第二章「術式魔法」

第O話「幼子は駆け回る」

 白い不思議な空間の中に、溶け込むような白の巨像がそびえ立っている。鎧武者の様にも見えるが、全体に柔らかい曲線で構成されており、女性らしさも感じさせる。その足下に銀の髪をなびかせた褐色の肌の愛の精霊神セ・フルハ・ルカスが立っている。その顔立ちは誰が見てもはっきりと美しいと感じるだろう。つかつかと巨像の足下を潜り背後に回るセフル。


「やはり、ここにおったか」


 漆黒の瞳が見下ろす先に巨像の踵にもたれ掛かる様にして眠る子供がいる。その愛らしい顔立ちからは、男の子か女の子かの区別が付かないが、見下ろす女性と少し似ているようにも見える。


「泣かんようになったのは良いが……」


 言いながら腰をかがめて、眠ったままの子供を抱き上げる。


「……おかあさま?」


 抱き上げられて目を覚ました子供が寝ぼけ眼で尋ねる。褐色の細い指が汗で張り付いた髪を掻き分けてやると、素晴らしく広いおでこが現れる。


「すまんが違う。しかし、其方そなたは、どうしていつもここで寝ておるのじゃ?」


 覚醒しきっていない頭を少し傾けて考える。


「呼んでた」


 短い言葉しか出てこないのは寝ぼけているからだろう。


「呼んでおったのは、こっちのわらわじゃがな。其方そなたにはわらわ本御霊ほんみたま在処ありかがわかるのじゃろうなあ」


 少しは懐いたのか、小さな手で褐色の体にしっかりとしがみつく。


「かっこいい」

「そうか? まあ、悪い気はせんのう」


 素晴らしく広いおでこの下にある顔が少し不思議そうな表情になる。巨像を褒めたのに、なぜ、女性が喜ぶのかわからなかったのだ。


巨像これわらわじゃよ」


 またよく分からないことを言う褐色の顔を、まん丸な瞳がのぞき込む。


「そんな顔をするな。そのうち分かるようになる。さあ、そんなことより三時のおやつにしよう。昨日ボロスがまた新しい菓子を持ってきてくれたから、それを食べるぞ」


 小さな顔に満面の笑みが浮かぶのを見て、褐色の美女の顔にも笑顔が咲き誇る。


「おろしてください」


 少し頭がはっきりしてきたのか、言葉もはっきりしてくる。言われるままに女性が下ろすと、素晴らしく広いおでこを下げて丁寧に一礼をする。


「お、おう」


 褐色の美女が返事をすると同時にはじけるような勢いで廊下に駆け出していく愛し子。


「待て、ナギ! 走るな! 転ぶぞ!」


 慌てて後を追いかけながらも、数百年ぶりの喧噪に心が癒やされていくのをセフルは感じていた。


『おお、坊。元気だな』


 廊下に駈け出したナギが遭遇したのは、派手な柄の半袖のシャツを着た、飄々としたと云う言葉がよく似合う男だ。ぶつかって来たナギの小さな体を、細いが筋肉質な足だけで引っかける様に器用に宙に浮かせて抱き上げる。


『ご、ごめん?』


 今度の言葉が短いのと疑問形なのは寝惚けているからでは無く、使い慣れない炎草プラデラ語だからである。


『おお、そうだ。それで合ってるぞ』


 無精髭の男がナギの顔の前で指で輪っかを作りあっていることを伝えると、ナギが笑顔になる。勉強中の言葉が通じたことが嬉しいのだろう。


『こいつ凄いなあ。もう炎草プラデラ語を覚え始めてるぞ』


 後から廊下に出て来たセフルに話しかける。


「ああ、他の言葉もそんな感じじゃぞ。いろんな言語で同じ物語を読み聞かせておるんじゃが、読み上げておるユナも吸収が早いとびっくりしておった。じゃが、それよりも……」


 セフルが男の全身を上から下まで見て嫌そうな顔になる。


「教育に悪いから、そのチンピラみたいな格好で来るのは止めろと言うておるじゃろう。ナギはまだ小さいんじゃぞ。それで来る位なら化身の方がマシじゃ。ラン」


 ランと言われた男が抱えたままのナギの顔を見て、


『格好いいよな~』


 と言うと、ナギも


『格好いいよなー』


 と、楽しそうに繰り返す。しかし、その後で頭を傾げている様子を見ると、まだ知らない単語だったらしい。


「変な感性を植え付けんでくれよ」


 セフルが再び顔をしかめる。


『いや、子供の前でへそ出してるお前に言われたくねーよ』

『へそ出し!』


 今度もナギが真似をする。知らない単語を真似するのが楽しくなってきているようだ。


「ええい、教育に悪いわ!」


 と言ってナギの小さな体を奪い取ったセフルは、そのままランを残して食堂に入って行く。


『あいつ、ちゃんと世話出来てるのかね?』


 と、呟きながら炎の精霊神カ・ラン・サイも食堂に入って行くと、パリッとした濃い灰色の背広姿の細身の男が立っている。風の精霊神ダ・グザ・スケルスだ。


『なんだ、お前も来てたのか』


 と、お前呼ばわりされたダグザは、後から入ってきたランを一瞥だけして、先に入って来たナギに話し掛ける。


『この前渡した本は読んだか?』


 いかにも神経質そうな声で話し掛けられたナギは、セフルに抱き上げられたままの姿勢で、少し考えてから素晴らしく広いおでこを縦に動かす。


『面白かった』


 普通の子供なら泣き出しそうなくらいの厳格な雰囲気を前にしながらも、特に気にした様子もなく笑顔を返している。


『そうか。次はもう少し難しい本を持ってこよう』


 ナギは素直に頷くが、ランが突っ込みを入れる。


『いやまて、お前この前持ってきたのも文字ばっかりの本だっただろうが』

『ナギスティアは、脳筋のお前とは違う』

『なにぃ!』


 と、掛け合う二人を、ナギを降ろしたセフルが制する。


「こら、子供の前で喧嘩するな」


 そう言われて、そっぽ向き合う男二人の手を小さな手が掴む。


『お菓子食べる』


 と、ランに炎草プラデラ語で言い。


『お菓子食べる』


 と、おなじ事を風颪ビエント語でダグザに言ってから、交互に二人を見詰めるナギ。その真っ直ぐな笑顔に


『『ああ、食べよう』』


 と、表情を緩めた男二人が同時に言うのを、セフルは声を上げて笑った。

 

  ◇ ◇ ◇

 昼間にランと一緒に走り回って疲れたのか、その晩は少し早めに眠りについたナギ。


「あやつが来ると早く寝てくれるから助かるのは確かじゃな」


 ナギの寝顔を見ながらセフルが呟く。そこへ細長いと形容したくなる様な女性が入ってくる。


「おお、ルナか。いま寝たところじゃから、向こうで話そう」


 白の長ズボンの上に薄水色の紗の上着という組み合わせのアオザイを纏った女性は何も言わずに頷いて、少し離れた場所にある椅子に座る。同じ部屋の中なので起こさないように防音の結界を張るセフル。違う部屋に行かないのは、悪夢を見たときにすぐに対処出来る様にというだけではなく、少しでも寂しい思いをさせたくないからでもある。


「やはりあの子も同じか?」


 卓の向かい側に座ったセフルが尋ねる。水色がかった銀の短髪を揺らして頷くルナ。


「生まれたときから魔力回路を持たない。魂にもなんの痕跡も見られない。今までの子と同じ」


 静かな口調のルナに、こちらも静かに頷くセフル。美しい銀の長い髪が揺れる。


「まるで原初の精霊みたいじゃなあ。この星が生まれた頃の精霊には魔力回路が無かったそうじゃからな。あの方は八龍と星の精霊の間に生まれたそうじゃから、あの方の魂を分け与えられたあの子も星の精霊の魂の性質を受け継いでしまったのじゃろう」


 あの方を思い浮かべてセフルの顔が少し上気したように見える。


「受け継いだのはそれだけじゃない」


 セフルの表情に気付いたのか気付いていないのか、淡々と話すルナ。


「ああ、そうじゃな。憎悪魔力オディオ・マギを浄化する能力は星の魂の性質でもあるからのう」


 ちょっとバツの悪そうな顔をするセフル。恋する乙女の顔を見られるのは何千年生きても恥ずかしいらしい。


「でも、その魂の器がただの人の体だった」


 対するルナはあまり気にしていない様だ。


「あの方の様に龍と同等の肉体を持つならいざ知らず、ただの人間の体では蓄積する憎悪魔力オディオ・マギに耐えきれん。この年で限界を越えたのはナギの魂の力が強すぎるからじゃがな」


 布団に包まる様にして眠るナギの方を見る二人。淡々とした雰囲気のルナの目にも愛しさが滲んでいる様に見える。


「確かに人の肉体であることの問題点は大きいが、その代わりにこの子らは、八龍の魂の性質を受け継いでおる」


 頷くルナ。


眷属化カサミエント

「そうじゃ、眷属者アマンテを得ることで、蓄積する憎悪魔力オディオ・マギを処理できる様になる。それまではナギをここに通わせるしかないじゃろうなあ」


 天を見上げるような仕草をするセフル。三千五百年ぶりの子育てに少し困惑しているようにも見える。


「本当はずっとここにいた方がいい。今まで保ったのが奇跡」


 水の精霊神ラ・ヴェル・ナージャは主治医としての意見を述べる。今日もナギの精密検査の結果を持ってきたのだ。


「わかっておる。じゃが、あの子から親を奪うようなことは出来るだけ避けたい。しばらくは週に数時間程度しか帰せんじゃろうが、体が出来てくれば時間を延ばすことは可能じゃろう」


 ルナもそれはわかっているのかそれ以上は何も言わない。黙ってナギを眺める二人の間に、なんとなく穏やかな空気が流れる。

 しかし、突然その静寂が破られる。


「……待って……駄目です……そんなこと……やめてぇぇぇぇええ!」


 ナギが突然虚空に手を伸ばし泣き叫ぶ。


「……どうして、そんなこと……どうして……」


 いつの間にか駆け寄っていたセフルが、覆い被さるようにその小さな体を抱き締める。


「それはもう過ぎ去った過去じゃ。その魂ももう輪廻に戻っておる。大丈夫じゃ、苦しむ者はもうそこにはおらん。すでに救われておる。大丈夫じゃ」


 セフルが話し掛けながら強力な精神感応テレパス能力でナギの悪夢に干渉すると、ナギが徐々に落ち着いていく。そのまましばらくセフルが抱き締めていると、ようやくナギが落ち着きを取り戻す。


「毎晩?」


 近くで見守っていたルナがナギの寝顔を見ながら尋ねる。


「ああ、これでもマシになったほうじゃ。ここに来た当初は、不安もあったんじゃろうが、夜中に何度も悲鳴を上げておったよ。いまはだいたい一度、多くても二度になったからな」


 褐色の指で素晴らしく広いおでこに張り付いた髪をかき分けてやるセフル。


「一人で大丈夫?」


 僅かにルナの表情が曇る。


「心配は有り難いが、其方そなた精神感応テレパスでは、ナギの悪夢に引きずり込まれるのがオチじゃよ。もうしばらくはわらわにしか対応できんじゃろう。それよりも其方そなたには、これまで通りにナギの肉体面のケアを頼む。肉体が丈夫になれば、それだけ悪夢に対しても強くなるからな」


 セフルの言葉に小さく頷くルナ。彼女もセフルと同じく精神感応テレパス能力者だが、彼女のそれは一方的に読み取るだけで、セフルの様に干渉したりすることは出来ない。ただし、読み取ることにおいてはかなり強力なので、セフルよりも詳しくナギの魂や精神についての精密検査を行うことができるのである。

 ちなみに精神感応テレパスは、魔法ではなく、超能力サイキックに属する力である。


「帰るわ。もう休みなさい」

「この分御霊アバターの体には本来休息など必要ないはずじゃが?」


 少し悪戯っ子っぽく笑うセフル。


「心には必要」


 表情を変えずに言うルナ。


「わかっておるよ」


 真面目に返されて苦笑するセフル。


「おやすみ」


 背を向けて歩き出すルナの背中にセフルが声を掛ける。


「あ、そうじゃ。わざわざ検査結果を持ってきてくれるのはありがたいが、そんなもの無くても、ナギの顔を見に来てもいいんじゃぞ?」


 一瞬立ち止まったルナだったが、すぐに何事も無かったかのように歩き出す。しかし、一見クールを装う彼女の頬が少し上気しているのを確認して満足したセフルは、それ以上はツッコまずに


「おやすみ、よい夢を」


 と、だけ言って、ナギの眠る寝台に潜り込んだ。

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