第2回「噂の学園一美少女な先輩は、モテる」
昼休み。
教室の自席で一人、弁当を食べながら俺は
遠くで見かける衣川先輩は美少女だけれど、近くで見る衣川先輩は度を過ぎた超美少女だった。初めて間近で見た俺は「近寄りがたい美少女」というものが概念ではなく実在することを知った。
そんな衣川先輩に抱きしめられたなんて、今もってまったく実感がもてない。さっきから今日の出来事を一つ一つ遡って、どこから夢だったのか思い返しているのだけれど、どうも現実であることを否定できない。信じがたいけれどきっと現実なんだろう。
そのとき、目の前の弁当がいきなり跳ねた。
「うわっ」
テニスボールをもてあそんでいた男子生徒の手元が狂ったようだ。直撃を受けた俺の弁当は無残に床に落ちていた。
「悪ィ悪ィ、ごめんな」
男子生徒は机に座ったまま、片手で手刀を切る。
「ああ、うん。大丈夫」
俺は笑って席を立ち、ボールを返すと落ちた弁当を片付け始めた。
「ちょっとあんたたち、ひどいんじゃないの?」
ガタン、と音を立てて立ち上がったのは百四十センチそこそこの小さな女の子、
「だから謝ったじゃねえか」
「謝るだけで済ますのおかしくない? って言ってんのよ」
「いいよいいよ、理乃。大丈夫だから」
俺は慌てて理乃をなだめる。
「ほら、
「そんなわけないでしょ。あんたのせいでお弁当ひっくり返されちゃったんだから、せめて片付けとお昼代を出すくらいはしなさいよ」
「大丈夫だよ、理乃。もう片付けは終わったし、今日はどうせ食欲なかったから」
「ほら見ろ。西村が口出ししてややこしくしてんだよ」
勝ち誇ったような様子の男子生徒に、理乃が口を尖らせる。
「理乃、ほんと大丈夫だから。俺は全然怒ってないし」
「じゃあ
理乃は俺をむぅっとしたふくれ面で睨み付ける。怒ってるのはわかるけど、くりくりした瞳が可愛くて全然迫力がない。男子生徒の方はと言えば、もうとっくにこの話は終わったとばかりに友達とだべり始めていた。
「ごめんな、理乃」
「ばっかみたい」
理乃はぷいっと背中を向けて席に戻った。理乃と机を合わせている女子生徒たちが「ほっときなよ」と言っているのが聞こえてくる。
俺は気まずくなって、残飯と化した弁当をしまうと教室を出た。
別に行くところがあるわけでもない。図書室ででも時間をつぶすか、とポケットに手を突っ込むと、小さななにかに手が当たった。
それは、衣川先輩の後に残されていたUSBメモリだった。
ちょうどいい。これの中身を確認しておくか。
俺はコンピュータ部の部室に向かった。
「お邪魔しまーす」
声をかけながら引き戸を開けると、モニタの陰からペンギンの頭がひょこっと現れた。
「ちーす、タカノー。珍しいなー」
「よ、
顔の半分を覆っていたパーカーのペンギン型フードを後ろにずらすと、眠そうな眼鏡の笑顔が露わになった。
「お前、ほんとここが好きだな」
昼休みだからか、PCの並んだ部室に他の部員は見当たらない。
「ゲーム禁止になって先輩方は部活に出てこなくなっちゃったけどなー。どしたー?」
「ちょうどよかった」
俺はポケットを探ると、USBメモリを取り出した。
「ちょっと、これの中身見せてもらいたいんだけど」
「何これー」
「拾った」
「ふぅん」
亜弥はパーカーの長い袖の上からUSBメモリを受け取ると、ポケットから小さなアーミーナイフを取り出し、慣れた手つきでガワを開いた。
「いや、中身ってそういう意味じゃなくって……」
「あー、やっぱりそうだー。Phisonの二三〇七だー」
どういうボケだよ、と思ったけど、亜弥は思いのほか真面目な顔で言う。
「よく分かんないけど、それがどうかしたのか?」
「これ自体がどう、てわけじゃないけどなー。拾ったUSBメモリのチップがコレだって言うんなら、やばい可能性が高いなー」
どうにも回りくどい言い方で分かりにくい。厳密さを求めるプログラマの性なんだろうか。
「Phisonの二三〇七にはファームウェアを書き換えるためのツールが出てるー。Psychsonって言ってなー、元々は二三〇三用だったんだけどー」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。つまりその、ファームウェア? ってのを書き換えるとどうなるんだ?」
「デバイスクラスを偽装できるー」
「俺にもわかるように言ってくれ」
「USBデバイスの挙動をエミュレートできるー」
「俺にもわかるように言ってくれ」
亜弥は話し足りなそうにしながらも、言葉を選ぶように言った。
「PCを乗っ取れるー」
「まじか」
コンピュータ部の部室を後にした俺は、その足で衣川先輩の二―Bの教室に向かった。
結局、亜弥はUSBメモリになんのファイルが入っているのかを見せてくれなかったけれど、そこまで中身が見たいわけでもない。もしかしたら、衣川先輩に関するなにかが入っていたりするかも、くらいの軽い気持ちだった。
それより、これを返すという口実で衣川先輩と話す機会を作る方がいい。抱きしめてくるくらいだし、控えめに言っても俺に対して悪い印象は持っていないはずだ。もしかしたら俺のことを好きなのかもしれない。抱き付き魔でもない限り、きっとそう。
そうだよな。普通に考えてそうだよな。
もしかして、なにかここでこの平凡な学生生活を一変させる、大逆転的ななんかが起こっちゃったりするかも――反応が変わったのが俺の名前を知ってから、というところはちょっと気になるけど。
「すいません、衣川先輩いますか」
俺はちょうど出てきた三人の女子生徒に声をかけた。
「衣川さん? いないよ」
真ん中の女子生徒がうんざりしたように答える。
「どうせ体育館横の行き止まりだから順番待ちしてたら?」
「はぁ……」
順番待ちってなんのことだろう。
俺はよく意味がわからないまま、体育館横に向かった。
体育館の隣には武道場があり、その間に細い路地裏のような空き地がある。覗き込むとそこに向かい合う衣川先輩と男子生徒が見えた。衣川先輩は退屈そうに髪の毛をくるくるいじりながら目を背けている。
「衣川さん、やっぱり俺は諦めきれないよ」
男子生徒のバリトンが響く。背を向けていて顔はわからないけれど、その特徴的な「いい声」には聞き覚えがあった。たぶん、三年の生徒会長だ。
「好きだ。付き合ってくれ」
直球の告白に思わず身を隠す。やべえ、すげぇところに出くわしちゃったよ。
ひょっとして「順番待ち」ってこのことか? 俺が告白すると思われたのか。
「付き合うって? なんで?」
刺々しい口調の衣川先輩の声が聞こえてくる。
「俺と付き合ったらきっと、俺のことを好きになるよ。そうなるように努力する」
「付き合うと、相手に好きになってもらえるってこと?」
「ああ、約束する」
「付き合うって、どういうことするの?」
「例えば……一緒に帰ったり、マックとかサイゼに寄り道したり、二人でプリクラ撮ったりカラオケ行ったり、いろんな楽しいことしたりして……」
「……」
沈黙が続く。見ると、衣川先輩はうっとりとした様子で視線を虚空に向けていた。
「一緒に帰ったり、寄り道したり……素敵ね」
「じゃあ!」
生徒会長の弾んだ声が聞こえ、俺はたまらずその場を離れた。
その他大勢に過ぎない俺が学園一の美少女と付き合えるわけないから、別になんとも思わない。絶対、思ってない。
そう自分に言い聞かせながらも、なぜか俺は失恋したような気分だった。
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