第6話「愛の精霊神は熟れた果実を作り出す」

「愛の精霊神は熟れた果実を作り出す」



「アキ、まだ起きていられるか?」


 ナギが眠ったのを確認したセフルが、隣で同じようにナギの寝顔を見るアキに声を掛ける。


「はい、あんなことがあったのに全然疲れていないので大丈夫です。不思議ですね。興奮しているんでしょうか?」


 元気さを訴えかける様にアキの甘栗色のしっぽが左右に揺れる。ナギの純粋魔力プルス・マギの影響か、蘇ったばかりのアキの肉体は術式を無くしたこと以外は逆に快調なくらいなのである。


「それなら丁度良い。其方そなたに話があるんじゃ」


 セフルはアキを誘ってナギの眠る寝具から、少し離れた場所にある椅子に腰掛ける。基本的にセフルはナギが寝ている時に側を離れることはない。ナギが悪夢に襲われた時に対処するためだ。


「ナギ様のことでしょうか?」


 アキも勧められた椅子に浅く腰掛ける。護衛メイドの癖ですぐに立ち上がれる様にそうしてしまうのだ。


「ああ、其方そなたに話して置かなければならんことがある」


 纏め上げられた銀の髪。そこから覗く褐色の美しく延びた首筋の醸し出す色気は、同性のアキをも魅了する。何気無い仕草すら美しく、目の前にいる女性が愛の精霊神なのだとアキに実感させる。


「今日、其方そなたはナギの眷属者アマンテとなった」

「はい、そのお陰でアキは助かったんですよね」


 背筋を伸ばして話を聞くアキの緩く畝る髪と同じ甘栗色の犬耳もぴんと延びている。


「じゃが、今日のことがなくても近いうちに、其方そなたにはナギの眷属者アマンテになって貰うつもりじゃった。まあ、ナギの成長を見ながらじゃがな」


 アキには赤い唇が淫靡に歪んだ様にも見えた。


「ナギの体が大気中の魔力に含まれる憎悪因子の影響を受けやすいことは覚えておるか?」


 セフルの唇が先ほどの淫靡さが幻だったかの様に真摯さを映し出す。


「はい。それが五年前にナギ様が高熱を出す原因になり、生まれてからずっと体が弱かった原因でもあるのでしょう?」


 アキの唇にはそのことに関して未だに何もできない悔しさが滲んでいる。


「そうじゃ。他の者なら揺籠結界クレイドル内の平均的な憎悪因子の濃度程度で人体に影響することはほとんどない。精々が魔法の効率を下げる程度じゃ。まあ、極度に濃い憎悪魔力オディオ・マギを吸い込んでしまえば、魔法が暴走して、最悪、命に関わることもあるがな」


 高濃度の憎悪魔力オディオ・マギは、魔獣乃森テラス・ヴァルトの深層くらいでしか出会うことはないので、多くの人はその存在すら知らず、当然、魔力回路への影響のことも知らない。


「じゃが、ナギの身体は魔力を透過させる際に、その中に含まれる憎悪因子を濾紙の様に濾し取ってしまう。濾しとられた憎悪因子はナギの魂の中で悪夢に変わり浄化されていく。その浄化が追いつかずに蓄積してしまった悪夢はナギの肉体にまで悪影響を及ぼす。難儀なことじゃがな」


 ほとんどの場合、悪夢はナギの意識の表面にまで上る前に処理されてしまうが、蓄積量が増えるとナギに悪夢を見せる。悪夢は精神的にも肉体的にもナギを苦しめるのだ。

 幼い頃に悪夢にうなされていたナギの姿を思い出して、セフルが少しため息をつく。


「かなり元気にはなったが、それでもあの子は、この御山おやまから離れて生きることができんかった。一日の三分の一は結界の中におらんと、処理が追いつかなくなって蓄積がはじまってしまうからの。このままでは、この先あの子が不憫じゃ」


 思いつめた表情で話を聞くアキに女王が微笑みかける。


「そこで、其方そなたの存在じゃ」

「アキですか?」


 アキがきょとんとした目をして自分の高くはない鼻を指差す。


「魂が繋がった眷属者アマンテならば、ナギの中に残った悪夢の処理を手伝ってやることができる。そうすればここを長期間離れることも不可能ではないじゃろう」


 セフルのその言葉にアキが垂れた目を大きく見開く。


「何をすればっ?! あっ」


 思わず大声を出してしまって、慌てて自分の口を塞ぐアキ。それからナギが起きなかったか心配して寝具の方を見るが、よく眠っているので安心する。


「音は遮断してある。あの子には聞かせられん話もするからの」


 それを聞いて、主張の少ない胸をほっと撫で下ろした人狼レアンの護衛メイドは、乗り出すようにして愛の精霊神に詰め寄って、


「何をすればいいんですか?」


 と、今度は静かに尋ねる。しかし、声に籠った意志の強さは変わらない。どんなことでもするという覚悟が伝わってくる。


「魂が繋がっただけでもあの子の負担は軽くなっておるはずじゃが、更にあの子の負担を取り除く方法がある」


 セフルが少し勿体ぶって一拍おく。息を飲んでその顔を見詰めるアキ。


「簡単じゃよ。出来るだけ一緒に眠ってやればいいのじゃ」

「えっ、たったのそれだけですか?」


 それなら少し前までしていたことだ。命をかける覚悟すら決めていた分、拍子抜けした様な声を出してしまうアキ。


「一人で見る悪夢は恐ろしいが、二人なら耐えられる、そんなもんじゃよ。物足りないなら子守歌でも歌ってやれ。歌は僅かじゃが悪夢を浄化するからのう。じゃが、眷属者アマンテを持つと言うことは良いことばかりでもない……」

「何か問題があるんでしょうか?」


 言葉を句切るセフルに対して、アキが先を促す。


眷属化カサミエントすると言うことは、他人の魂を所有すると言うことじゃ。それはその相手の生殺与奪の権利を得ると言うことでもある。おそらくあの子はそのことについて悩むじゃろう。自分にその資格があるのかとな」


 セフルの言わんとせんところはアキにも理解できた。生真面目なアキのあるじは、罪悪感さえ覚えるかもしれない。


「でも、アキはそのお陰で救われました。それに、アキはもともとナギ様のものです」


 アキはそのことを誇りにすら思っている。


「それでも……じゃな。その上、今後のことを思えば眷属者アマンテはもっと増やしたい。ある程度の人数になれば、一緒に眠ってやる必要も無くなるし、御山おやまの結界内での定期的な浄化すらも必要なくなる。出来れば、そこまでは増やしたいところなんじゃが、あの子が積極的にそれを求めるとは思えんからのう」


 セフルが茶器に唇を付ける。ただそれだけの、何気ない仕草が見る者を魅了する。


眷属者アマンテを増やすと言うても、誰でもいいわけじゃないしの」

「何か条件があるのでしょうか?」


 アキが心配そうに尋ねる。出来ればナギを他の子供達と同じように自由に出歩ける様にしてあげたいと思っているのだが、眷属化カサミエントの条件が難しすぎれば人数を増やすことも難しい。


「現状では、過去に魂のえにしを結んだ者が良いじゃろうなあ。全く新たに魂のえにしを結ぶのは、いまのナギには負担が大きすぎる」


 アキのふさふさのしっぽが疑問符を作る。


「魂のえにしですか?」

「ああ、かつて眷属だった者の魂を受け継ぐ者とでも言えば良いかな。本当に強い思いは輪廻の中でも残るからな。もちろん、其方そなたもその一人じゃよ」


 セフルの言葉はアキの心にすとんとはまる。驚きもなく納得しかない。


「ですが、その魂のえにしがある方をどうやったら探せるのですか?」

「それはそれほど心配いらんよ。えにしに引かれてあの子の周りに寄ってくるはずじゃ。あの子が会いさえすれば、なんとなくわかるじゃろう」


 そんなものなのかと、アキはとりあえず頷く。セフルは色々と仕込むつもり満々だが、今は何も言わない。出会いは出来るだけ自然な方が良いのだ。


「それから、はじめのうちは相手は女子おなごが良かろうなあ」

「何故ですか?」


 既にアキはナギの為に眷属者アマンテを集める覚悟をしている。その為の情報は少しでも欲しい。


「ナギの魂が男子おのこである以上、その方が負担が少ないのじゃ。魂にも性別のようなものはあるからのう。肉体のそれほど区別ははっきりしてはおらんし、肉体のそれと一致しておるとも限らんがな」


 魂の性別……初耳だがなんとなく納得のいくことではある。


「えっと、どのくらいの人数がいればいいんでしょうか?」


 おそるおそる尋ねるアキの頭の中には伝え聞くマレディクシオン魔帝国の王族の様に何十人もの妻がいる状態が浮かんでいる。


「おそらく十人程度かのう。その位おれば、後はえにしのない相手だろうと問題ないじゃろう。十分にナギの負担を軽減できるはずじゃ」


 想像していた人数よりも少なくて、ほっと胸を撫で下ろすアキ。しかし、すぐに普通なら多すぎる人数だと気づいて頭を激しく横に振る。集団婚の地族ドワーフならともかく、一夫多妻の嘆族ゴーレや一妻多夫の人魚トリトンでも、その半分程度である。


「ははは、そんな顔をするな。男女の仲が全て恋愛関係というわけでもあるまい。例えそうでも、あの子なら十分に皆を幸せにできるじゃろう。それに万が一にもあの子の魂が処理し切れぬほどの憎悪因子に侵されたときに、それを処理するにも女子おなごの方が都合が良いからのう」


 セフルの唇が少し淫靡に歪む。それまでとは違う雰囲気にアキが息を飲む。


「本来、眷属者アマンテはそうやって増やすんじゃよ。アマンテとは恋人を意味する言葉じゃからのう。いずれにせよ、あの子がもっと成長せんと出来んがな。まあ、その時が来たなら、処理の方は其方そなたが担当すれば良いことでもある。そうなっても、別段困らんじゃろう?」


 しばらく考えた後、その意味に思い当たったアキが熟れたトマトの様になって硬直してしまう。そんな初心な様子を見て、愛を司る精霊神は大笑いをした。そこにはもう、先ほどの淫靡な雰囲気は微塵も感じられなかった。

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