第8話「魔族は愛の精霊神に感謝する」

 駒鳥の言葉に耳を傾けたセフルに帰宅の挨拶をしたナギ達が参道を下って行くと、本当に鳥居の先に人影がある。


「お父様!」


 ナギが転がる様に駆け出していき、広げられた腕に飛び込んでいく。


 ぼふっ


「お父様、魔獣狩りに行ってらしたんじゃないんですか?」


 輝く様な笑顔を見せる息子を高く抱えあげる父。その体は細身だが一目で鍛え上げられたものだとわかる。


「お前が襲われたと聞いて飛んで帰ってきたよ」


 なるほど急いで飛び出してきたのか、魔法甲冑マギア・アルムの下に着る灰色の鎧下のままだ。それどころか脛当てや手甲は付けたままである。


「お父様がいなくて、魔獣狩りの方は大丈夫なんですか?」


 どこまでも父への評価が高い息子である。


「俺がいないくらいで、どうにかなるような護士タリスマンは、うちにはいないさ」


 そう言って小さな体を地面に下ろした父の前に、護衛メイドのアキが立つ。


「申し訳ありません。シンケルス様。アキが付いていながら、ナギ様を危険な目に合わせてしまいました」


 項垂れる人狼レアンの肩を、無族ノーブリングの領主が軽く叩く。


「いや、二人が無事でなによりだ。細かい話は帰ってからでいいだろう。母さんも待ってる」


 シンケルスがナギの小さな体を再び抱え上げて肩車する。忙しい父にとっては、ナギはいつまでも小さな子供なのだ。ナギも大好きな父の前では素直に子供のままでいる。

 そんな微笑ましい肩車の親子が社務所の前を通る時、大宮司がほっと胸を撫で下ろしたのが見えた。事情を知っているのだろう。そこから少しのところにある屋敷にナギ達が帰り着いた時には日も暮れかかっていた。


「おかえりなさい」


 出迎えたのは、ナギによく似た面差しの母エアリヒである。浅緑色の着物に淡黄色の帯を締めた彼女は一児の母には見えない程に若々しい。


「ただいま帰りました。お母様」


 ナギがもじもじした様子で前に立つと、エアリヒはゆっくりとした動作で息子の体を抱きしめる。決して強い力ではないのに、ナギはいつも母に抱かれると身動きが取れなくなってしまうのだ。ちなみにクシミカ家で小柄なのはこの二人だけである。

 そんな二人の横から、アキよりも少し長身の人狼レアンの女性が進みでる。メイド服の色はアキと同じ深緑色だ。


「……イヴ姉」


 イヴェール・キス・フィーア。アキの姉であり、彼女たちの亡き母エスターテに代わり、エアリヒの護衛メイドをする女性である。アキとは違って長く真っ直ぐな髪を後ろの少し高いところで一纏めにしている。しかし、その色はアキと同じ甘栗色だ。どこか表情の読めない彼女が、すっと片手を挙げると、叱られる自覚のあるアキは目を瞑って身構えてしまう。


「……?」


 ぽふっ


 強い衝撃を覚悟していたアキの頭に、一瞬遅れて柔らかい衝撃が落ちる。更にもう一方の手も追加され、そのままゆっくりとアキの甘栗色の短髪をわしゃわしゃする。


「あれ? イヴ姉、あれ?」


 戸惑うアキの頭を無言のままかき混ぜる姉。十分にアキの髪をぐしゃぐしゃにすると、満足げな表情で手を離して、何も言わずにさっさと屋敷の中に入って行ってしまう。


「昨日は自分の髪を整える余裕もないくらいに心配していたから、そのお返しね、きっと」


 ナギを抱きしめたままでエアリヒが自分の護衛メイドの心境を解説する。イヴはあまり喋らないので、いつもエアリヒが解説役になっている。彼女イヴらの母であるエスターテも同じように無口だったので、エアリヒにとっては慣れたもののようだ。


「お腹すいてない? 少し早いけど、夕食にしましょう。お話はそのあとでいいでしょ?」


 ようやく、母の拘束から解放されたナギが駆け足で屋敷の中に入るとそこには鉄色の執事服を着た異形の男が立っていた。魔族イブリースである。

 山羊の様な角、下顎から突き出た牙、長い顎髭、灰色の肌、太い尻尾、そして、金色の瞳。しかし、すべての魔族イブリースに共通する特徴は、その金色の瞳だけである。ある程度家系毎の特徴はあるが、魔族イブリースはほとんど個々人毎に違う姿をしており、あえて言うなら異形であることこそが魔族イブリースの特徴であり、誇りである。

 一見すると異様とも言えるその姿に、しかし、ナギは恐れる様子もなく駆け寄って行く。


「ブランさん、心配かけてごめんなさい」


 異形の男が限りなく優しい瞳で、ナギの小さな体を抱き上げる。


「ナギ様が無事でよろしゅうございました」


 その後ろから杖をついた初老の男が声をかける。


「こらこら、護衛執事風情が、なんで主人より先に孫を抱き上げとるんだ」


 その声に、抱き上げられたままのナギが後ろを覗き込む。灰黄緑の着流しを着た祖父テナクスが杖をついて立っている。長身なのはシンケルスと同じだが、少し肉付きが良く見えるのは年齢がゆえだろう。


「お祖父様、足の具合はよろしいんですか?」


 骨折などの大きな怪我は、余程の事情がない限り現地での急激な治療が行われることはない。急激な治療を行えば治癒師セラピアの魔力が大量に流れ込むことになり、そうして流れ込んだ他人の魔力によって体内の魔力環境が乱れてしまうと結果的に完治までの期間が長くなってしまうからだ。テナクスの骨折の治療も、そうしたことを警戒して段階的に治療を行っているのだろう。


「おお、ナギスティアは優しいのう。それに比べてうちの執事は冷たいのお。無事を喜ぶ祖父に孫を抱かせん気か」


 杖で背中をつつかれたブランがナギを下ろして振り返り、歌劇の様な仕草で反論する。


「久々に魔獣狩りに参加したからといって、はしゃぎ過ぎて足首を骨折した老人が、育ち盛りのナギスティア様を抱き上げたりしては怪我が悪化します。わたくしめはそんな老人の代わりにナギスティア様を抱き上げたのです。ああ、なんて優しい護衛執事なんでしょう」


 いつも通りのやり取りをする二人を見て、帰って来たことを実感するナギ。楽しそうな二人の間をすり抜けてナギが食堂に入ると、夕食の準備が始められていた。その中に好物の鯛の塩焼きを見つけたナギが歓声を上げる。


「わぁ、鯛です! 今日はなにかお祝いですか?」


 先に戻って配膳していたイヴが、その言葉に軽くため息をつく。それから、近寄ってきたナギの鼻を指で軽く突いてから、部屋に入ってきたアキを指差す。


「あ、僕たちのためですか?」


 イヴがアキとは似ても似つかないキリッとした目を優しく緩めて頷く。それからアキも手伝って配膳をしていると皆が入ってくる。


「さあさあ、みんな座りましょう。ナギスティアもフィリアもお腹空いたでしょう?」


 最後に入って来たエアリヒの言葉で皆が席に着く。シンケルスもいつの間にか着替えている。クシミカ家では夕食は可能な限り護衛も含めて家人の皆が一緒に食べるきまりがある。大都市の貴族様ならば考えられないことだが、クシミカの様な田舎の貴族ならば、特殊というほどのきまりでもない。それほど一般家庭とかけ離れた生活をしているわけではないのだ。

 クシミカ家の家人は全部で七人。

 ナギの父にして現ナーラント市領主、シンケルス・クシミカ侯爵。彼は過去に護衛を失ってから新たな護衛を付けていない。

 ナギの祖父にして前領主のテナクス・クシミカ。その護衛執事にして、魔族イブリースのブランジェイ・バルトン。

 ナギの母、エアリヒ・クシミカ。その護衛メイドで人狼レアンのイヴェール・キス・フィーア。

 そして、次期クシミカ侯爵候補であるナギスティア・クシミカと、その護衛メイドで、アキと呼ばれるフィリア・キス・フィーア。

 七人という人数は田舎貴族にしてもかなり少ない方だろう。クシミカ家の人々は率先して自分のことは自分でやるので、私邸であるここでは最低限しかいないのだ。就業支援の意味もあって様々に理由をつけて人を雇っている庁舎の方とは正反対である。


「ごちそうさまでした」


 ナギが両手を合わせて食事への感謝の意を表す。それから、アキたちが食器を片付けるのをナギも手伝う。幼い頃、体が弱くてしたくても出来なかったことが出来ることが嬉しいのか、最近のナギは家にいるときには、アキやイヴの後をついて歩いて手伝いをするのが好きなのだ。

 ナギの手伝いもあって、あっという間に食卓の上が片付けられると、それぞれの前に食後の飲み物が置かれる。父と祖父はいつもなら晩酌を楽しむところだが、今日は皆と同じくお茶を飲んでいる。


「精霊神様の連絡を受けて、すぐにブランに鳥居まで走ってもらったが、その時には既に襲撃者の体は砂化しておったそうじゃ」


 セフルからの第一報を受けたのは、怪我で魔獣狩りから早めに戻っていたテナクスだ。


「はい、ほとんど人の形を留めていませんでした。残った衣類と共にその砂も回収してきましたが、これといった情報は得られないでしょう」


 現場検証をしたブランがお手上げという風に肩をすくめる。


「話を聞く限り、フィリアは出来るだけのことをしてくれた。フィリアがいなければナギスティアは攫われたか、最悪の場合殺されていただろう。ありがとう。父として礼を言う」


 シンケルスが立ち上がり深々と頭を下げる。


「そんな……結局はアキがナギ様に助けて頂いたんです。護衛メイドとしては情けない限りです」


 恐縮するアキに、エアリヒが優しく声を掛ける。


「家族は助け合うものでしょ? 今回、もしフィリアが失敗した部分があるとしたら、自分を守れなかったことね」


 その言葉に座り直したシンケルスも頷く。


「そうだな。ただ今回は、その為の力が足りなかった。次に同じことを繰り返さない為には、ナギスティア、お前も強くならなきゃな」


 少し暑苦しい系の父が、熱く息子に語りかけると、父を尊敬してやまない息子は目を輝かせて返事をする。


「はい!」


 その光景を微笑ましくも呆れながら眺める家族。いつもの光景が無事帰ってきたことを実感する。


「それにしても、仮の体とはいえ、カルダリアの天使アンジュと戦って、生き残れたのは僥倖じゃったな」

「あ、いえ、アキは一回死んじゃいましたけどね」


 テナクスの言葉にアキが軽口のつもりで返すが、場がしーんとなってしまう。


「フィリア、それは笑えない」


 表情の乏しいイヴがつっこみを入れると、思わずみんなの視線が集中する。しかし、イヴは何事もなかったかの様に、茶器を口元に運ぶ。


「えっと、とにかくアキは、ナギ様が眷属者アマンテにしてくださったお陰で無事に生き返れましたから、問題なしです」


 明るくいうアキの犬耳がぴこぴこと元気を主張する。


眷属者アマンテとはなんじゃ?」


 テナクスの質問にナギが答える。


「セフル様がおっしゃるには、魂が繋がった関係だそうです。そのお陰でアキの魂を肉体に戻すことが出来ました。それに、アキがナギ様の眷属者アマンテになったことで、ナギ様のお役に立てるそうです」


 アキがさも嬉しそうに垂れた目尻をさらに垂れさせる。


「どんな風に役に立つの?」


 エアリヒのその言葉に、アキがささやかな胸を自慢げに反らす。


「まずは、アキも御山おやまに登れるようになりました。これで今回の様に送り迎えの隙を突かれたような襲撃にも対処できます。それからぁ、それからぁ……」


 もったいぶって区切りを入れるアキの脇を、姉が肘打ちする。


「あうっ、イヴ姉、せっかち」


 イヴの突っ込みを受けながら話を続けるアキ。


「ナギ様の体調を悪くする諸悪の根源である、憎悪因子オディオの浄化のお手伝いが出来るようになりました」


 意味が伝わるまでの間、一瞬の静寂が訪れる。


「浄化の手伝い?」


 口を開いたのはテナクスだ。


「はい。それで少しはナギ様の負担を減らすことが出来るそうです。残念ながら憎悪因子オディオを濾しとってしまうナギ様の体質までも変わるといわけではないそうですが、以前までの様に、それが原因で極端に体調を崩すことは少なくなるだろうと言うことです」


 その言葉に、この場にいるナギ以外の全員が、ナギが高熱に苦しんだ五年前の光景を思い出す。


「そんなことより、僕はアキを失わずに済んだことの方が嬉しいです。アキが死んじゃうかと思ったときは、体が苦しい時よりも、もっと苦しかったんです」


 真剣な眼差しのナギを、隣に座るエアリヒが抱きよせる。


「そうね。私たちもあなたに何かあったら、同じように苦しいの。だから、あまり危ない事はしてはいけませんよ」

「はい」


 母子の平和なやり取りを向かい側で見ていた父が、ふっと真剣な顔になる。


「それにしても、また、カルダリアがちょっかいを掛けてきたということなんでしょうかね」


 隣に座る祖父が口元から茶器を卓上に戻す。


「そうじゃろうな。いつもの内紛遊びに飽きたんじゃろう。本来なら大規模侵攻でもして景気付けをしたいところじゃろうが、魔獣乃故郷テラス・ロージナのお陰でそれは難しいからのう」

「無理に行えば大侵略の時の様に魔獣乃故郷テラス・ロージナから痛いしっぺ返しを食らうだけですからね。それはやつらもわかっているのでしょう」


 二人の会話を聞きながら、魔族イブリースの護衛執事がお茶のお代わりを注ぐ。


「それでもなんらかのちょっかいを掛けざるを得ん。極端な貧富の差、完全に固定化された階級社会。それらを長く続けてきた結果、多様性を失ったのが奴らの社会じゃ。表向きは自由を謳いながらな。何もなければ問題ないんじゃろうが、行き詰まったときには解決策を外に求めるしか無い」

「平和的に求めてくれれば協力も出来るのですが、彼らは奪おうとしかしませんからね」


 シンケルスが苦い口調で言う。


「世界のすべては神の名の下に統一されるべきであり、その管理は神に選ばれた唯一の種族である真人ヴェリマが行うものである。それに逆らって、本来、神のものである世界を不当に占拠している者たちは、滅ぼされるべき存在だと、彼の国の人々は本気で思っていますからね」


 神聖カルダリア皇国で生を受け、命からがら脱出して来たブランが、感情を抑えた表情で言う。カルダリアでは魔族イブリースは、魔族イブリースというだけで罪人扱いである。そこで魔族イブリースとして生を受けると言うことが、どれほど苦しいことだったのか、余人には想像も出来ないだろう。


「どんな国内事情かはわかりませんが、彼らが動き出したことは間違いなさそうですね。念のため、マレディクシオンとの連絡を密にしておいた方がいいでしょう。ブラン、仲介を頼みたいんだが、いいか?」


 シンケルスが一瞬、領主の顔になる。ブランは魔族イブリースの国であるマレディクシオン魔帝国に身を寄せていたことがあるからだ。


「承りました。それならヴァリヤーグの方にも連絡が必要では?」

「ああ、そうだな。そちらは出入りの商人に頼んで、それとなく情報を流して貰おう」


 ヴァリヤーグ連合はいくつもの国家が寄り集まった国家群であり、アーハンともカルダリアとも取引をする商業圏でもある。市領主ともなるとある程度、他国との外交権は認められている。アーハン王国は多種多様な文化の上に成り立っているため各市で強い自治権を持っているのだ。それでも大きな事件の起こっていないことにしておかなければならない現状では、非公式に連絡を取るのが精一杯である。


「一応、ゲラルトやメリオにも話は通しておいた方がいいだろう」


 ゲラルト・ヤーマは、ナーラント市領を含む愛倭ヤーマ州の統治者ともいえる州公爵のことであり、メリオ・グラーフは隣市のキイノ市の領主であり、エアリヒの父である。ナギの祖父であるテナクスは、現愛倭ヤーマ州公ゲラルトの父である前州公クロヴィスや、メリオ・グラーフ魔境伯とは王立高専時代の同期であり、親しい間柄なのだ。


「グラーフ魔境伯には手紙を出しておきますが、月末の魔獣対策会議でお会いするので、その時にも詳しく話して来ます。ゲー先輩とも手紙だけじゃ無くて一度、会って話した方がいいでしょうね。俺が無理ならエアリヒに行ってもらいます」


 シンケルスが言うとテナクスがニヤリと笑う。


「おや? エアリヒを行かせて大丈夫か? 今度は焼き餅を焼かんのか?」


 シンケルスとエアリヒ、そして、ゲラルトは同時期に王立高専に在籍していたのである。


「お母様がどうかしたんですか?」


 母の名を小耳に挟んで、別の話をしていたナギが祖父の方に顔を向ける。


「いや、何でもない。何でもないぞ」


 シンケルスが慌てて誤魔化そうとする。


「お前のお父様とお母様の馴れ初めの話じゃよ」


 テナクスの言葉に、ナギは身を乗り出し、シンケルスは頭を抱えている。その光景を見ていた護衛執事のブランは、この愛しい日常が再び奪われなかったことを、心の中で愛の精霊神に感謝していた。

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