ーーー3ーーー

 翌日古市は学校に来なかった。

 特に担任からも休みの理由などの連絡は無かった。

 

 インフルエンザの猛威は続き、ついによーちんが倒れた。

 武人と健斗と帰りにお見舞いに行こうかと話し合っていたが、インフルエンザで移るとまずいからと言う理由で行くのを止めておくことにした。

 クラスの雰囲気は先週と比べて大分重くなっている。病気上がりの人達があまり活発では無いのと、ハムスター事件が尾を引いてるのだと雄太は思っている。

 何より、いつもクラスの中心だった健治と翔太のグループが最近は大人しくなっているのが一番の原因だ。率先して遊びに行く事も無く、グループで集まっていつも何か話し合っている。

 クラスの中心が活発的では無いのだから、それにつられて周りもあまり騒ぐことが無く淡々と休み時間が過ぎていく。

 

 それでも給食の時間は楽しみだった。

 しかも今日はソフト麺の日だ。雄太はカレーの次にソフト麺が好きだった。何とも言えないもちもちとした麺の触感がたまらない。親に連れられてラーメン屋には偶に行くが、ラーメン屋のつけ麺に無い魅力がソフト麺には詰まっていた。

 麺に付けるソースも、ミートソースや醤油系のスープ、中華餡と色々ある。六年間で一度しかなかったが、カレーソースに付けるタイプの時はクラス中が湧き上がった。

 今日はオーソドックスな醤油系のスープだった。

 

 昼になり班ごとに机をくっつけ合って給食の準備をする。給食係が配膳ワゴンを運んでくると、ずらずらとその列にクラスメイトが並ぶ。雄太もその列に並び給食係からソフト麺とお椀に入った醤油スープ、ゆで卵にサラダを受け取り、最後に籠に入っている牛乳パックを取り席に戻る。

 全員の配膳が終わるのを待って給食係の頂きますの挨拶の後、給食に手を付けた。

 

「あれ?」


 大好きなソフト麺を一口頬張り雄太は眉をしかめた。


「どうした、雄太」


 一緒の班の健斗が突然声を上げた雄太を見る。


「いや、なんかこのソフト麺味しなくない?」

「えっ?」


 雄太の言葉に怪訝そうな顔をしながら健斗が一口ソフト麺を口に入れる。周りの班員も同様に一口スープを啜った。

 

「いや、いつも通りの伸びた麺の味がするぞ」

「伸びた麺の味ってなによ、普通に醤油あじじゃんね」

「特にいつもと変わらないなぁ」


 口々に雄太の言葉を否定する班員。

 そう言われた雄太は困ったように牛乳に口を付けた。


「あれ、牛乳も味がしない」


 ずずずっと一気に牛乳を吸うが全く味がしない。まるで水を飲んでいる様だった。


「いやいや、そんな馬鹿な」

「流石に牛乳は牛乳だよ」


 からかい半分で軽口を言い合う班員をよそに、雄太は他の食材も次々に口に含み味を確かめる。


「え、なんで。全然味がしない」


 流石に尋常ではない雄太の様子に、班員の中にも動揺が広がっていく。


「おい、雄太大丈夫か」

「味がしないって、なんか病気?」


 心配そうにしながら雄太に声を掛ける。

 周りの困惑したような様子を見た雄太は、これ以上周りに心配をかけるのが怖くなってきてしまった。


「あ、ごめん。うそうそ。嘘だよ。だまされた? 流石に牛乳は牛乳だよな」

「えっ、あ、なんだよ冗談かよ。びっくりさせるなよな」


 嘘を付いてしまった。味がしない昼食を無理やり口に入れながら平静を装う。

 味のしない食べ物を食べるのはただただ苦痛だった。口に入れ咀嚼しても全く食べている気にならない。それどころか異物を無理やり口の中に入れられている気分になってくる。

 我慢して口の中に放り込み、あまり咀嚼せずに牛乳で無理やり流し込む。今日は休んでいるクラスメイトも居るので、余ったソフト麺の取り合いジャンケンが教卓近くで発生しているが、とでもじゃないが参加できる気分でもない。

 

 味のしない昼食を無理やり食べ終え少し脱力する。


「大丈夫?」


 隣に座っていた水木優菜が声を掛けてくれたが、なんとか愛想笑いを浮かべて問題ない旨を表現した。

 彼女は心配そうにしながらも、これ以上声を掛けても無駄だと思ったのか別のクラスメイトとの話に戻っていった。

 昨日のアイドルバラエティ番組の話などを楽しそうに話してる。


 いつもは楽しい給食の時間が途端に苦痛になってしまった。

 周りのクラスメイトの楽しそうな食事の風景が妬ましくなる。

 早くこの時間が終わらないかと時計をちらちら見ては、クラスメイトの話に適当に相槌を打つ。


 長い長い昼食が終わり、午後の授業が始まる。

 国語の授業であったので、内容は聞き流しながら雄太は自分の身体に起こったことを考えていた。

 味覚が無くなった。

 給食ででたものが何の味もしなくなった。

 これがこのまま続くのだろうか、直らなかったらどうしよう。

 家に帰って晩御飯でも味がしなかったら親に言わなければならないだろうか。

 怖い。

 また病院に行って検査をすることになるのか。

 

 なんか病気なのだろうか。

 最近クラスでも病気が流行っている、もしかしたら自分以外にも味がしない子がいるのだろうか。

 でも給食の時間はそんな気配は無かった。

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。


 特に担任に指される事も無く、午後の授業が終わる。

 帰りの会がつつがなく終了し今日は遊ぶ事無く急いで家に帰る。

 武人やよーちんに心配されたが、問題ないよと愛想笑いを浮かべて家に走って帰った。

 


 *


「ただいまー」


 いつもより少し早い時間に家に付く。

 玄関のカギはかかっていなかったので母親は居るのだろうが、しかし返答は帰ってこなかった。

 

 またか。

 

 最近たまに帰った時に母親の反応が無いときがある。

 それは料理をしている時だったり、ソファーに座ってテレビを見ていたり様々だが、決まってその様な時の母親はぼうっとした表情で前方を見つめている。

 大抵はもう一度声を掛けると何事も無かったように動き出すが、最近少し頻度が上がってきており不安になってくる。

 

「ただいま」


 その日ももう一度母親に言葉を掛けると、ソファーに座ったまま顔をこちらに向けてきた。

 しかし、普段であれば何事も無かったように笑顔を見せるが今日に限っては無表情のまま焦点の合わない目でこちらを見つめてきた。


「お、おかあさん…」


 再度声を掛けるが母親の反応は無い。

 急に恐怖が湧き上がった雄太はゆっくりと後ずさりリビングを出ると、そのままダッシュで階段を上がり二階へ向かう。

 一度階段の上で振り返る。その視線の先には誰も居なかったが、今にも無表情の母親がにゅっと顔を覗かせそうな様子に慌てて自分の部屋に駆け込んだ。

 

「はぁはぁ」


 階段を駆け上がっただけで息が切れていた。息を整えながら後ろ手に部屋の鍵を閉める。そのままベッドに倒れこむと、布団をかぶって丸くなった。




 いつの間にか眠っていたらしい。

 真っ暗な部屋にカーテンを閉め忘れた窓から月明かりが漏れる。

 

 コンコン

 

 ドアがノックされる。

 ビクッと肩を震わし、雄太は布団をかぶる。


「雄太、帰ってるならただいまの挨拶くらいしなさいよ。気が付かなかったわよ」


 そう言いながら、部屋に入ってくる母親はいつもと変わらぬ口調で、先ほど見せた心ここにあらずな状態では無かった。


「どうしたの雄太、具合でも悪いの?」


 布団に包まる雄太を見て、驚き声を掛ける。

 ベッド脇まで近寄り、雄太のおでこに手を当てる。その際、一瞬ビクッと肩を震わせてしまったが、母親は気にはしていない様だった。


「熱は無いわね。食欲はある? ごはんもうすぐできるわよ」

「あんまり食欲無い」


 味がしない事を思い出し、途端に食欲がなくなる。しかし、身体は正直なものでそんな状況でも「くぅ」と腹の虫を鳴らせた。


「はいはい。ちょっと軽めにするからちゃんと食べなさい。そうしないと元気になるもんもならないわよ」


 そう言って雄太を起きるように即す。そのまま母親の後についてリビングへ向かう。

 手を洗い、うがいをしてから食卓に着く。暫くすると、母親が夕食を持ってきた。

 今日の献立はコロッケだった。コロッケとトマト、千切りキャベツが入った皿に、ご飯とわかめと豆腐の味噌汁だ。

 傍らの麦茶を飲む。やはり味はしない。

 コロッケに大量にソースをかけて口に入れてみるが、やはり味はしなかった。味の無い消しゴムを食べている気分になる。

 ごはんも、味噌汁も、トマトも、キャベツも、どれも味がしない。

 半分程度食べたところで気持ちが悪くなってきた。慌ててトイレに駆け込み、今食べたものをすべて吐き出す。吐瀉物特有の苦みや酸味も感じられない。

 

 心配した顔で母親もついてくる。それはそうだろう、真っ青な顔で食事を取っていたと思ったら、突然トイレに駆け込んで吐き出すのだ。心配しない方がおかしい。

 

「どうしたの雄太、やっぱり気分が悪いの?」

「味が…」

「味?」

「味がしなくなっちゃったんだ。何を食べても味がしないんだよ」


 涙を流しながら告白する雄太を見て、一瞬何を言っているのか分からないと言う顔をした母親だったが、気を取り戻すと雄太を抱きしめてポンポンと背中をたたく。


「大丈夫、大丈夫だからね。明日病院行こうか」

「うん」

「今日はもう食べられない?」

「うん」

「そっか、じゃあもう寝ようか」

「うん」


 弱気になった雄太は母親に連れられてそのまま自室に戻ると布団に入った。母親は雄太が寝るまで隣で一緒に手を握ってくれていた。

 


 *

 

 翌日は朝から母親に連れられて病院へ行った。この前精密検査をした総合病院だ。

 広い待合室では相変わらず多くの老人が自分の番を待ち席に座っていた。傍らにあるテレビで流れている番組も前とあまり変わらないワイドショーだった。

 内容も前と同じくT島町猟奇殺人事件の続報だ。ついに五人目の犠牲者が発見されたと、テレビの中でキャスターが興奮気味に話している。

 待ち時間は長い。今回は検査後普通に学校に通学する予定だったので、ゲーム機も持ってきていないので暇つぶしの道具も無い。

 よくよく考えたら、ゲーム機を持ってきても学校に行くときに母親に持って帰って貰えばよかったのだが、気が付いた時は後の祭りだった。

 そんな訳で大人しく待合室の椅子に座ってぼんやりしていた。

 

 ふとそんな時に目の端に見知った顔を見た。

 

(あれ、古市くん?)


 一昨日の暴力事件から学校に来ていなかった古市良夫が病院の診察室から出てくるのが見えた。お父さんなのかお兄さんなのか、少し厳つい男性に付き添われている。

 どうしたんだろう、とは思いつつもできるだけ見つからないように顔を伏せて観察する。

 診察室から出てきた古市は不承不承ながらも厳つい男性の後について、その先の精密検査室がある区域へ消えていった。

 古市くん、あの喧嘩でケガしたわけでも無いから何か昨日病気にでもなったのだろうか。

 少し心配しながら古市が消えていった精密検査室の方向を見ていると、母親から声が掛かった。


「どうしたの雄太、呼ばれたわよ」

「あ、うん。なんでもない」


 診察室は前と同じ最奥の場所だった。中に入るとこれも前回と同じく初老の医師と若い看護師が居た。


「お久しぶり」


 看護師は雄太にだけ分かるように笑顔で小さく手を振ると、医師の前の席を勧めてくる。

 初老の医師は特にこちらを一瞥することも無く、手元のカルテに目を落としている。


「前回の検査では特に問題はありませんでしたけど、今日は…」


 ペラペラとカルテを捲りながら内容を確認していく。

 

「ん、味がしなくなった?」

「はい、そうなんです。この子何を食べても味がしなくなったらしくて」

「味が、ね」


 そう言うと、医師は机の上に置いてあるヘラの様な舌圧子をつかみ取り、雄太に口を開けるように指示した。そして、白いカーテンの向こう側にいるであろう別の看護師に何かの溶液を持ってくるように指示をする。

 その間に雄太は言うことを聞き口を大きく開ける。看護師が後ろから後頭部を軽く押さえてくれている。

 医師は舌圧子を雄太の舌に中てると、ライトをかざして口の中を見る。


「うーん、特にこれと言って見た目でわかる異常はないですね」


 舌圧子押し付けたまま、ライトを持っていた手で綿棒を取り出すと、別の看護師が持ってきた溶液に付けてそれを雄太の舌に中てた。

 

「どう、ピリピリとした感じとかする?」


 口を開けたままなので返事ができない雄太は首を振った。

 ふむ、うねった医師は雄太の舌を抑えたまま、次は別の金属製の棒を下に押し付け、舌苔や粘液を採取して雄太を開放した。


「これ、検査に回して」


 雄太の舌からとったモノを専用の容器に入れ看護師に渡すとそのままカルテにミミズがのたくったような字を書きつける。

 一方雄太は口を開け続けていたために口元から垂れたよだれを、看護師から渡されたティッシュで拭いていた。

 

「検査結果が分からないと何とも言えないですね」

「そうですか」

「味が無いと食べるの大変でしょう。なにかゼリー状の栄養ドリンクとかで補いながら、軽く食事を取るようにしてください」


 分かっていた事だがこの場では解決はしなかった。検査の結果を待つしかないらしい。

 がっかりしながら母親に続き診察室出ようとすると、看護師が近寄ってきて手に飴を持たせてくれた。


「元気出してね!」


 両手でガッツポーズを作ると、看護師は雄太を励ました。

 彼女の胸に取り付けられた名札には「桜井」と名前が書いてあった。

 

 母親の会計待ちで先ほど貰った飴を舐めてみたが、やっぱり味はしなかった。

 


 *

 

 検査の日は結局学校を休んだ。

 翌日味のしない朝食を軽くと、栄養ドリンクを飲むと学校へ向かった。

 

 その日は武人もよーちんも、そして健斗も学校を休んでいた。武人も健斗も熱を出し、よーちん自体はインフルエンザだった。

 また、古市も学校に来ていなかった。あの喧嘩から一度も学校に来ていない事になる。

 やはり昨日病院で見た通り喧嘩とは別の、何か病気にかかったのだろうか。

 

 とはいえ雄太自身も他人を心配している余裕は無かった。

 だから気が付かなかったのかもしれない。教室の、クラスメイトの様子がいつもと違う事に。

 

 クラスは朝から静かだった。それは静かすぎるくらいだった。

 六年生、最高学年とは言え、まだ小学生だ。基本的に朝や休み時間、放課後など教師が見ていないところでは騒がしいのが常だ。

 しかし、雄太のクラスはひそひそとしゃべり合う声は聞こえてくるが、騒がしいと言うほど声をだして話している生徒は一人も居なかった。

 休み時間はおろか、授業中もしんとした時間が過ぎていった。

 放課後も次々と教室を出ていき、早々に教室には誰も居なくなっていた。

 

 雄太もいつもの面子が全員休みだった事と、自信の病気の事も重なり、休み時間、放課後と誰とも話す事無く早々に家に帰った。

 

 

 そして、雄太が自身の病気、食べ物の味がしなくなった事にも若干慣れ、何とか折り合いが付き始めたころ、余裕を取り戻したその時にふと気が付いた。

 そう言えば最近クラスメイト達と会話らしい会話をしていない。

 それどころか、親友だった武人、よーちん、健斗も自分によそよそしい振る舞いをしてくる。

 ハムスターの件はどうなったのだろうか、もう誰も話題にしていない。

 あれから古市は学校に来ていない。

 母親も心ここにあらずといった感じでぼうっとする事が多くなった。

 病院からは検査結果はやってきていないようだ。


 少しずつ噛み合わない歯車。

 しかしそれは全体で見ると、雄太の世界が全て変わってしまったかのように映った。

 

 何が起こっているのだろうか、何故こんな事になっているのだろうか。

 

 自問自答しても答えは返ってこない。

 誰かが答えを返してくれるわけでも無い。

 

 どこからともなく、雄太の頭の中に「パンっ!」という音が響いた。

 

 そして世界は暗転した。





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