第39話 呪われた聖女

「最初からあなたの事は気に入らなかったんですよ。リリア様も安っぽい正義感だけで後先考えない、ただの馬鹿ですし。に出てくるような、魔族の皇帝を本気で倒せると思ってるんですか? あなた達に付き合うのは、もうごめんですから。ほっといて下さい!」


 キュイールは目に涙を溜めながら、悪態あくたいをつく。


「何言ってんだよキュイール、ぶっとばすぞテメー」


 するとバレフォールの剣が、今度はキュイールの喉元に当てられる。


「何なら今ここで首をはねて処刑しましょうか? 今回の事件の首謀者しゅぼうしゃとして広場に首を晒してしまえば……」


 バレフォールは涼しい顔をして、キュイールの喉元に剣を食い込ませると、一瞬表情が凍りつく。


 シーブルは魔力切れ、リリアは戦える状況じゃない。俺も実際には疲労がかなり蓄積ちくせきしている。


「よせフォール、どうせやるなら大勢の民草に見てもらおう、こいつの首が落ちる瞬間をな……最初で最後の晴れ舞台なんだからさ、ククク」


 打つ手をなくした俺を見透かしたレイユは不敵な笑みを浮かべて、バレフォールを制止する。


「そうそう、その顔だよ。いい表情だ、平民はそうやって貴族の言う事をただ黙って聞いていればいいんだよ。大人しくしていれば、この出来損ないも悪いようにはしないさ。それじゃあな、リリア様と


 レイユは高笑いをしながらキュイールを連れてバレフォールと立ち去った。


 相変わらずリリアは呆然としている。能力的に有利な相手に剣で負け、キュイールの言葉を聞いて心が折れてしまったようだった。


 俺はシーブルを背負って、一度宿に戻る事を提案した。


「リリア……キュイールの言葉は嘘だ。俺に嘘は通用しねぇ、必ず助ける。まだ終わった訳じゃねぇ」


「そうだよね、嘘だよね……でもごめん。私、何でこんな弱いんだろ、何も出来なかったよ。また、負けちゃった――」




「――まだだ、生きてる限り負けじゃねぇ」




 リリアは目に悔し涙をいっぱい溜めて、空を見上げた。




「笑っちゃうでしょ? 何が聖女だって。こんなので世界を救える訳ないって。笑っていいよ、バカにしていいよ」



「……全然笑えねぇ」



 リリアは大きく息を吸い、顔を歪ませて叫んだ。





「世界を救うなんて、自分で望んだんじゃない! 勇気の加護なんて……別に私じゃなくてもいいじゃない。どうして私なのよ!?」




 ポロポロと涙が頬を伝って流れている、こんなに感情を剥き出しにしたリリアを見たのは初めてだった。


「誰にも言えなかった、お父様、お母様にはもちろん、周りの大人にも……幼馴染のキュイールにさえも! みんなが私に期待するから!」




 リリアはうなだれたまま、少しの間黙っていた。時折鼻をすすり身体を震わせる。




「本当はね……戦うの好きじゃないの、小さい頃からずっと。突然、加護が発現してみんなから『聖女様』って言われて、もてはやされて……気が付いたら剣を握らされてた。自分の気持ちを伝える隙間なんてなかった。強くならなきゃ――お兄様の仇を取らなきゃって必死で稽古した。私にはそれしか選択肢がなかったの」




 俺は何も言えずに、黙ってリリアの言葉に耳を傾けた。


 正直意外だった、俺は当たり前のようにリリアがこの世界を救いたいと、自分から望んで戦っているのかと思っていた。

 でもよく考えてみれば、戦うのが好きじゃないなんて、いたって普通の事だ。聖女として生まれてしまったから、をしてきた。

 彼女は戦わされているのだ、世界を押し付けられているのだ。まだ二十歳そこそこの娘が背負っているものはあまりにも大き過ぎた。


 俺なんかとは違い過ぎる、背負っているものも戦う理由も……リリアにかけてやる言葉が見つからなかった。


「誰かに言われて戦ってるなんて……強くなれる訳ないよね。おまけに負けて悔しいなんて言う資格ない――」



「――負けて悔しくない訳ねぇだろ? 資格もクソもねぇよ、今までの努力を自分で否定なんかするな」



 リリアの頬を涙が濡らす。



「いいんじゃねぇの? 嫌ならやめても」





「――――」




 少し冷たい言葉だった。でも彼女の答えはわかってる、そんな無責任な人間じゃない、だからこそ今まで戦ってきたのだ。

 もしかしたら、俺の言葉は自分を追い込む卑怯ひきょうな言葉として受け取ったかも知れない。


 でもそうじゃない、本当にやめてもいいんじゃないかと思った。


 リリアの背負ってるものを俺が代わりに背負ってもいい――どうせやる事には変わりない。


 リリアは振り返って涙を拭い、目を伏せた。

『やめてもいい――』生まれて初めて言われた言葉なのかも知れない。しかし、リリアにこびりついた期待が、当然それを許さない。もはや呪いだ。




「そんな事出来ない……! 今更出来ないよ……」




 俺はリリアのおでこを人差し指で軽くつつく。そして照れくささをを隠すように、わざとぶっきらぼうに言った。


「別に責めてる訳じゃねぇぞ、勘違いすんなよ? お前の自由にしたらいい――別にお前がやめても関係ねぇ、俺はキュイールを連れ戻す。ぶん殴って一言あいつに言ってやんなきゃ気が済まねぇからな」


「違う! キュイールの事は私だって――」


「――わかってる、その先の話だ。元々、魔族の皇帝ってのを倒すのが俺の仕事だからな。お前がいなくてもそれは変わりねぇ。シーブルの母親の件も、俺がどうにかするから心配しなくていい」




 シーブルの母親は、神沼のジジイを当てにしての事だった。他人任せな考えで気に入らなかったが、一度吐いた唾は飲み込めない。


 逃げ込む事の出来ない逃げ道を作ってやるくらいしか、俺には思い浮かばなかった。一種の保険……いや、慰めにしかならないだろう。

 彼女の涙とどう向き合えばいいのか、結局何もわからないまま。


 リリアは口を真一文字に結んで、また涙を流して下を向いた。


 声にならない心の叫びを、ただ聞いていた。

 こんなつもりじゃなかった、リリア達……いや、彼女にあまり肩入れしない方がいい、俺は元の世界に戻るのだから。


 俺は何度も自分に言い聞かせている。しかし理性とは裏腹うらはらに、俺の心はどんどんブレて彼女にかれていった。




「戻ろうぜ……ここにいたらシーブルも休めないだろ? リリアも来いよ、キュイールの部屋がもったいねぇしな。今日はもう休んで、明日考えよう。昨日の今日で、レイユもすぐには行動に移さないだろ」




 リリアを落ち着かせて、気を失っているシーブルを抱えて宿に戻る事にした。別れ際にリリアは、少し気まずそうな顔をして小さく呟く。




「ごめんね」




 リリアは返事も聞かずに、さっさとキュイールの部屋に向かって歩き出した。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 キュイールの部屋に入り、リリアは着替えてベッドに寝転がった。荷物が置いてあるだけで、ほとんど使った形跡もない。


 さっきのキュイールの言葉が頭に浮かぶ、ユウシの言う通り嘘だとわかっている。あんな事を言うような人間じゃないのは、リリアが一番よく知っていた。

 取り乱してしまったのは、負けて悔しいという事だけじゃなかった。ずっと意地を張ってきたリリアにとって『ユウシ』の存在は大きかった。


 異世界人であるユウシは、リリアを聖女として扱わない。だから自分の思っている事を素直にぶつけやすかった、そしてそれは、リリアにとってある種の救いだった。しかし、まさかあそこまで感情をさらけ出すとは、自分でも思わず、今考えてみると少し恥ずかしい。


 自分でも止められなかった、色々な感情が爆発してユウシに八つ当たりまでしてしまった。

 しかも、あろう事かユウシは「嫌ならやめてもいい」とまで言ってのけたのだ。


 照れ隠しで、わざとぶっきらぼうな態度をとったユウシの優しさを、リリアはしっかりと理解していた。




「何よ……優しくしないでよバカ……」




 リリアは小さく呟いた。


 もうやめた。誰かが言ったからとか、聖女だからとか……そんなの関係ない。私は私の意思で戦ってやる、もうユウシにあんな事言わせないんだから。


 リリアは心にそう誓った、誰かの言葉にこんなに心が揺さぶられたのは初めてだった。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 翌日、目を覚ますと疲れていたせいで、昼近くまで寝てしまっていた。シーブルが部屋に乗り込んで来て、いつものように叩き起こされた。


「お兄ちゃん! いい加減起きてよ、お姉ちゃんがお話をしようってさ」


 今朝早く目覚めたシーブルいわく、昨日の騒ぎはすっかり収まったようだった。しかし、死亡者の確認作業で、教会は朝からバタバタしているそうだ。バレフォールが残りのモンスターを全て殲滅せんめつし、ガレニア騎士団は一晩中町の清掃を手伝っていたらしい。

 全てはガレニア騎士団の手柄になった形だ、レイユの思惑通りだろう。


 シーブルに連れられて食堂に行くと、リリアが待っていた。

 リリアは何事もなかったように無理に笑顔を作り、俺もそれに合わせて挨拶を交わし席に座る。シーブルも加わり俺達は食堂で作戦会議をする事になった。


「キュイール救出作戦会議を始めます」


「やれるのか? リリア」


 リリアは俺の問いに真っ直ぐ目をそらさず力強く頷いた。


「わかった、無理するなよ……ところでリリア、キュイールはどこに捕まってるんだ?」


「多分、裁判が始まるまで、ガレニア騎士団の詰所つめしょにある牢獄だと思う」


 リリアは難しい顔をして、腕を組み考えている。


「お姉ちゃん、覆面して正面から乗り込んでさらって来ちゃうってのは? もちろんその後はダッシュでラビナスから逃げる!」


 シーブルは得意げにして人差し指を立てる。リリアはそんなシーブルを見て、ため息をついた。


「それじゃあ、ガレニア教会を敵に回す事になるわね」


「まぁ……でもそれも一つの手だぜ? 実際忍び込んで連れ出すのは難しいだろ。それどころか、昨日の感じだと拒否するかもだぜ。リリアを庇って下手な芝居してたし」


「確かにそうなのよね……今のレイユは昨日の件で民衆から信頼を得た。正式な手続きで助け出すのは無理かも……」


 リリアが俯いて肩を落としていると、宿泊客と従業員が騒がしくしている。

 俺は食堂で給仕をしている男を捕まえて事情を聞く。


「ああ、何だか公開処刑するらしいよ? 昨日のモンスターを手引きした犯人が捕まったらし――」



「――場所はどこだ!!」



 男の答えを聞き興奮して、思わず胸ぐらを掴んで怒鳴どなった。


「え、えーと、ヤハル通りを真っ直ぐ行ったとこの中央広場で……」


「行くぞ! リリア、シーブル!」


 リリアとシーブルは血相を変えて立ち上がる。俺達は武器を持って、大急ぎで中央広場に向かった。


 ヤハル通りを真っ直ぐ進み、階段を降りた先に草野球が出来るほどの広さの広場がある。そこはすでに大勢の見物人でごった返していた。


 広場の真ん中に処刑台が三つ設置してあり、その一つにキュイールが縛られて押さえつけられている。

 他の二つの処刑台には中年の男と女が、キュイールと同じように縛られている。


 リリアはその光景を見て顔が凍りつき、呟いた。


「お……おじ様と、おば様……嘘でしょ? どうして」


「ええ! もしかしてあの二人って、キュイールの両親なの!?」


 リリアの言葉を聞いて、シーブルは目を丸くして驚いた。


「こんなに早く行動に移すなんて……レイユを甘く見てたわ」


 リリアは顔を歪めて握り拳を作る。


「こりゃ悠長に作戦会議やってる場合じゃなかったな……もう考えてる余裕はねぇ。正面突破だ」


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