サスペンス篇2、金魚
増田朋美
第一章
金魚
第一章
「今日は、比較的暖かいなあ。きっと食い物も、のんびりしていて、おいしいぞ。」
公園のカフェスペースの中で、杉三は、そんなことをいった。
「本当に、食べものには目がないんだね、杉ちゃんは。」
水穂は、一寸あきれた顔をして、杉三に言う。
「もう、本当はな。お前さんのほうが、食べないとダメなんだよ。そんながりがりでは、やっていけないよ。」
逆に杉三にからかわれて、水穂の方が、がっかりしてしまう始末である。
「何でまたそんなこと。」
「もう水穂ちゃん、まさしく言う通り、ここに来たからには、一杯食べてもらいたいです。もちろん肉魚いっさい抜きで料理を作るからよ!」
杉三のでかい声を聞きつけたマスターが、水穂にそんなことをいってからかった。
「じゃあ、お二人とも、ご注文は?」
「あえーと、僕は、ステーキセット。」
「僕は、、、。」
注文を決めるのに水穂は少しまよってしまう。
「ああ、わかっております。それでは、肉魚一切抜きで作っておきます。おかゆ定食みたいなものをつくっておきます。じゃあ、ご注文を確認するけど、杉ちゃんはステーキセットで、水穂ちゃんにおかゆ定食。よし、これで決まりと。それでは行ってきます。暫くお待ちください。」
にこやかに話していたマスターは、厨房に戻っていった。
と、そこへ。
「あれれ、誰かが店の前を通ったみたいですよ。音がする。」
不意に水穂が、そう声を上げた。杉三は、お茶をがぶ飲みしていたが、
「どうしたの?」
と、声をかける。
「いや、人が通った音がして、、、。」
「へ、そんな音は何もしないよ。勘違いだけではないの?」
「いや、確かに聞こえたと思う。」
二人がそんなことをいっていると、カフェのおかみさんが、いきなりカフェのドアをバタンと開けて、
「一寸あんた!何か食べさせてやって!この子、大変なことになってる!」
と、いいながら飛び込んできた。
「へえ、どうしたんだろう?」
と、思ったら、おかみさんの背中には、一人の少年が乗っている。
しかも少年は、たいへん痩せていて、
「なんだ、水穂さんと変わらないじゃないか。」
と、いわれるくらい痩せていた。
「と、とにかくたいへんだよ!何か食べさせてやって!」
「ああ、ああ、わかったから、ちょっと待ってくれや。今お客さんのをつくっているんだからな!」
女将さんは、少年をとりあえずソファー席に寝かせた。
「あの、僕たちのご飯は後でいいですから、先に彼に何か食わしてやってください!」
杉三が、マスターにでかい声で言ったので、マスターは、急いでコーンスープを出してやった。
「わかったわかった。ほらどうぞ。」
女将さんが、ほら、と、彼の口元に、茶碗を近づけると、彼はものすごい勢いで、それを飲んだ。
「まるで、何十日も、食べてない見たいだな。」
杉三が、思わず呟くほど、ものすごい勢いだった。
「ほら、ご飯だ。食べろ。」
マスターがご飯を持ってくると、少年はぎょっとして、ご飯を見つめた。
「何をそんなに怖がっているんだ?だって、食べていいだろう?」
と、激しく首を振って、断る少年。
「どうして食べんのか?」
杉三がそう問いかけると、少年は、涙をこぼして泣き出した。
「おい、誰でも飯を食べる権利はあるんだ。泣かないで食べろよ。」
「杉ちゃん、もしかしたら、何かうえつけられているのかもしれない。」
水穂が静かに言った。
「植え付け?」
「まあとにかく、ここまで、弱ってしまっているんだから、とにかく病院まで連れて行ってあげようか。」
女将さんは、親切に言った。少年はまだ泣いているようだったが、おかみさんたちは、とにかく彼を病院まで連れて行くことに決めた。
「あたしが連れて行くから、杉ちゃんたちに作ってやって、よろしく頼むわね!」
「お、おう!」
女将さんは、彼をまた背負うと、急いで店を出て行った。こういうときは、カナラズと言っていいほど、女のほうが強くなるらしい。
「ほい、もう少し待っててね。今、ステーキセット作るからね。」
マスターは、女将さんに圧倒されて、とりあえずの話をした。
「一体、何なんだろうね。あの少年は。少なくとも、身長こそ五尺程度だが、体重は、五貫程度だろ。餓死寸前だ。その理由を確かめなくちゃ。水穂さんと同じように、病気にかかっていたのだろうか。それとも拒食症か?」
杉三は、水穂に言った。
「いやあ、拒食症であれば、家族の誰かがああなる前にとめると思う。少なくとも、家が普通に機能していれば。普通の親だったら、何かあったら心配するでしょうし、ああなるまで痩せたら、親御さんたちも異常だと思って、病院に連れて行くとか、するんじゃないのかなあ。」
水穂は、そう答える。
「うん、まあ確かにそうだ。それでは、どっちでもないとすると、誰かが意図的に飯を食わさなかったということになるのか。」
杉三は、そんな話を始めた。
「うーん、それに普通の年代であれば、学校にも行っていただろうし、学校側も、何か文句を言ってくるんだじゃないかなあ。もし異常が酷ければ、病院に連れて行くように学校の先生が、いうとか、何とか。」
「そうだねえ、でも、学校の先生は、役に立たない存在だって言っていたのは杉ちゃんでしょ?」
「それにしても、あの子は、何歳位の少年何だろう?」
と、いわれるほど、確かにあの少年は、年齢不詳だった。身長は、たしかに五尺程度、しかし、体重は、六貫にも満たないほどであったから、体の大きな幼児という感じだった。顔つきもどこか呆然としていて、少年という雰囲気ではなかったような気がした。
「ほら、杉ちゃん、ステーキセットができたよ!」
と、マスターがステーキセットを持ってくる。杉三は、考え事ばかりしていて、何も反応できなかった。
「杉ちゃん、できたよ!」
マスターはもう一度言う。
杉三は、まだ考え込んでいる様子だった。
「ステーキセット!」
と、マスターに言われて、
「あ、ああ、すまんすまん!」
と、でかい声で杉三はそれを受けとり、ステーキにかぶりついた。
水穂はおかゆ定食を受け取ったが、とても食べる気にならなかった。でも、マスターに悪いと思って、おかゆを飲み込んだ。
一方。池本クリニックでは。おかみさんが連れてきた少年のことが話題になっていた。
「いやあ、ひどいもんですね。いや、こういう患者さんを見たのは、戦時中しかない。戦時中に貧しい子供さんがこうなったというのは分かりますが、今の時代、こうなったのは、まったくみたことがない。」
池本院長は、驚きを隠せなかったようだ。そうなると、池本院長の年齢がわかってしまいそうで、周りの看護師も、一寸笑ってしまった。
「看護師さんたちも笑わないでやってください。もうかなり長い間、何も食べてないと思います。お願い、何とかしてやって!」
カフェのおかみさんは、其ればかり言っている。おかみさんの人のよさがわかって、ほかの者はなんだか、感心してしまいそうになった。
「しばらく高カロリー輸液を点滴して、栄養障害を改善させましょう。其れから、普通のご飯を食べてもらうようにしましょう。」
「院長さん、この子どうなるんでしょうか。まさか、水からあげられた魚みたいに死んでしまうのではないですか?」
「こちらも手は尽くしますから、落ち着いてください。女将さん。あなたの方が、心配になってしまいますよ。」
女将さんが、一生懸命そう訴える。池本院長はそういって慰めるが、余りそういう慰めは聞かないようであった。
とにかく少年は、そのまま池本クリニックで手当を受けることになったが、院長もその衰弱ぶりに難航を示すほどであった。
数日後。
「いやあ、ひどいもんでした。」
製鉄所に、訪問看護でやってきた看護師の佐藤さんが、水穂を見て、思わずそうつぶやいてしまった。
「ひどいもんって誰の事?」
ついでに、手伝いに来ていた杉ちゃんが、そう反応すると、
「い、いやあね、あの、少年ですよ。あの少年。もうひどいもんですよ。だって、一月以上何も食べてなかったそうですよ。」
と、思わず言ってしまう佐藤さん。
「ひ、一月!それはひどいもんだな。で、身元は分かったんか?」
「ええ、彼のズボンのポケットから、学生証が入っていましたので、それがわかりました。名前は久保誠一君です。岳陽高校の生徒さんだそうです。」
「岳陽高校!へえ、そりゃまた英雄だなあ。」
「そうなんですよ。あんなエリート学校の生徒が、ああなるなんて、病院は大騒ぎです。」
佐藤さんは、大きなため息をついた。
「ですから、水穂さんもご飯ぐらいちゃんと食べて行ってくださいね。でないと、体がいつまでたっても回復しませんからね。もうちょっと、食事をとらないと、このままでは体力もつきませんよ。」
「何ですか佐藤さん。そんな当てつけしないでくださいよ。」
杉三が、そう反論すると、佐藤さんはにこやかに笑って、なんだか笑い話になってしまったが、そう考えると、少年は結構深刻だったんだなという事がわかった。
「それにしても、あの時、高校生にはみえなかったな。」
杉三がそういうほど、彼は幼かった。
「まあ、いずれにしても、異様な事件なものですから、警察もしょっちゅう病院に来て、うるさいんですけどね。それでは、かえって、安静にできなくて、可哀そうな気がしてしまうのではないかと。」
佐藤さんは、医療関係者らしく、そんな話をした。
「まあ確かにそうだねえ。あんなにうるさく刑事が質問していたら、ゆっくりできないだろうな。これは何とかならないかなあ。」
杉三は、腕組みをして、そう考え込む。
「警察もねえ、できる限り、情報が欲しいという事は思うんだろうが、もうちょッと彼を、何とか休ませてやれないかなあ。」
そこが、医療関係と警察が、よくぶつかる理由であった。
「でも、久保君の親はどうしてるんです?何かあったら、久保君の事を心配して、すぐに来るはずなのに。」
水穂が、そう聞くと、佐藤さんはうーんとそれを考える。
「どうしたんですか?」
「それがねえ、、、。」
佐藤さんは、考え込むように言った。
「一度も来ないんですよ。」
「は?」
すぐに杉三が、相槌を打つ。
「はい、一度も面会に来ていません。久保君の親のことについても、本人は何も言わないので、どういう人物なのか、わからないんですよ。親が何処の誰なのかも。」
「ええー、じゃあ、手掛かりとしてわかっているのは、名前だけ。」
「そうなんです。何もわかってないんですよ。警察の人にも、誰にでも、親の名前を聞けば、しゃっべってはいけないの!と声をあげて、泣くばかりだそうです。」
「はああ、、、。何か、ガスパーみたい。ほら、知らない?ドイツの。」
「ドイツ?ああ、野生児のガスパー・ハウザーのことね。」
「すごいですねえ、お二人は。僕はそんなことは知りませんよ。一体何ですか、ガスパー・ハウザーって。」
佐藤さんは、思わずそう聞くと、
「あの、ドイツでさ、いきなり道路に現れて、警察に保護されたんだけど、ずっと地下牢にいただか何だかして、言葉も碌すっぽ話せなかった、不思議な野生児だ。本当はどこかの大貴族の子でさ、近親相姦だか何だかの私生児で、地下牢に幽閉されていたという。ちなみに、何とかという人の養子になって、読み書きそろばんはできるようになったとか。」
と、杉三がそう解説した。
「いわゆるハーデン大公の後継者だったとかいう説がありますね。後継者になりきれなくて、地下牢に閉じ込められていたようですが。今では、長年の引きこもりの人間を揶揄して、ガスパー・ハウザーとからかうこともあるようです。」
「へえ、野生児も今ではからかいの材料か。」
水穂がそう付け加えると、杉三は、からからと笑った。
「でも、久保君はそのあとどうなっちゃうの?」
と、杉三がふいに付け加えた。
たしかにそれが一番の問題である。
「孤児院送りになっちゃうのかなあ?」
「せめて、ジャン・イタールみたいな、そういう人がいてくれるといいんですが、、、。」
杉三も水穂もがっくりして、顔を垂れた。
「まあ、とにかくですねえ。今池本院長が、言語の専門家を探したりしていてくれている様です。それは、何とかできると。」
と、佐藤さんは、これ以上話をしないように、と思ったのか、じゃあ、今日はここまでと言って、製鉄所を出て行った。杉三たちは、考え事をしすぎていたせいか、佐藤さんに、お礼をいうこともできなかった。
「しかし、いつまでも、学校に来ないんですな。」
と、岳陽高校では、こんなはなしあいが行われていた。
「ええ、保護者に連絡は取ってみましたが、何も知らせはないようです。ただ、寝ているので、起こさないでくれとしか、、、。」
別の教師が、久保君についてこんなことをいっている。
「そうですね、でも今は、試験前ですし、ほかの生徒のこともありますから、余り彼の事ばかり気にしていても仕方ないのではないでしょうか?」
と、また別の教師が言った。
「この学校では、そんな生活に困るほどの貧困者はいないでしょうから、多分きっと、なんとかなりますよ。大体ね、教師が生徒の家庭なんかにかかわっていたら、もう我々も体がもちませんよ。そうでしょう?」
若い教師たちは、そういっている。
「そうじゃなくて、優秀な生徒がいっぱいいるんだから、その生徒たちを伸ばしてやるのが教育じゃないですか?」
大体の教師は、そういう考えでいいと思っているようであるが、一人だけそれでいいのかとおもえない教師がいた。
「ちょっと、鬼頭先生。何をそんなにボケっとしているんです?」
隣の、机に座っている、男性教師が、彼女の肩をたたく。彼女、つまり鬼頭輝美は、彼に肩をたたかれて、あ、すみませんと初めて頭を下げた。
「鬼頭先生は、その苗字に合わず、おとなしい先生ですな。だからこそ、生徒からバカにされるんですよ。」
たしかに、輝美は、ほかの先生にある、強そうなガタイも、大声を立てることもできなかった。そんな勇気も持っていない。まさしくダメ教師と、ほかの教師に言われていた。
「鬼頭先生。大丈夫ですか。そんなにぼんやりして。」
「ああ、はい。」
彼女は特にクラスを持っているというわけでも無いのだが、英語教師として、授業はしていた。だから、久保君の席は知っていた。
今日も、教室に行くと、久保誠一君の席は、大量のプリントがはち切れそうなほどたまっている。
輝美が生徒にプリントを配ると、久保君の隣の席に座っている生徒が、こういった。
「鬼頭先生、、、。どうしたらいいのでしょう?」
「どうしたの?」
「久保君の机の中に、もう入らなくなってしまいました。もう、これでは、ぎゅうぎゅうで、中に入りません。」
輝美は、とりあえず、机の上に置くようにと言ったが、其れも近いうちに山のようにたまってしまうのだろうなと、大いに予測することができた。でも、同級生たちは、試験勉強で忙しく、まさか同級生たちに、不登校生のプリントを届けさせるなんて言う、小学生みたいなことをさせるわけにはいかない。なので、彼女自身が、届けに行くしかないな、と、輝美は思った。
それでは、放課後、彼の自宅はどこにあるのかを調べて、すぐに行ってみることにしよう、と、輝美は思いついて、すぐに職員室に戻る。自分のパソコンを立ち上げて、生徒個表に会った久保君の住所を、検索欄にうちだし、検索してみると、結構学校から遠いところにあった。まあ、高校だから、遠方というか、県外から来る生徒も珍しいことではなかったが、とりあえず、電車にのって、通学しているのだろうと思われた。
輝美は、とりあえず久保君の家がある、富士駅近くまで車を走らせる。久保君の家は駐車場がなかった。駅の近くに住んでいれば、何でも電車で間に合ってしまうから、そういう家庭もあるという事であろう。
取りあえず、駅近の有料駐車場に車を止めて、近くを歩いてみる。
「えーと確か、バラ公園という公園があって、その近くだったはず、、、。」
輝美は、バラ公園を探した。
しかし、慣れていない土地のせいか、見つからなかった。
「あの、すみません。」
丁度、自動販売機の前で、ジュースを買おうとしていた、車いすの男性に声をかける。
「なに、どうしたの?」
相手をしたのは、杉三であった。
「あの、この辺りにバラ公園という公園はありませんでしょうか?」
「ああ、バラ公園は、ちょっと遠いよ。ちょっと、複雑で歩くの大変だけど、来れるかい?」
輝美が聞くと、杉三はこたえる。
「はい、そこへたどり着かないと、目的地にはいけませんので。」
「本当か。じゃあ行こう。」
輝美は、杉三について歩き始めた。
「一体、お前さんは何をしに行くんだ?」
杉三がそう聞くと、
「ええ、その近くに住んでいる生徒に、会いに行きたいと思いまして。」
と、輝美は答える。
「お前さんはどこの高校だ?生徒っていうくらいじゃ、先生だよなあ?」
と、杉三はふいに言い始めた。
「ええ、岳陽高校です。」
「岳陽高校ね。あの、私立のエリート学校だよね。」
杉三はカラカラと笑った。
「そのエリート学校の先生が、誰か事情のある生徒に、会いに行くと。誰かいじめでもあったのかな?」
「ええ、まあ、それに近いかもしれませんね。ある男子生徒ですが、ある日突然って感じで、学校に来なくなってしまったんですよ。」
「へえ、岳陽なんて、あんなエリート学校でも、そういうやつはいるんだな。それは、僕もびっくりしたよ。それは、また大変なことになりましたな。何時頃から学校に来ないの?」
「もう、半年近くまえかしら。」
輝美が正直に答えると、
「へえ、やっぱりエリート学校の先生は、気が付くのが鈍いようですね。」
杉三は、また笑った。今度は、馬鹿にするような笑い方ではなく、一寸納得した顔になって、
「で、そいつの名前は?」
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