが、負担は増すのかもしれませんよ。彼女が、どんな育てられ方をしてきたのかとか、もうちょっと詳しく調べないと。」

「あーそうか。すまんすまん。俺は何をやっていたんだろう。全く、一生懸命、被疑者とにらめっこしても、答えが出てこないときは、その周りを洗ってみるもんだよな。」

華岡は、頭をかじって、そんなことをいった。


輝美は、生徒個表を開いて、久保君の家族構成について調べていた。たしかに、久保君は、母親久保兼子と二人暮らしだ。それははっきりしている。久保君の住んでいるマンションは、学校から少し遠方にある、高層マンション。母は、介護施設で働いていた。

ただ、生徒個表は生徒個表であっても、所詮はただの紙切れ。それ以外なにも教えてくれなかった。それでは、何もわから無いので、輝美は、明日、久保君の母の職場に行ってみることにした。

その久保兼子が働いていた老人ホームは、非常に高級なところで、小さな病院のような場所だった。

でも、中で暮らしているお年寄りたちは、楽しそうだとは思えないし、ゲームをして居ても、歌を歌っても、やらされているような顔をしている。

「すみません。あの、久保さんのことで聞きたいいことがあるんですけど。」

輝美は、職員の一人に聞くと、職員は、なんだという顔をした。輝美は、息子の久保誠一君の担任教師だというと、こちらへ来てくれといって、施設長の部屋に通された。

「あ、今日は。あのわたくし、久保兼子さんのことで聞きたいことがあるのですが。」

施設長は嫌そうな顔をした。

「あの、どうしても知りたいことがあるんです。教えてくれませんか?」

「何ですか。」

施設長はぶっきらぼうな声でそういった。

「ええ、久保さんは、ここで働いていたのですが。」

「はい。」

「とにかくできの悪い人でした。介護の仕事をしていたというのは、たぶんきっと金が欲しかっただけの事でしょう。全く、あんな高層マンションまで与えてもらって、親にああしていろんなものを買ってもらって、どこまで甘えているのか、見当がつきません。久保さんは、そういう人です。ですから私たちも、出来の悪い人として、本当に、放置しておきました。あとは、仕事なんて適当に覚えておいてくれればいい。何もトラブルさえ起こさなかったら、それでいいと、その程度に私たちは考えていました。」

そんなに、久保兼子さんは、出来が悪い女性だっただろうか。

「ええ、仕事だって、本当に、できの悪い人でした。きっと久保さんは、お嬢さん育ちで、気性が荒っぽくて、お年寄りに接する方法もまるで知らなかったんですよ。だから、仕事だってできなかったんです。それでは、いてもいなくても、いい存在だ。そんなわけで、誰も、彼女には話しかけませんでした。仕事仲間らしき者も、誰もいませんでしたよ。」

「そうなんですか。では、久保さんは、ずっと、職場で独りぼっち。」

「ええ、でも、辛かったでしょうね。岳陽高校という、すごいエリート学校へ息子さんをやって、ただでさえ、高い学費を払うために、この職場に来なくちゃいけなかったんですから。ほかの職員が見ているんですよ。学校の先生と、楽しそうに話している、岳陽高校の制服を着た、息子さんをね。あれでは、お母さんは働かなければならなかったでしょうね。それは、本当につらかったと思います。」

輝美は、施設長の話が、本当に冷たいというか、なぜ、ここで働いていた従業員のはずなのに、もう少し大事にしてやれないというか、そんな気持ちが残った。なんで、こんなに無関心で、ごみのような感じで、話しているのだろう、、、?

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