第3話「少年は大事な家族を取り戻す」

「ナギ、その者をわらわのところまで連れて来い! そうすれば、まだ助けられる!」


 泣き崩れるナギに声をかけたのは先ほどの駒鳥だ。


「でも、アキは結界の中には入れません!」


 力の抜けたアキを抱きしめながら叫ぶ。だからこそ、少年はいつも一人で結界の中を駆け上っているのだ。


「死に瀕した今なら入れるはずじゃ。理屈は後で教えてやる。とにかく早う連れてこい! 助けたくないのか!」


 駒鳥の発する精霊神の言葉に、少年は泣きじゃくりながら立ち上がる。


「すぐに白鹿がやってくる。協力して連れてくるんじゃ!」


 その言葉に、ナギは小さな体でアキの長身を引きずる様に背負いあげる。


「アキ……」


 助けてくれると言った愛の精霊神の言葉を信じて鳥居を潜る。いつもは通れないアキを背負って結界の中に入れることに驚くナギ。こんな時でなければ嬉しい出来事だったはずである。しかし、いまはそんな感慨に耽る余裕はなく、そのまま引き摺るように足を進めるナギ。普段はあっという間に駆け上っているつもりの参道が長く感じる。


「アキを助けなきゃ……」


 歯を食いしばりながら歩くナギの前に、白鹿が現れる。


「アキを運ぶのを手伝ってください」


 言われる前にしゃがんでいた白鹿の背中にアキを乗せるナギ。白い毛並みが赤く染まる。


「進んでください。僕は落ちないように支えます」


 その言葉に頷いてから白鹿が歩き始める。大きな人狼レアンの体がずり落ちないように小さな手が支える。急いでいるつもりなのに、進んでいる様に思えなくて涙を流してしまうナギ。


「あと少し、あと少し」


 自分に言い聞かせるように参道を登り切ると、鳥居の向こうに愛の精霊神の顔が見える。


「セフル様ぁ」


 一瞬涙声になって緊張の糸が切れそうになるが、なんとか踏ん張って、愛の精霊神の待つ境内に瀕死の状態のアキを運び込む。


「よく頑張った。こちらに移すぞ」


 セフルは白衣が汚れるのも構わずに血まみれのアキの体を抱える様にして、白鹿の背から宙に浮いた薄い台に移す。


「はやく! はやくアキに治癒魔法を掛けてください!」


 移動する台の横に付いて歩きながらナギがセフルに懇願する。血の気の引いた顔を見て、再び怖くなってきたのだ。


「無駄じゃ、すでに魔力回路が壊れておる上に、体内の自己魔力もほとんど残っておらんから治癒魔法は効かん。だからこそ結界内ここまで来れたのじゃ」


 それでもセフルが連れてこさせたと言うことは、何か方法があるはずだと少年は信じて疑っていない。


「セフル様、僕に出来ることがあれば言ってください」


 泣き出しそうな恐怖に襲われながらも、小さな拳を握りしめて、セフルを見詰めるナギ。宙に浮いた台を部屋の中心にある診療台に合体させて固定するとそんなナギに指示を出す。


「検査しておる間に服を引き剥がせ。切り刻んで構わん。急げよ」


 言われた通りにアキのメイド服を脱がせるナギだったが、血で張り付いた部分は鋏で切ってしまうしかなかった。その間にアキを乗せた診療台の画面を確認するセフル。


「やはり、肉体はすでにほとんど機能しておらん」


 アキの滑らかな真っ白な肌には、赤い花の様な大きな傷が何箇所にも刻まれていた。その赤い部分に診療台から取り外したペンの様なものを押し付ける。


「いまから治療機をアキに合わせて調整する。その間、名前を呼び続けよ。魂が輪廻の輪の中に溶け込んでしまったら、もう取り戻すことは出来なくなるぞ」


 ナギは血の気の引いた青白いアキの顔のそばで、その名を必死に呼び続ける。


「アキ、しっかりしてください! アキ! いかないで! アキ! アキ!」


 セフルはその間に卵の様な物を診療台にはめ込み、しばらくしてそれを取り外す。


「出来たぞ。治療機を注入して、まずは肉体を再生する」


 アキの体に咲いた毒々しい赤い花に、先ほどの卵の様な物を取り付けた注射器を押し付ける。セフルが何かを注入してから肌色の紙の様なものを貼り付けると、紙はすぐにアキの肌と同化して傷を塞いでいく。それを何度か繰り返すと見た目は綺麗になる。


「すごい、治っていきます」


 魔法ではないという不思議な治療にナギは目を丸くする。


「いや、表面だけじゃ。中身まで再生するにはまだ時間がかかる。じゃが、これで少しは時間が稼げたはずじゃ。その間に其方そなたに話がある」


 セフルの言葉に姿勢を正すナギ。


「このままではこの者は救えん。肉体が再生されても、それだけでは魂は肉体には戻らんからじゃ」


 セフルが言葉を区切るとナギは泣きそうな顔になる。


「そんな顔をするな。方法はある。じゃが、それには其方そなたの協力が必要じゃ。いや、この者を助けられるのは其方そなただけじゃ」


 瞳いっぱいに溜まった涙を手の甲で拭ってから、まっすぐセフルを見るナギ。


「アキを助ける為ならなんでもします。教えてください」


 その決意を込めた目に、セフルは強く頷く。


「アキを生き返らせるためには、離れた魂と肉体を結びつけなおさねばならん。これは其方そなたがアキを眷属者アマンテとすることによって成される」

眷属者アマンテってなんですか?」


 不安な気持ちがナギを質問に駆り立てる。


眷属者アマンテとは、魂を所有されし者のことじゃ。其方そなたがアキの魂を所有するんじゃ。そうすれば、アキの魂は、其方そなたの許可なく肉体から離れることが出来なくなり、肉体との結びつきも回復される」


 正確には所有者の再確認と言うべきかもしれんが……、セフルは心の中で呟く。


「問題は、いまアキの魂は死の記憶に包まれておることじゃ。その状態では誰もアキの魂に触れられん。触れられん限り眷属者アマンテとすることもできん」


 真っ直ぐ見つめるナギの瞳に気押されるように話を続けるセフル。


「つまり、その死の記憶をアキの魂から引き剥がさねばならん。そんなことはわらわにも無理じゃ。じゃが、其方そなたならそれができる。其方そなたの魂が魔力の中の憎悪因子オディオを濾しとってしまう性質を利用すれば、アキの魂を取り囲む死の記憶を濾し取り浄化することが出来る」


 褐色の額が素晴らしく広いおでこにぶつかる。彼女がナギに言い聞かせるときのいつもの姿勢だ。


「本来ならば其方そなたはこの儀式を行うには幼い。心も体も共に準備が完全には整っておらん。眷属者アマンテを持つには肉体が幼く、浄化を行うには魂が幼い。特に、死の記憶を濾しとれば、普段よりも格段に恐ろしい悪夢を見ることになるじゃろう。もし、それで其方そなたの心が折れればアキが生き返らんばかりか、其方そなたもどうなるかわからん。それでもやるか?」

「やります。アキを助けさせてください!」


 躊躇せずに答えるナギに、答えが分かっていたかのように頷くセフルが、おでこを離して立ち上がる。


其方そなたの覚悟はわかった。では、まずは其方そなたわらわの魂を結びつける。そうすることで其方そなたの魂は開かれ、アキを眷属者アマンテにすることが出来るようになる。とにかくまずはわらわに身を任せよ」

「はい!」


 流れた月日と、それでも変わらぬ魂に眩暈のようなものを覚えながらも、今は目の前の少年の純粋な思いに答えることにだけセフルは集中する。


 肉体を再生させているアキの隣に用意された台の上で一糸まとわぬ姿でナギを抱きしめるセフル。二人の肌は少し汗ばんでいる様にも見える。


「どうじゃ、わらわの魂と其方そなたの魂が繋がったのを感じるか?」

「はい。お腹の奥の方に、何か光りを感じます」


 褐色の肌に頭を預けながら少年が答える。


「それが其方そなたの魂が開かれた証じゃよ。本当はもっと時間を掛けたかったんじゃがな」

「これでアキを救えるんですね!」


 嬉しそうなナギにセフルも笑顔で答える。


「まずは第一段階じゃがな。さあ、早速、アキを眷属者アマンテにする儀式に取り掛かるぞ」


 二人は台を降り、隣で寝かされているアキの肉体に近づいた。甘栗色の緩く畝った短い髪も、同じ色の犬耳も、ナギの好きなふさふさの尻尾も、そして、張りのある肌にも、傷の一つも残ってはいない。まるでただ眠っているようにも見える。


「さあ、ナギ。死の記憶を排除して、アキの魂を捕まえよ。方法は其方そなたの魂が知っておる。アキを抱き締めれば自ずとわかるはずじゃ」

「はい」


 ナギは大切な人を取り戻す為に、その小さな体をぴたりと合わせて、先ほどセフルにされたようにアキの体を抱き締め、心の中でその名を呼びかけた。


 アキ!


 と……

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