第14話 本当の自分

 中年で小太りの男が息を切らして走っている。細い路地に入り、塀をよじ登っている所で服を掴んで引きずり下ろした。


 男が横ばいになってこっちを見上げると、みるみる顔が青ざめていく。


「逃げられると思ってんのか、どこに行くんだよ。せっかく家まで行ってやったのによ。いねぇから探し回ったんだぜ。なのに人の顔見て逃げ出すなんて随分失礼なんじゃねぇの、斎藤さいとうさん?」


「あはは、どうも、瀬川せがわさん。いえ、あの……すみません! 今、お金がなくて……もう少しだけ待って下さい。来週には必ず――」


 男は必死に笑ってごまかしながら起き上がり、土下座をする。

 逃げようとしてた癖に、状況が悪くなるとこれだ。プライドもクソもねぇ、反吐が出る。


「待てねぇな、借りたもんはしっかり返すのが常識ってもんだろ? 子供だって知ってんぞ」


 俺はタバコを取り出して火をつけた。煙を吐き出してから、土下座している斎藤の顔面を蹴り上げる。


 斎藤は泣きながら財布を出した。俺は斎藤の財布を取り上げ一万円札を全て取り出すと、斎藤は鼻血を流し震えながらその光景を見ている。


「やっぱり持ってんじゃねぇか。俺に嘘は通用しねぇよ……でも全然足りないな。まぁとりあえず一週間だけ待ってやる。それまでに今月分を用意出来てなかったら、死ぬより辛い目にわせてやる」


 俺は土下座している斎藤にそう言って、斎藤の財布にタバコを押し付けて火を消した。


「……返事は?」


「……は、はい」


 タバコの焦げ跡のついた財布を投げつけ、吸い殻を携帯灰皿に入れてその場を離れた。







 俺は龍神会りゅうじんかいの構成員をしていた。物心つく前に両親は事故で亡くなったらしく、親戚に引き取られた、まぁだ。

 最初は親切だったが、自分の息子でもない余計な金食い虫は、そのうち嫌われ者になった。小学生の頃から理不尽に殴られるようになり、中学の時には虐待ぎゃくたいと言えるレベルにまで発展した。


 真冬のある夜、痣だらけの身体を裸にされて、ベランダに出されてる所を、近所の住民に目撃された。それからすぐに通報が入り、虐待が明るみに出たのだ。

 施設に預けられる事になった俺は、当然のように荒れた毎日を過ごす事になる。俺は人を信じる事をやめて、人と深く関わる事を避けた。


 いつか俺を引き取った親戚家族に、の気持ちを込めて殺してやろう、この時はそれしか頭になかった。


 俺は何とか高校を卒業したが、施設を追い出され適当にバイトをしてぶらぶらしていた。親戚家族に復讐してやろうと何度も考えたが、結局怖くて出来なかった。幼い頃からのトラウマだ、心に恐怖が刷り込まれている。


 しかし、道端でばったり会ってしまった、俺を虐待していた張本人である親戚家族の父親だ。

 そいつを目の当たりにした俺は、一気に怒りが頂点に達して、トラウマも恐怖も吹っ飛んだ。そいつの胸ぐらを掴み、身体ごと持ち上げて殺意のこもった目で睨みつけて握り拳を作る。


 ――軽い……背は俺よりも小さく、力もあまりにも弱い。そいつの目は恐怖で濁り、命乞いを始めた。


「悪かった! 勇史! すまない、勘弁してくれ。お、俺を恨んでるんだよな……あの時の事は謝る。そうだっ! 金だろ? 金ならやるから……なっ、だからやめてくれ」




 ――何だは? こんな情けなくて、弱くて惨めな男に、俺は……俺は……。




 何だか急に馬鹿らしくなった、こんなものに俺は踊らされていたのか。こんな男の為に人生をフイにされたのか。


 力が抜けて掴んでいた服を離すと、チャンスとでも思ったのか、その男は何も言わず走って逃げていった。その後ろ姿を見て思わず呟いた。


「んだよ……それ……」


 その帰り道で出会ったヤクザと喧嘩けんかになった。肩がぶつかっただの何だのと、くだらない理由で、因縁いんねんをつけてくる。そいつが興奮しているさまを、俺は冷めた目で見ていた。




 ――そうだよなぁ、それくらいじゃないと張り合いがねぇよなぁ。




 急に身体が熱くなった、腕っぷしに自信のあった俺はそいつを半殺しにしてやった。あの父親にぶつける筈だった怒りを、目の前の男にぶつけてやった。


 胸ぐらを掴んできたそいつの手をひねって、顔面に一発入れた。続けてもう一発、膝をついたとこで腹に蹴りを入れた。 悶絶もんぜつして倒れたとこに馬乗りになって、何発も殴った。気がついたら男は気を失い、俺の拳は血塗ちまみれで、目からは涙が流れていた。




 しばらくして、そのヤクザの兄貴分が『オトシマエ』ってのをつけにやってきた。


 ちっ、どいつもこいつも……本当にバカヤロウだ。


 数人で囲まれて、よってたかってボコボコにされた。口の中は血で溢れ、体中に鈍い痛みが広がっていく。倒れては立たされて殴られる、何度も何度も……。


 薄れていく意識の中で思った『このまま死ぬのか……こんなくだらない理由で』身体に力が入らず倒れた時、声が聴こえた。知らないおっさんの声だ。


 声の主が俺に近寄って叫んだ「てめえら、恥ずかしくないのか!? こんなガキに寄ってたかって……仁義じんぎもクソもねぇ、それでも極道か!」視界が半分もない程に腫れ上がった目で、見上げた先にいたのが今の組のオヤジだ。


『絶望的な時ほど諦めちゃいけねぇ、絶体絶命な状況なら冷静になれ』


 初めて会った時オヤジが俺にかけた言葉だ、今でもはっきり覚えている。 


 昔、剣道の世界じゃ有名だったらしく、俺に剣道を仕込んだり、本当の息子のように俺と接してくれた。

 もしオヤジと出会わなかったら、今頃のたれ死んでいただろう。


 今でも剣道の稽古けいこをさせられるが、嫌いじゃない。最近はオヤジに剣道で勝つ事もある程だ。


 何かと面倒を見てくれたオヤジには俺なりに恩義を感じている。だからこうして構成員として真面目に……と言っていいのかわからないがヤクザをやっている。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ちっ、くそ野郎が。始めから素直に出しゃいいんだよ」


 斎藤の事を思い出すと、イラついてしまう


 俺はああいう奴が大嫌いだ、ついカッとなってしまう。借金の理由も大層なものじゃない。

 ギャンブルにのめり込み、借金に借金を重ねて膨らんだ負債だ。その債権がうちの組に回って来た。


 借金の理由は正直どうでもいい。ただ斎藤は嘘をついては逃げ回り、約束を破り、その度に口から出まかせを吐くろくでなしだ。俺の仁義に反する。


 スマートフォンを取り出し、迎えの車を呼ぶ。しばらくすると黒塗りのセダンがやって来て、俺の前で停まる。


「勇史のアニキお疲れ様です! 斎藤のヤツ見つかってよかったっすね。俺の情報もたまには役に立つでしょ?」


「ありがとな、健二けんじ。これから何か美味うまいもんでも食いに連れてってやるよ」


 健二は嬉しそうに、小さくガッツポーズをする。


「さすがアニキ、ありがとうございます! それで、斎藤は金持ってたんですか?」


「ああ、また一週間待ってくれってよ。最初は持ってねぇとか嘘つきやがって――とりあえず有り金は全部取り立てたが、来週にはロシアにカニでも獲りに行ってもらうしかねぇな」


 俺はそう言いながら、車に乗った。助手席に座りタバコに火をつけて煙を吐くと、車は発進する。


「アニキって斎藤には厳しいっすね。他のヤツには結構甘いのに……」


 健二は口を尖らせて小さなため息をついた。


「そういえば、斎藤の居場所探してる時に聞いたんですけど、最近様子がおかしかったらしいっすね。あんまり追い込みかけると弁護士に泣きつかれますよ」


「逆だよ。自分の身のかわいさで息を吐くように嘘をつく卑怯者は、しっかり恐怖を刻み込まねぇと弁護士に泣きつくんだぜ?」


 俺が少し苛立ってるのを感じて、健二は苦笑いを浮かべ気まずそうにしている。そんな空気を変えようと健二は明るい口調で話す。


「カニ漁船だけで足りるんですか? あいつの借金っていくらでしたっけ」


「総額で五百万ってとこだな、ロシア人に引き渡せば全額回収出来る。その代わり過酷だけどな……まぁんなもん知ったこっちゃねぇが。来週取り立てに行って払えなかったら、そのまま引き渡す。健二、お前もついて来いよ」


「わかりました、勉強させて頂きます」


 少し緊張している健二を一瞥いちべつしてから、車の窓を開け夜空を見上げ、煙を吐いた。

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