第5話「少年はコクワを惜しむ」

 いざ着替えようとすると、元々着ていた服はぼろぼろの血まみれになっていた。それを見たセフルがどこからかメイド服を持ってくる。


「なぜ、メイド服をお持ちなんでしょうか? 精霊神陛下のご趣味ですか?」


 アキが女教師姿に身を包んだセフルに真顔で尋ねる。精霊神に対して不遜と思いながらもメイド服収集家としての対抗心を燃やしているのだ。


「いろんな衣装を着るのは確かに好きじゃが、それはわらわのものじゃないぞ。昔の友人のものじゃ。それよりも、わらわのことはセフルと呼べ。よいな」

「ですが、精霊女っぼうぶ」


 そんな失礼は出来ないと言おうとしたアキの両のほっぺを手の平で押しつぶすセフル。アキの丸顔を押さえたままで、


「セフルじゃ」


 と、ちょっと強めの口調で言う。どうやら、セフル的には拘る点であるらしい。


「……セフル様……」


 その横で、いつもの運動着に着替えていたナギがさも可笑しそうに笑う。


「ははは、アキもやられましたね。僕もセフル様によくされるんです」

「なんなら、いまやってやろうか?」


 セフルが手の平を広げて褐色の指をわきわきさせて迫ると、ナギが自分で自分のほっぺたを抑えて対峙する。


「させません。絶対防御です」


 上目遣いで身構えるナギの姿が妙に可愛くて襲いかかるセフル。


「何が絶対防御じゃ。その可愛いほっぺたを潰してやる」


 背を向けて逃げようとするナギを後ろから抱えるようにして拘束し、防御する手を引き剥がそうとするセフル。

 二人のじゃれ合う様子をしばし唖然と見ていたアキが、我に返ると、


「本当にセフル様はナギ様を大事にしてくださっているんですね。アキも嬉しくなってしまいます」


 本当に嬉しそうな笑顔で片八重歯を魅せる。ナギを拘束したまま固まったセフルはただ照れた様に笑って誤魔化すことしかできなかった。


 それから着替えを済ませて、普段ナギが鍛錬する場所に置かれている小さな卓を囲む三人。


「ナギ様があのカルダリアの女を倒したんですか?」


 先端だけ白いアキの尻尾がぱたぱたと嬉しそうに動く。


「正確には天使アンジュに乗っ取られた無族ノーブリングの女の肉体をじゃがな。あの女が幻魔法ラ・マギアで眠らせようとしよったから、ナギは掛かった振りをしよったのじゃ。ナギには魔法は効かんからのう。そこでわらわ式禽しきが、あの女に襲いかかって、その隙にナギがナイフで喉を一刺しじゃ」


 セフルもナギの武勇伝を嬉しそうに話す。二人がわざと明るく話すのは、ナギの表情が暗いからだ。


「あの者の命を奪ったことを気に病んでおるのか?」


 女教師姿のセフルが静かなナギに声をかける。大きめのおでこが小さく動く。ナギにもあの状況では他に選択肢が無かったことはわかっている。それでも乗っ取られただけの女性の命を奪ったということを簡単に割り切れるわけではないのだろう。その様子を見てアキの甘栗色の犬耳もしゅんとなる。


「あの者についてならば、其方そなたが気にやむ必要はないぞ」


 顔を上げたナギの顔に疑問の表情が浮かぶ。


「あの者は、天使アンジュの分け御霊が操っていただけの死体じゃからな」


 そこで、一拍おいて白い茶器を傾けて紅茶で喉を潤すセフル。セフルがどこからか持ってきたものだ。


天使アンジュどもは、分け御霊を揺籠結界クレイドルの中で維持するために、他人の肉体を使うんじゃが、その為には、その肉体の持ち主の魂が邪魔になる。じゃから奴らはその魂を砕いてから、肉体を乗っとるんじゃ。酷いことじゃ。やつらはそうして奪った他人の体で戦うからこそ、人狼レアンにも負けぬ力を出せる。体など壊れてもよいのじゃからのう。その証しに、先ほど式禽しきを領館まで飛ばした時には既に砂の様になっておった。中身は逃げおったのじゃろう」


 ナギの顔がホッとした様な悲しい様な怒った様な複雑な表情になる。


「命の遣り取りについては、其方そなた自身が考え続けて行くしかないことじゃが……それよりも、其方そなたが大事な者を護ったことは誇りに思って良いことじゃぞ」


 セフルの細い指がナギのおでこを優しく撫でる。愛らしいナギの顔から悲しい色が少し抜ける。


天使アンジュって、神聖カルダリア皇国の最高神ディヤス御使みつかいと言われる、あの天使アンジュですか?」


 その様子を微笑ましく見ながら、護衛メイドのアキが精霊神のセフルに尋ねる。


「そうじゃ。やつがわらわに見つからんように近づくために、無族ノーブリングの体を使っておらなんだら危なかった。もし、真人ヴェリマの体を使っておったなら、あの状態からでも復活しおったかもしれん。無族ノーブリングの体ではほとんど力は使えんが、真人ヴェリマの体ならある程度は使えるからのう。まあ、その状態で近付いてきたらすぐにわらわに見つかるがな。いまはカルダリアの支配階級に座っておる真人ヴェリマじゃが、元々は天使やつら分御霊アバターにする為に生み出した種族じゃからのう。真人ヴェリマの体なら、本御霊ほんみたまから供給される魔力と、詠唱どころか術式さえも必要としない精霊魔法ピカロ・マギアが使えるのじゃ。なんの対策も無しに戦うのは厳しい相手じゃよ。今回はそういう意味でも不幸中の幸いじゃった」


 セフルの説明にアキは納得した様に頷く。それから、立ち上がって、


「それにしても、アキが不甲斐ないばかりに、ナギ様を危険な目に合わせてしまって、本当に申し訳ありません」


 と、頭を下げる。ふさふさのしっぽが本当に申し訳なさそうに項垂れている。ナギは座ったまま小さな体をメイド服に身を包んだアキの方に向けると、少し思案してから話し始める。


「そんなことないです。あの人が実魔法ガ・マギアを唱えた時に、僕を結界の中に逃がしてくれなければ、二人ともやられていたはずです。僕の身体も実魔法ガ・マギアで生み出されたものまでは透過しないですからね。そのせいでアキに痛い思いをさせてしまって、ごめんなさい。守ってくれてありがとうね」


 言葉の途中から立ち上がったナギが、アキの体をぎゅっと抱き締める。


「今頃、其方そなたを失いかけたこと、取り戻せたことの、実感が湧いてきたのじゃろう」


 震える小さな体を包む様にアキは抱きしめ、あやす様にその背中を優しくぽんぽんする。


「大丈夫ですよ。アキはナギ様が呼んでくださる限り、地獄からでも帰ってきます」


 そんな様子を優しい目で見詰めるセフル。


「ナギが其方そなたの好きなコクワを取ると行って早めに山を下りていなければ、其方そなたはシャシャムと単独で対峙して、ナギが到着するより遙か前に殺されておったかもしれん。そうなったらいくらナギでも其方そなたを救えんかったじゃろう。そういう意味では、ナギの其方そなたを思う気持ちが其方そなたを救ったと言えるじゃろうのう」


 その言葉を聞いて、いまのいままで慈母の様な表情だったアキが突然素っ頓狂な声を上げる。 


「あぁああ!」

「どうした?!」


 驚くセフルにアキが慌てた様に尋ねる。


「アキが作ったおにぎりはどうなったんでしょう? ナギ様の為に作ってきたのにぃ」


 少し重くなった空気が一気に軽くなった。そんなアキの気遣いにセフルも便乗する。


「ああ、あれはさっき式禽しきを飛ばした時に見たら動物どもが喰っておったぞ。ナギが集めたコクワもじゃ」

「「えええ、そんなぁ」」


 二人が同時にさも残念そうに言うのがよほど可笑しいのか、セフルはお腹を抱えて笑う。


「まあ、コクワはまだまだあるし、握り飯はまた作ればよかろう。騒がせ料じゃと思え」


 この地を守護する愛の精霊神セ・フルハ・ルカスにそう言われては二人とも頷くしかない。


「それよりも、それだけ元気なら今のうちに少し体を動かしてみて異常が無いかを確認しておいた方がよいじゃろう。なにせ一度死んで蘇った状態じゃからな」

「え、でも、アキ元気ですよ」


 と腕を振り回す。しかし、そんな人狼レアンを少年が窘める。


「アキ、セフル様の言うとおりですよ。ちゃんと確認出来た方が安心できます」


 あるじにまでそう言われて渋々体を動かし始めるアキ。柔軟のような動きから初めて徐々に速度を上げていく。しかし、その途中で動きを止めてしまう。


「どうしたんですか?」

「なんだか力が入らないんです。いつもなら、もう一段階上があるのに……」


 ナギの問いにアキのしっぽがしょんぼりしてしまう。その様子に心配したナギが近寄ってから、セフルを振り返る。


「ああ、やっぱりか。それなら、おそらく獣化も出来なくなっておるじゃろう」


 セフルの言葉を受けて、獣化を試してみようとするアキ。しかし、いつもの様にしてみても一向に変化する様子がない。


「……出来ません」


 いつも自然に出来ることが出来ないのだ。アキの顔が衝撃に固まっている。ナギがそれを心配そうに見上げる。


「じゃろうな。まあ、一旦座れ。だいたい状態はわかった」


 セフルは予想していたのか、それほど慌てた様子もなく手招きする。招かれるままに席に着く二人。

 アキの垂れ目には涙が滲んでいる。護衛メイドとしての力を失ってしまったのかと思い、落ち込んでいるのだ。


「まずは、アキの体に起こったことを整理しようか」


 セフルがゆっくりと話し始める。


「アキは一度死んで蘇った。しかし、その過程で失ったものがある。何かわかるか?」


 アキが半べそのまま犬耳と尻尾をぶるんぶるんと横に振る。それに対してナギは少し思案してから答える。


「もしかして、魔力回路ですか?」


 自分なりの答えを出す少年の黒髪を優しく撫でるセフル。その頭の後ろで一つに束ねられた銀の髪が揺れる。


「惜しいのう。魔力回路は魂に刻まれておるから、魂と供に復活しておるよ」

「それなら、なんでアキは力が出ないんですか?」


 アキはよくわからずに聞き返す。その間もナギは小さな鼻先を自分の指でちょんちょんと突きながら考えている。


「魔力回路があるなら、体内の魔力も回復しているはずです。それなのにいつもの力も出せずに獣化も出来ない……」


 その姿をにこにこと眺める精霊神が少し助け舟を出す。


「通常、魔法の発動には何が必要じゃ?」

「魔力回路と魔力と、あとは……術式ですよね」


 ナギは基本的なことを確認する様に答えを口にする。


「でも、アキは戦う時にも、獣化する時にも呪文なんて唱えてませんよ?」


 どちらかといえば脳筋のアキは、よく分からないという風に首を傾げる。


「……そうか。獣人の身体能力の高さは、術式のいらない精霊魔法ピカロ・マギアの様なもので強化された結果だと思われてるけど、本当は違うんですね。おそらく体内に術式があって、無意識のうちにそれを使って強化するんですね。その術式が失われたからアキは力が出せなくなった」


 真剣に考える幼い顔がぱっと花が咲いた様に明るくなる。その顔を見たセフルも優しい笑顔を浮かべる。


「正解じゃな。獣人の体内には、身体強化に必要な様々な術式が刻まれておる。それを意識せずに使い分けておるのじゃ。まあ、そのせいで、獣人は身体強化以外の魔法を発動させるのが苦手なんじゃがな。一度、肉体を大きく破損させてしまったことで、その体内の術式が消えてしまったんじゃ」


 様々な種族を生み出した側であるからこそ知る知識もあるのだろう。そして、それらのすべてがつまびらかにされているわけでもないのだ。


「そ、そんなことより……アキは、このまま弱いままなんでしょうか?」


 泣きそうな声を出すアキ。その側にナギがやっきて優しく肩に触れる。背の小さいナギなので、背の高いアキの肩に触れるためには少し腕を挙げることになる。


「体内の術式が無くなったことが原因なら、普通に魔法を使えばいいんじゃないでしょうか? アキには魔力回路があるんですから。術式石プロト・ペトラを工夫すれば、今までとあまり変わらない使い方もできると思いますよ」


 その言葉を聞いたアキの表情が明るくなり、しっぽもそれに合わせて元気を取り戻す。


「それじゃあ、アキはまだナギ様をお守りできるんですね。嬉しいです」


 肩に触れていたナギの小さな手をアキの柔らかく白い手が包み込む。


「獣化は出来んがの。種族魔法レース・マギアである獣化は成長の過程でそれぞれの体に合わせて生み出されるものじゃから、一度失ったものが取り戻せるかどうかは、わらわにもわからん」


 だが、それにはそれほどアキは衝撃を受けなかった様子で、ナギの小さな体を引き寄せて抱きしめると、セフルの方に向き直る。


「獣化はなくてもいいかな。アキ、完全獣化しての戦闘は苦手なんですよね。せいぜい、手足を部分獣化させて武器代わりにするくらいで。だから、アキが完全獣化するのはナギ様が夜泣きしたときくらいなんです」

「ほう、夜泣きのときか」


 セフルの美しい唇が意地悪く歪む。


「はい。ナギ様は、一度むずがるとなかなか寝てくれなくて。そんな時はアキが獣化してくるんであげると安心して泣き止んで眠ってくれたんです。ああ、でも、またナギ様が夜泣きしたらどうしましょう?」


 態とらしく言うアキの手を振り払って、ナギが抗議する。


「もう夜泣きなんてしません!」


 その様子を見て、二人の女性が同時に笑うと、怒っていたはずのナギも楽しそうに笑ってしまう。


「アキの件はほぼ解決かの。術式石プロト・ペトラについては使えそうなのが幾つかあるはずじゃから、当面はそれを使うとよかろう。アキと同じ人狼レアンの友人が昔使っておったもじゃよ。あとで探しておいてやる」

「アキと同じ様な人がいるんですか?」


 ナギと同じ疑問を感じたのか、アキも横で聞きたそうな顔をする。


「おったよ。その者は魔力回路不全症候群という病にかかっておってな。それ自体は治せたのじゃが、後遺症として体内の術式を失ってしまったんじゃ。獣化は出来たがな。まあ、彼奴あやつ其方そなたのように死んだわけではないから状態は少し違うがの。その者が使っておった術式石プロト・ペトラの予備が残っておる」


 それを聞いたアキが少し真面目な表情になる。


「もしかして、それはこのメイド服の持ち主ですか?」


 セフルが静かに頷く。


「アキはその人のこと知ってるの?」


 人狼レアンの腕の中で、その顔を見上げながら少年が尋ねる。


「おそらくですが……五百年前に、クシミカ家にお仕えしていた護衛メイド。アキのご先祖様にあたる、リアキス様ですね」


 その名前を聞いたセフルの紫の瞳に懐かしさが宿る。


「そうじゃ。よく分かったな」

「リアキス様は、フィーア家史上、最もメイド服に拘っていた方だと言われていますから。アキも負けませんが」


 ご先祖様に謎の対抗意識を燃やすアキ。そこへ、目をキラキラと輝かせたナギが割って入る。


「リアキス様って、救国の英雄と呼ばれた、僕のご先祖様のナルスティア様の護衛メイドだった人ですよね?」

「そうじゃ。覚えておったか」


 感心してみせるセフルに、ナギが興奮した様子で言う。


「ナルスティア様のお話は、セフル様に色々と教えて頂きました。それもあってナルスティア様は僕の憧れの英雄の一人なんです!」


 嬉しそうなナギに微笑みを返しながらも、少し話の流れを変えるセフル。


「それは其方そなたが、その話を聞かんと眠らんと駄々を捏ねたからじゃよ。じゃが、一人と言うことは他にもおるのか?」


 セフルの複雑な思いに気付くことなく、ナギは身を乗り出して、高揚した顔を近づける。


「もちろん! お父様です! お父様は凄いんです!」


 興奮気味に話を始めるナギの大きめのおでこに、わざと褐色のおでこをぶつけるセフル。


 ごん!


「痛っ」


 ナギがぶつけられたおでこを抑えながら座り込む。


「こっちも痛い! じゃが、其方そなたはシンケルスの話になると、こうでもせんと止まらなくなるからのお」


 セフルも自分のおでこを摩りながら話を続ける。


「今日のところは話はここまでじゃ。二人ともこのまま泊まっていくといいじゃろう。アキの体もまだ本調子では無いし、ナギも疲れておるじゃろうしな。屋敷の方には先ほど伝えておいたから心配は無いぞ。アキの術式石プロト・ペトラは明日にでも出してきてやろう」


 セフルの言葉通りに疲れていたのか、食事中にもウトウトとし始めたナギは、食べ終わるとすぐに崩れ落ちるように眠りについた。

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