第7回「噂の学園一美少女な先輩は、ちょろ可愛い」

 教室に戻るとすでに半分くらいの生徒の姿が見えなくなっていたが、理乃はまだ席にいた。委員長と席をくっつけて控えめに談笑している。


「あ、祐――」


 俺の視線に気づいた理乃が話しかけてきた。でも、その言葉が終わらないうちに理乃の表情は固まり、言葉は立ち消えていった。


 俺はコピー用紙の束をぎゅっと握りつぶしながら、親指で廊下を示した。


 先に教室を出て、特別教室棟に続く渡り廊下の方に向かう。振り返ると理乃がちょうど教室を出るところだった。


 がらんとした渡り廊下で理乃が追いついた。


「……そうだよね、あたしと話してるところを見られるとまずいよね」


 ぼそっと言う理乃の言葉に、頭を殴られたような衝撃が走った。


 あんなにいつも快活で明るい理乃のそんな姿を見るのは耐えられなかった。大丈夫だ、理乃にどんな過去があったって俺は、俺だけは理乃のことを分かっている。


「教室じゃ訊きにくかったからさ――」


 それを証明するかのように、俺はコピー用紙を見せた。そこには三年前の理乃がいる。


 理乃は大きく目を見開いた。


「これ、理乃だよな?」


「……そうよ」


 理乃は泣きそうな顔で答えた。


 目線を落としてその言葉をかみしめる。


「そっか……でもだいじょ」


「……祐もあたしを疑ってるのね」


「え……、いや違」


 震える声に俺が顔を上げると、理乃の大きな瞳から一筋の涙がこぼれていた。震えを抑えるようにぎゅっと結んだ口もとから嗚咽が漏れる。


「理乃!」


 理乃は振り返らずに走り去った。


 その涙を見て、俺はようやく自分がしでかしたことの重大さに気がついた。




 最低の気分のまま放課後を迎えた俺は、お昼の階段に衣川先輩を呼び出した。


「祐の呼び出しは嬉しいんだけど……どうしたの? ひどい顔してる」


 鞄を抱え、不安そうに俺の顔を覗き込む衣川先輩に意を決して言う。


「あのUSBメモリで乗っ取ったPC、見せてください」


「にゃ、にゃんのこと?」


 噛んだ上に目が泳いでいる。分かってはいたけど一目瞭然だった。


 衣川先輩は「悪用される前にUSBメモリを回収する」と言った。持ち主は自分だとも。だったら、乗っ取ったPCを操作する手段も衣川先輩は持っているはずだ。


「あるんですよね、すでに乗っ取られているPC。見せてくれませんか」


「なんで? 祐はこっちの人じゃないでしょ。それともあっちの人?」


 誤魔化せないと思ったのか、衣川先輩は軽くため息をついて訊く。


 こっちとあっちが何を指しているのか分からない。そう訊くと、衣川先輩は「こっちは私。あっちは私の敵」と答えた。


 こっちでもあっちでもない――今までの俺なら。衣川先輩が犯罪めいたことに足を突っ込んでいることは分かっていたけれど、それから目を背けていた今の俺ならそう答えていただろう。


 でも、それじゃもう理乃は救えない。


「こっちの人ですよ」


「ふうん、そっか」


 衣川先輩はそれ以上は訊かず、鞄からスマホとノートPCを取り出してなにやら操作し始めた。ノートPCの画面にはブラウザが立ち上がっていて、そこに文字や数字が整然と並んでいる。


「あのUSBメモリでpwnしたのはこの一台だけ。今はオフラインだからすでに取得している情報しか取れないわ」


 pwnがどんな意味なのかは分からないが、多分、乗っ取った、とかそういう意味なんだろう。指さす先には「NOTEPC-6BJRD8」と書かれたリンクがあった。


「これ、誰のものか分かりますか?」


「今の情報だけだと分からないわ。状況的に教師のものだとは思うけれど……」


「どんな情報があるんですか?」


「アカウント情報、アプリケーション情報、画面キャプチャと一部のファイルコピー」


 衣川先輩は操作しながら答える。そのPCのデスクトップにはぽつん、と日付を付けた圧縮ファイルが置かれていた。


「これ、中身は見られないんですか?」


「暗号化されてるから、すぐには無理。ファイル名だけなら分かるわ」


「……これ、やっぱ試験問題ですかね?」


 ファイル名は『2018―1 中間試験数学.jhd』とある。


「中身が分からないから断言はできないけど、拡張子もそれっぽいわね」


「拡張子って、このjhdのことですか?」


「ええ。これは花子で作ったものね。数学の図形が描きやすいのと、一太郎との連携がしやすいから試験問題作成でよく使われてるグラフィックソフトよ」


 俺は腕組みして考え込んだ。犯人はUSBメモリを使って教師のPCの操作を奪い、そこから試験問題を窃取した――今、俺たちがやっているように。それが明らかになれば理乃が援助交際をして試験問題をもらっていたというデマだけは覆すことができる。


 たとえ、その犯人が理乃本人だったとしても。


「おかしいわね……」


 衣川先輩のつぶやきに意識を戻される。


「どうしました?」


「このPCに花子はインストールされていないのよ。だから、さっきのファイルをこのPCで作るどころか、見ることすらできないはず」


「それってどういうことなんですか?」


「このPCは問題を作成した教師のものではなくて、なんらかの方法で試験問題ファイルを手に入れた人のものかもしれないってこと」


「つまり、このPCは被害者ではなく犯人のもの……?」


 衣川先輩は「かもしれない」と言ってうなずいた。


 訳が分からなかった。


 なぜ、被害者ではなく犯人のPCが乗っ取られているんだ?


 被害者のPCではない、だから犯人のもの、という考えはちょっと短絡的過ぎる。でも、試験問題が存在しているのであれば、まったくの無関係であるわけがない。


「他に中身が見られるファイルはあります?」


「あとは動画ファイルの断片。一応再生はできると思うわ」


 衣川先輩がメディアプレイヤを起動すると、公園らしい風景が映し出された。そしてぱたぱたとフレームに収まるように女の子が入ってきた。


「理乃……」


 そこに映っていたのはまぎれもなく理乃だった。


 記憶がつながる。この場所は理乃がダンスの練習をしていた公園だ。


「これ、理乃自身が撮影したものですよね」


 衣川先輩もうなずく。試験問題と一緒に理乃の自撮り動画があるなんて、状況証拠としては十分すぎる。絶望的な状況に俺は天を仰いだ。


 いや、ちょっと待てよ。


 そうなると、犯人はどうやって試験問題を盗み出したんだ?


 俺たちはUSBメモリを使って教師のPCを乗っ取り、そこから試験問題を盗んだ、と考えていた。でも、このPCが教師のものではないとしたら――乗っ取られた教師のPCなんてものがなかったのなら、犯人はどうやって試験問題を手に入れた?


 逆にこのPCが教師のものだったら、今度はその教師はどうやって理乃の動画を手に入れたのか、疑問が残る。


 俺がそう言うと、衣川先輩は「少し調べてみる」と、管理画面を操作し始めた。


「ああ、やっぱりそうだわ」


 独りごちる衣川先輩の続きの言葉を待つ。


「本当ならもっとPCのファイルのコピーが取れていてもいいはずなのよ。このPCに入ったRATは遠隔操作よりも情報を根こそぎ持って行くのが目的だから」


「どうしてあまり取れてないんですか?」


「オンラインの時間が短いからね。いつも夜の数時間しかオンラインにならない」


 衣川先輩は文字の羅列を指す。それがなにを意味しているのかは分からないが、「23:07:12」という時刻のところだけは読み取れた。


「職員室にあるPCじゃなさそうですね」


 職員室のPCだったら、朝の八時から夕方七時くらいまでは電源が入っているはずだ。少なくとも、夜の十一時頃だけ電源を入れるなんて動きにはならない。


「確かに――あら?」


 別の情報を確認し始めた衣川先輩の指が止まる。


「職員室のESSIDが登録済みになってるわ」


「ESSID? なんですかそれ」


「ワイファイ」


 じゃあ最初っからそう言ってくださいよ。


 あと、どうして衣川先輩は職員室のワイファイを知ってるんですかね。


「つまり、このPCは職員室のネットワークにつながっているってことですか?」


「現時点でそうかは分からないけど」


「じゃあやっぱり、先生のPCってことなのか……」


 予想が二転三転し、今までの前提が崩れていく。


「でも、それだと昼間ずっとオフラインになっている理由が付かないわ」


「先生の個人用ノートPCってことは考えられないですか? 自分のノートPCを持ってきて、こっそり試験問題を持ち帰って家で仕事していたとか」


「ありそうなシナリオだけど、このPCには花子が入ってないのよ」


 そうだった。


「じゃあ、職員室のネットワークに侵入した犯人のPC」


「……」


 衣川先輩は黙り込んだ。


「あのUSBメモリ、理乃から回収したんですよね?」


「……どうしてそうだとお思いになるんですか」


 急な敬語はバレバレだから気をつけた方がいいんじゃないですかね。


「だとしたら、これは理乃が乗っ取ろうとした梅屋のPCかもしれない」


「だから、どうしてそうだとお思いになるんですか」


 怒ったように衣川先輩が言う。ぱっちりとした瞳にぷくっとふくれた頬は必死に抗議をする子猫のようで、思わず笑みがこぼれる。


 衣川先輩は口ではなんだかんだ言いつつ、理乃は援助交際もしてないし、試験問題を盗み出してもいない――そう信じたがっている。たとえすべての状況証拠が理乃が犯人だと言っていて、それを否定できなくても、ただ、信じたいんだ。


 俺は夜の公園で話をしていた二人の姿を思い出す。そのときの衣川先輩の言葉が蘇る。


 ――子供が大人の食い物にならないために、私たちは武器を持たなきゃいけない。


 あのとき、確かに二人の間には言葉にしなくても通じ合うなにかがあった。だから、衣川先輩は理乃が犯人でなければいいと思いながらも、それを受け入れている。


 でも、俺は違う。


 理乃はきっと、変わってない。昔っから、きらきらした瞳で笑顔を振りまいて、見る人を幸せにしてくれる可愛い女の子――そう、理乃は最初からアイドルだったじゃないか。


 今もあんなに夢に向かって頑張ってる理乃が道に外れたことをするはずがない。


「ああもう!」


 俺は頭を掻きむしって立ち上がった。


「どうしたの?」


「また、嫌われてきますっ!」


 俺は振り返らずに階段を駆け下りた。

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