第7話「眷属者は主を癒やす」

 真夜中の女子会のことなど知る由もないナギは、疲れていたのか、いつもよりかなり遅く目を覚ました。一緒に眠っていたはずのアキの姿は当然の様にすでになく、同じ様に隣で眠ったセフルは……当然の様に涎を垂らして爆睡中だ。よく眠っているセフルを起こさない様に静かに寝台から降りると、少年は護衛メイドの姿を探す。建物内には見当たらないので境内の方に出ると、いつもナギが鍛錬をしている場所で、アキが昨日借りたメイド服を着て体を動かしていた。朝の日課をこなしている様だった。


「アキ、おはよう」


 ナギの声に動きを止めて振り返るアキ。


「おはようございます。ナギ様。お目覚めになられたんですか?」

「うん。でも、セフル様はまだ寝てます」


 近寄ってきたナギの小さな体を長身のアキが軽く抱き締める。少し照れくさそうにしながらも大人しく身を任せるナギ。昨日の様なことがあったので、お互いに触れ合うことで安心したいのだろう。親子の様でもあり兄弟の様でもある関係なのだ。


「体調はいかがですか?」

「大丈夫。昨日は少し体がだるかったけど、一晩よく寝たらすっかり元気になったよ」


 ナギの返事に安心した様子のナギ。


「それよりも、アキの方こそ体は大丈夫なんですか? 身体強化が使えないんですよね?」

「はい、そうみたいです。確かに力を込めようとしても、いつもみたいに力が出ないんですよ。なんか、もう一段階上があるはずなのにっスカッてなる感じなんです」

「それも術式石プロト・ペトラを使えば補えるはずです」

「そうですね」


 アキは、ナギの気遣いに嬉しくなってしまう。


「それにしてもセフル様遅いですね。僕、起こしてきます」

「あああ! 待って下さい! そんな畏れ多いことをしなくていいです!」


 走り出そうとするナギの手を慌てて掴むアキ。精霊神その人の睡眠を邪魔して良いのかという思いがそうさせたのだ。


「なんじゃなんじゃ、騒々しいのう。何事じゃ?」


 桃色の寝間着から、褐色の肩を片方剥き出しにしたままのセフルが、首元をぼりぼりと搔きながらやってくる。その油断しきった姿を見て、世界を支える精霊神だとは誰も思わないだろう。


「セフル様、起きるのが遅いです。早くアキの使う術式石プロト・ペトラを持ってきて下さい」


 そんな姿も見慣れているナギは、気にもせずに頬を膨らませてセフルに詰め寄る。


「おお、すまんすまん」


 悪びれもせずそう言う精霊神のお腹がぐーっと鳴る。


「……まずは朝飯でも食ってからにせんか?」


 これには頬を膨らませているナギも呆れて笑顔になってしまう。


「じゃあ、アキが用意します」


 同じように笑顔になったアキが申し出る。


「台所に案内します。でも、ちょっと待ってくださいね」


 と言ってから、再びセフルに向き合う。


「寝間着を着替えてきてください」


 ナギにはっきりそう言われても、


「このままでもよかろう」


 と、抵抗するセフル。


「朝食はちゃんと着替えてからだって、テルル様が言ってました」


 少しの睨み合いのあと、肩を竦めたセフルに、頷くナギ。その様子を最初は驚きの目で、しかし、次第に微笑みで見詰めるアキ。これがここの日常なのだとわかったからだ。


 それから三人で昼食のような時間の朝食をを食べて、再び庭にやってくる。

 細い体のどこに入るのかと思うほどの量をすっかり平らげた褐色のお腹を満足そうに摩りながら、


「さて、お腹もくちくなったことじゃし、少し身体を動かそうか」


 とセフル。ナギに言われて寝間着からは着替えたのだが、下が藍染めの厚手のズボンに替わったくらいで、上は肌着のように薄い半袖の上着なのは変わりがなかった。境内は一年を通して一定の気温に調節されているので、そんな格好でも寒くはない。

 それに対して、ナギは朝起きてから、いつも御山おやまに来るときに着ている浅黄色の長袖の袍と生成りの白袴に着替えている。


「まずは術式石これを渡しておかんとな」


 頭の高いところで銀の髪をまとめたセフルが何かをアキに向かって放り投げる。


「ほっ、よっ、はっ、よっ、ほいっとな」


 変な掛け声を掛けながら空中のそれを掴み取るアキ。


「これがリアキス様が使っていた術式石プロト・ペトラですか?」


 アキの手には、半透明の小さな石の札が五つ握られている。色はそれぞれ違う。


「そうじゃ。説明せんでも、なんの魔法かは石を握れば伝わってくるじゃろう。それより、アキは身体強化の術式石プロト・ペトラは使ったことがあるのか?」


 褐色の足を剥き出しにして仁王立ちする精霊神が人狼レアンの娘に尋ねる。獣人族モンストローズスには、自前の身体強化魔法があるので、使った経験がないものも少なくない。


「はい。魔獣狩りの時に、あと一押しが欲しい時に使うことがありますから」


 アキの犬耳が自慢げにぴこぴこと動く。ナギが体調を整えるために御山おやまに泊まりっきりになる時には、アキは自身を鍛える為に護士団アミュレットの魔獣狩りに付いて行ったりもしていたので、その時の経験なのだろう。そんなアキは動きやすさの為かいつもよりメイド服のスカートの丈を短くたくし上げているので白い足がほとんど剥き出しである。


「あ、でも、アキ、人狼レアンなのであまり複雑なのは使えないです」


 人狼レアンを含む獣人族モンストローズスは、体内の強化魔法が邪魔をして、複雑な魔法が使えないと言われており、実際にアキも複雑な魔法は苦手である。


「体内の術式が無くなったから、前よりは使える様になっておるはずじゃがな。まあ、いろいろと使って慣れるしかないじゃろう」

「はーい」


 元気に返事をしたアキが術式石プロト・ペトラを握りしめる。


「これは……身体強化ですね。じゃあ、これは?」


 などと言いながら術式石プロト・ペトラの確認をして行く。


「まずはなんでもいいから使ってみせよ」


 短気なセフルが待ちきれずに催促する。


「判りました~。まずはこの肉体全体を強化するやつを使ってみま~す」


 小さな術式石プロト・ペトラを握りしめてアキが発動の呪文を唱える。


発動コレル!」


 幻魔法ラ・マギアの高周波音が鳴り、アキの体に力が漲る。それから一気に足に力を込めると、


 バアァンッ!!!


 アキの足下の玉石が爆発したかのように四散する。事前に予測していたらしいセフルが結界を張っていたので周囲に被害は出ていないが、ナギは目をまん丸にして驚いている。そして、当のアキは、


「あれぇええ?」


 とか言いながら屋根の遥上を跳んでいる。どうやら思ったよりも強化の魔法が強力に掛かってしまったようだった。なんとかそのまま真下に着陸するアキ。うまく柔らく着陸したのか今度は地面が爆発するようなことはない。しかし、その姿勢のまま固まっている。


「えっと、あれ?」


 当惑しているアキに、澄ました顔でセフルが声を掛ける。


「言い忘れておったが、今の其方そなたの体内には純粋魔力プルス・マギが満ちておるから、魔法の効果は数倍にはなっておるはずじゃ。加減に気をつけろよ」


 未だ固まったままの姿勢で首だけセフルの方に向けるアキ。


「そういうことは先に言ってください!」


 さすがに精霊神に対して言い過ぎたかと思って口を塞ぐアキだが、セフルの方は気にした様子がない。


「まあ、最初は適当に使って加減を覚えるしかなかろう」


 そこでセフルの袖をナギが軽く引っ張る。


「何がそんなに楽しいんですか?」


 セフルがニヤニヤしているので、不思議に思ったのだ。


「いや、なにの。やるかな~と思っておったら、やっぱりやったから可笑しくてのう」

「わかってたなら言ってください!」


 今度はアキも遠慮を忘れて大声で言ってしまう。


「ははは、すまん、すまん。まあ、体験する方がわかりやすじゃろう」


 悪びれた様子もないセフルにため息をつくアキ。しかし、それ以上は何も言わない。なんとなくセフルという人物がわかってきたのだ。

 それからしばらく玉石の上を縦横無尽に駆け回るアキ。


「アキ、どんな感じですか? 前と同じような感じで使えそうですか?」


 楽しそうなアキに、ナギが声を掛ける。


「はい。少し加減が難しいですが、絶対に使いこなして見せます!」


 出力が高い分、力加減が難しいようだ。


其方そなた様に調整された術式石プロト・ペトラではないからのう。無駄も多いのじゃろう。まあ、近いうちに専用に書き起こせば良かろう。それまでは、それで我慢しろ」


 あっさりととんでもないこと口にしたセフルだが、ナギにとっては普通のことであり、アキは気付かなかったので、この場にはそれを指摘する者はいなかった。


「今日の所はそれを持って、うちに帰るんじゃな。家の者も心配しておるじゃろう。さあ、ナギ」


 そう言って、精霊神はその細い両手を広げてナギを呼び寄せて抱きしめる。小さな子供が母に甘えるようなその姿を見て、護衛メイドがニヤニヤする。


「こ、これは、僕の体調をセフル様に見て貰ってるだけですからね!」

「べぇーつにぃ、アキは決して赤ちゃんみたいだなぁとか思ってませんよー」


 からかわれて離れようとするナギの体を、セフルが強く抱きしめる。


「こら、まだじゃ。ちゃんと様子を見るまで離れるな」


 頬を膨らませて、ぶすっとした顔をしながらも身を任せるナギ。しばらく大人しくしていたが、ふっと何かに気付いて顔を上げる。


「あれ? もしかして、アキの魔力が回復してるなら、結界は通れなくなってるんじゃないですか?」


 精霊神の柔らかい体に包まれたまま、思い付いた疑問を口にする。


「だって、昨日、アキが結界の中に入れたのは体内に魔力が無くなっているからだって、セフル様は言ってましたよね」

「ええええ、じゃあ、アキ、この御山おやまから出られないんですかあ」


 またもアキが泣きそうな声を出す。ナギも不安そうな顔をする。


「そんな顔をするな。わらわだって、そんな煩いのとずっと一緒はごめんじゃ。心配せんでも、ちゃんと結界は通れるはずじゃよ」


 小さなナギの体を抱えたままのセフルの、馬の尻尾の様にまとめた銀の髪が揺れる。


「ぶぅぅ、アキ、うるさく無いですぅ」


 護衛メイドが膨れっ面で抗議する。


「降りられるのなら安心です。でも、なんでアキは結界を通れるんですか?」


 できるだけ疑問はその場で解決しないと気のすまない性格のナギは、アキの抗議を受けずに流して、セフルに質問を続ける。


「結界が通さんのは、憎悪因子と結びついた魔力、つまり憎悪魔力オディオ・マギなんじゃ。結界の外で生活する者は、どうしても体内に僅かな憎悪因子を宿してしまう。それが体内で結びついて憎悪魔力オディオ・マギとなる。その僅かな憎悪魔力オディオ・マギに結界が反応するんじゃ。先ほども言うたが、いまのアキの体内は粋魔力プルス・マギしかない状態じゃ。じゃから結界は反応しない」


 そこでセフルから解放された少年は、腕を組んで自分の小さな鼻を指でつついて考える。


「一度結界を出て外の魔力を吸収したアキはまた結界に入れなくなるんですか?」


 顔を上げた少年のおでこを、セフルの褐色の指がつんつんする。


「そうだ、と言いたいところじゃが、そうでもないんじゃ。其方そなたの体が大気中の魔力から憎悪因子を濾し取ってしまう話は覚えておるか?」


 少年も、となりの護衛メイドも神妙な顔で頷く。それこそが少年が大半の時間を御山おやまで過ごさなければならない理由だからだ。


「じゃあ、憎悪因子を濾し取られた魔力はどうなると思う?」


 そこで、ナギの表情が明るくなる。


純粋魔力プルス・マギになるんですね!」

「そうじゃ。眷属者アマンテになったアキには、ナギから常に純粋魔力プルス・マギが流れ込んでおるから、憎悪因子は魔力と結びつく暇も無く押し流されてしまうんじゃ」


 そこでアキが心配そうに口を挟む。


「でも、それはナギ様の負担になったりはしないんでしょうか?」


 心配そうにアキの犬耳が萎れるのを見て、セフルが微笑む。


其方そなたは本当にナギが大切なのじゃな。負担という点で言うなら、眷属者アマンテに流れ込む量が増える方が楽になるはずじゃよ。いままで行き場の無かった魔力じゃからな。どうしても心配なら、その分、其方そなたがナギを癒してやれば良い」


 アキは笑顔で頷くが、ナギは再び首を傾げる。


「アキが僕を癒してくれるんですか?」

「おお、そうじゃった。其方そなたに言うのを忘れておったの。其方そなたは今晩からしばらく夜はアキと一緒に眠るんじゃぞ」


 しばらくして、その言葉の意味を理解したナギが小さな体で長身のセフルに抗議する。


「えー、何故ですか? 僕、もう一人で寝られます」 

「……一年くらい前からですが」


 と、ぼそっとツッコミを入れるアキを一瞬睨みつけるナギ。そっぽ向くアキ。セフルが頬を膨らませるナギの前に屈み込み、白いおでこに褐色のおでこを擦り合わせて言い聞かせる。


「これは、其方そなたの体の為、今後の為に必要なことじゃ。まあ、詳しくは子守唄代わりにでもアキに聞くとよかろう」


 おでこを離して少年の小さな体をアキの方に押し出す精霊神。その体を護衛メイドが受け止める。そこへ、セフルの式禽しきである駒鳥が一羽飛んでくる。


「さあ、早う帰ってやれ。どうやら待ちきれずに、鳥居の前まで来ておる者がおる様じゃぞ」

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