第4回「噂の学園一美少女な先輩と、初デート?」

 アニメショップで新刊のラノベを買うと、俺たちは来た道を戻って駅に向かった。公園に差し掛かったところで、うちの制服を着た女子高生にぶつかりそうになった。


「ご、ごめんなさい!」


「いや、こちらこそ……あ?」


「? たすく? と……え、あ、衣川ころもがわ先輩?」


 その女子高生は理乃りのだった。理乃はただでさえ大きな瞳をさらに見開いて俺と衣川先輩を見つめた。


「なんで祐と衣川先輩が一緒にいるの?」


「あーいや、ちょっと、というか、たまたまというか」


「こんなところに一緒に来るのがたまたま?」


 理乃は半眼で俺を問い詰める。衣川先輩は、


鷹野たかのくんが買い物に付き合わせてくれたの」


 と、なぜかちょっと誇らしげに答える。なんだかすごく居心地が悪い。すいません、衣川先輩。俺はそんな、買い物に付き合うことを自慢できるような立派なヤツじゃないんですよ……。


「あんたなに考えてんのよ。ごめんなさい、衣川先輩。なんでそんなことになったか分かんないですけど、どうせろくに面白い話もできなくって退屈だったでしょ、祐といても」


 なんで理乃が謝るんだよ。まあ、ぐうの音も出ませんけど!


「ううん、とても幸せな時間だったわ。付き合うってこういうことだったのね」


「「つ、付き合う!?」」


 俺と理乃がハモる。俺もびっくりだ。


「ちょ、ちょっと待ってください。あの、お二人は付き合ってるんですか?」


「ううん、違うわ。だって……そんな畏れ多いことできないもの」


 なんか理由おかしくないですかね。


「でも……いつかそうなったらいいと思う」


 衣川先輩は照れくさそうに、もじもじと小さい声で言う。その様子に反比例するかのように理乃の目つきが険しくなる。


「好みは人それぞれだとは思いますけどね、衣川先輩。幼なじみでずっと昔から知っていて、お互いに祐、理乃と呼び合う関係のあたしから言わせてもらえれば、今の祐はつまんないヤツですよ。普通の人に分かるような良さなんて、皆無ですからね」


 なんだかすごく説明くさいセリフを吐く理乃。


「幼なじみでも分からない良さを私だけが知ってるってことは、ひょっとして世界で一番、鷹野く……祐のことに詳しいのは私なんじゃないかしら」


 むちゃくちゃポジティブだな、この人。


「ふ、ふん。あたしは祐の悪いところもたくさん知ってますけどね。良いところしか知らない人は長続きしないものですよ」


「祐に悪いところ……? あ、ひょっとして欠点のないことが欠点、てやつ?」


「ちっがーう!」


 理乃がぽすぽす、と地団駄を踏む。四十キロもない理乃だとどうにも迫力に欠けて、地団駄というよりはダンスのステップみたいだけど。


 あれ?


 俺はさっき踊っていた女の子の既視感の正体にようやく気づいた。


「ひょっとして理乃、さっきここで踊ってた?」


「! 見てたの? うわ、恥ずかしい」


「どうして恥ずかしいの?」


 不思議そうに衣川先輩が訊いた。


「公共の場である公園で踊っていたのだから、人に目撃されることは十分予想可能だと思うのだけれど」


「そりゃそうですけど……」


「それに、あなたのダンスはとても素晴らしくて、恥ずかしがるようなものではなかったわ。鷹野く……祐もキレッキレだって言ってたし」


「あ、ありがとうございます」


 不意にほめられて面食らう理乃。俺にすっと近づくと小声で囁いた。


「あとでどういうことか説明しなさいよ、祐が」

 まったく説明できる自信がないんだが……。




「今度オーディションがあるのよ」


 公園のブランコに座った理乃が答える。衣川先輩はその隣のブランコに座っていて、俺はその二人に向かい合うようにブランコの柵に腰掛けていた。


「どこかのダンスチームとか、そういうの?」

 んー、と少し迷ってから理乃が恥ずかしそうに言う。


「アイドルのオーディション」


「アイドル?」


 思わず訊き返す。理乃はうん、と少しはにかむような表情で肩をすくめた。


 確かに小さい頃、理乃の夢はアイドルだったのは覚えている。でも、高校生の今になってもそんなことを考えていたとは思いもしなかった。理乃は週二でダンスレッスンとボイトレに通い、その間を縫うようにレッスン料を稼ぐためのバイトに勤しんでいるという。


「ねえ、祐。アイドルってどうやってなるの?」


 衣川先輩はなぜか俺に訊ねる。


「よく分かんないですけど、まずは芸能事務所に所属するんじゃないですかね? スカウトされたりして。そっからデビューして、芸能活動を始めるんだと思いますよ」


 俺は自分の知っているイメージだけで答えた。その言葉を理乃が継ぐ。


「一般的にはそうだと思うけど、あたしは最初っからは事務所に所属したくないんだ」


「そんなことできるの?」


「うーん、分かんないですね」


 理乃は衣川先輩にそう答えると、軽く地面を蹴ってブランコを揺らした。白いハイソックスにチェリーのワンポイントが宙を舞う。


「なにか理由があるの?」


「そんなに深い理由はないんですけどね。あたし、バカだから」


「バカとその理由になにか関係があるの? 深い理由がなければ確実な方法を選べばいいと思うのだけれど」


 衣川先輩は言葉を選ぶべきじゃないですかね。


「バカで悪かったですね」


 理乃がムッとして言い返す。ほらあ。


「でもバカと言ったのは西村さん、あなたよ? バカじゃないの?」


 最後の一文はどっちの意味だ? 俺が判断しあぐねていると、理乃がはぁ、と一つ大きなため息をついて言った。


「バカなんでしょうね、衣川先輩の言うとおり」


「バカと言ったのは私じゃなくてあなたよ、西村さん。バカと言う人がバカだって小学校で習わなかったの?」


「衣川先輩、頼むからもうしゃべらないでください……」


 ナチュラルに追撃する衣川先輩に、俺は両手を挙げて懇願した。


「とは言うものの、正直なところ、俺も衣川先輩と同じ意見かも。アイドルがみんな事務所に所属してるんだったら、理乃もそうすればいいんじゃない?」


「そんなことない。今はフリーランスのアイドルも増えてるもん」


 理乃は口を尖らせる。衣川先輩には「分かんない」って言ったくせに。


「フリーランスって、仕事がこなければただの自称アイドルでしょ」


「仕事がくれば自称じゃなくなるもん。それに、実績ができれば大手事務所にも入りやすくなると思うし」


「それだと順番が逆じゃない? 最初っからフリーランスだと仕事とれないでしょ」


「だからオーディションを受けるのよ。だって、事務所が信用できるかどうか、分かんないじゃない」


「有名タレントが在籍しているような知名度の高いとこなら大丈夫でしょ」


「そんなところに入れるかどうか分かんないし、入ってもその他大勢みたいな扱いならチャンスなんか来ないよ」


 その他大勢にはチャンスなんかない――一般論なんだろうけど、その言葉はちくりと俺を刺す。


「でも、弱小プロダクションに入っても、事務所の力がなくて活躍できないかもしれないよね。フリーランスと変わらないんじゃない?」


「かもね。でも、アイドル活動のハードルはきっと大手より低いと思う。地下アイドルかもしれないけど」


「地下アイドルなんて……」


 俺は「それがなりたいアイドル像なの?」と訊こうとして口をつぐんだ。


 理乃の淀みない答えは、そのことを何度も考え、何度も自問自答してきた証拠だろう。俺のような素人がその場で考えたことなんて、理乃はすでに考えているはずだ。


「ごめん」


 俺は素直に謝った。理乃は少し表情を和らげた。


「ううん、みんなそんな感じだもん。だからあんまり人には言ってないんだ。祐にも今日会わなかったら言うつもりなかったし」


 鉛のように、鈍く重たい言葉だった。前に進もうとする理乃の足にしがみつく、よくある考え、よくある言葉――それは俺のようなその他大勢が安全な外野からしたり顔で語る言葉だ。


「理乃の夢は昔っからアイドルだったもんな」


「ずっとそうだったわけでもないけどね。祐はもう、探偵になる夢は諦めたの?」


 痛いところを突かれて、一瞬言葉に詰まる。


「……小さい頃の話だよ。それに、今の探偵が浮気調査ばっかりで、シャーロック・ホームズにはなれないなんて知らなかったから」


「シャ、シャーロック?」


 衣川先輩が小首を傾げる。衣川先輩だもんな、と勝手に納得する。


「そこ行くとあたしって、やっぱ子供なんだよね」


 理乃はあまり子供っぽくない胸に手を置いて言った。なぜかそれを見ていた衣川先輩も同じ仕草をして「……くっ」と苦虫を噛み潰したように口もとを歪める。


「そんなことないよ。夢は変わらなくても、ちゃんとそれを叶えるための方法を考えて、しかもそれを実践してるんだから、子供じゃないと思うよ」


 大人だから夢を諦める――そんなのはただの言い訳だと自分でも分かってる。ましてや、夢を諦めない理乃のことを子供だなんて思うはずもない。


 でも、理乃は「そうじゃないの」と首を振った。


「子供って力は弱いし、世間を知らないし、頭も大人に敵わないから……だから、大人の」


「食い物になる」


「そう」


 二人の言葉に思わず「えっ」と声が出た。


「だから、あたしは練習して、勉強して、いろんなことを知って、強くならなきゃいけないの。いつまでもバカじゃダメなの」


「その通りだわ。子供が大人の食い物にならないために、私たちは武器を持たなきゃいけない」


 理乃はブランコを止めると、衣川先輩の顔をじっと見た。そして、少し俯くと「うん」とだけ答えた。小さいけれど、思いのこもった声だった。


 俺は二人の様子をぽかんと眺めていた。


 二人の言葉とは裏腹に、自分だけがひどく子供な気がした。



「いけない、もうこんな時間」


 スマホの時計を見て、理乃はいそいそとバッグを手に取った。


「これからバイト?」


「ううん、今日は美和ちゃんに図書館で勉強見てもらうことになってるんだ」


 九重美和ここのえみわ――学年首席かつ委員長の優等生だ。学校では理乃と特別仲がいいようには見えなかったから意外だった。


「理乃と委員長って仲良かったんだ。知らなかった」


「同中だもん」


 どうりで知らなかったわけだ。俺と理乃は幼稚園から一緒だったけれど、理乃が女子校に進んで中学は別々になった。その後、理乃は家庭の事情で引っ越していって、学校だけでなく自宅までも離れてしまった。だから、高校で再会したときにはお互いびっくりしたものだ。


「じゃ、またね。衣川先輩もありがとうございました。祐のことは考え直した方がいいと思いますけどね」


 足早に去って行く理乃の後ろ姿を見ながら手を振る。


「頑張ってんだなあ、あいつ」


「ほんと、頑張ってるのにね」


 衣川先輩は理乃の後ろ姿をずっと眺めていた。その表情はどこか悲しげだった。

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