生の選択
癒しの聖者が最近治療したことが分かっている町へ僕たちは移動した。疫病が終息した町はすっかり平時の落ち着きを取り戻していた。
残っているのは領内を取り巻く貧しさの痕跡のみで、見かける子供の少なさは両者の影響を物語っているのかも知れない。
「こういう光景は、いつの時代に何度見ても心が痛みます。」
デリラが目を向けているのは、燃やされた家屋の残骸だった。恐らくは疫病対策で燃やされたのだろう。せめて真っ当な理由と判断であったことを祈るしかない。
この町の町長の元へ向かった。この街を治める町長は侯爵直下の役人だった。
「初めまして御高名なドラゴンスレイヤーに会えるとは光栄です。」
町長は機嫌良く、握手を求めてきた。各地を回って良く分かるのは、僕の名声は中々のもので、歌や芝居となって民衆に行きわたっている。創作物の中では転生貴族の姉妹から高貴な力を受けて、僕は高潔な使命に目覚めたりする。
それ以来、同じ主題の芝居は観ないことにした。恥ずかしさと現実のギャップに挟み殺されそうになる。それくらい浸透した名声は非常に役に立っている。初めてである人々から好意的な印象で出会えるが、半面で厚かましく利用しようとする者や無償で魔獣の退治を要請する者達も絶えない。
「侯爵とは交易に関して会談の前に立寄ったものでお話がしたい案件がありまして。僕たちは癒しの聖者と呼ばれる男ディロンドを探しています。」
何事もタダで差し出す者はいない。この会見にメリットがあることを匂わす必要がある。実際、そのつもりはある。
「ふむ、この街を救っていただいた恩人ですな。」
「ネイフラルタにいる森の隠者は薬剤に関して第一人者だ。しかし、ここで使われていた薬剤や治療法は、森の隠者ですら聞いたことのないものであると噂されている。
その真相を知りたいと思い、ここの治療所で作業していた者を紹介して欲しい。」
「妹のデーリエッラです。私も治療に関して専門知識を有しております。この地の治療者と是非お話がしとう御座います。」
ドラゴンスレイヤーと転生貴族の姉妹はセットで知られている。その知識の恩恵にあずかれるチャンスを逃さないと思うのだが。
「閣下の御高名も存じ上げています。治療所の者どもへの紹介は直ぐに手配します。閣下の知恵を彼らにも分けていただければ幸いです。」
心良い返事をもらって治療所へと向かった。
当時の治療所は先に見かけた燃やされた家屋の残骸だった。疫病対策として隔離した家屋を建築し、疫病が終息すると疫病に関連した物品と共に燃やされたらしい。場合によっては死体も燃やしていたのかも知れない。今は元来の治療院を再開して運営を行っている。
デリラを中心として治療時の話を探り出す。治療に用いていた薬草は侯爵領内で入手可能なもの、既に知られているものばかりで特異的なものはなかった。
しかし、治療の手腕は並々ならぬものがあり、とても若年の男が身に着けるようなものではなかった。治療に成功した患者数は多く、死亡者数の少なさは際立っている。
さらに通常は手遅れと判断するような患者の命を救った例もあった。その時だけは特殊な薬剤を使っていたようだ。主だった話が終わった後、治療士達へデリラから治療法に関して幾つかの助言をしていった。
「状況的にほぼ転生者だと思う、それに何か新しい薬剤を持っているようだ。」
「そうですね。少し気になったのですが、みんな揃って聖者に心酔していることです。」
「それは命を救われたから、不自然ではないよね。」
「そうではあるのですが、心酔した者の一部は彼に付き従って旅をしているのと合わせて気になるのです。」
僕たちは侯爵と会った後で彼らの足跡を追うことにした。
イードベックの都市は古びた街並みで荒れてはいるが、都市部なだけあって他所よりは活気はあった。ただ、人口が集中するだけに貧困が蔓延している。今回は真っ直ぐに侯爵の元へと向かった。
侯爵の顔には長い時を苦難と共に歩んできたことが刻み込まれていた。
「失礼ですが、だいぶ疲弊していますね。」
「先代の時からずっとこの調子だよ。災禍は終わっても復興がままならない。この時代に生まれた貴族は不幸なのかもしれないな。
ところでドラゴンを討伐してくれたことに礼を言うべきだろうね。」
「いえ、ドラゴンの討伐に関しては、こちらの都合でしたから。」
「あそこは所領でないから、分け前を所望できないのが、今更ながら痛いと思っている。」
「復興の支援を申し出ようと思っています。」
「こちらから申し出られる条件がないが、何か利でもあるかね。」
「デーリエッラから話をしてもらおうと思います。」
「まず個人的な話なのですが、4代前の侯爵にはお世話になったことがあります。」
侯爵はようやく和らいだ表情をみせ、おどけてみせる。
「持つべき者は転生貴族に縁のある先祖か。」
デリラも答えるように微笑み返す。
「ええ。ですがそれだけではありません。レッドドラゴンの討伐によって砂漠は縮小し、近郊の土地は安定しました。周辺に残る特異な気象条件で栽培可能な植物があります。」
侯爵の顔には驚きが見て取れる。
「つまり特産品として栽培し、交易の特約品目にしろというのか。」
「その通りです。土地の開発のためもイードベックには早く復興していただく必要があります。」
「驚いたな。こちらには失う物がない申し出だ。申し出は永続的な専売かね。」
それからしばらく契約の下地になる交渉が続いた。まだ、いくつかの課題と調整が必要だが、僕達の個人的な用件は終わった。
「もう一つ、イードベックに来た理由があります。癒しの聖者ディロンドに関してです。」
「聖者か、私も何者か掴めていない。この2年くらいで急に現れた。」
「彼を追っているのですが、協力してもらませんか。」
「抱え込むより泳がせておく方が良いと思っていた。追ってもらっても構わんが人は出せん。領内では協力するよう通達する書状でどうだろう。」
「それで問題ありません。領内で協力するよう書状にしてもらえれば十分です。」
「聖者は付き従う者が集まって、小集団を形成しているらしい。危険性がないか多少の危惧はあるが、分かった情報を共有してもらいたい。」
受け取った書状でイードベック領内の活動に正当性ができた。役人たちへの協力要請が随分やりやすくなった。
「ねえ、デリラ。転生貴族って案外損な役回りが多いね。」
「そうですね。でも、さっきの話は嘘ではありませんよ。」
僕が転生貴族になったら、いつかそういう日が来るのだろうか。
その後の情報収集で、癒しの聖者が魔獣の襲撃を受けた地方へ向かっていたのを知った。彼は行く先々の富裕層の治療を優先的に行って、見返りとして資金調達しているようだ。
支持層や崇拝者の動きによって商人たちも追従して動き出し、領内で商業的な動きができ始めている。こうした状況が明らかになるにつれて、足跡は格段に追いやすくなった。
魔獣が跋扈している領域は、基本的に人が侵入困難な場所である。人が容易く踏み込めないが故に開発が進まず、魔獣たちはその地から湧き出してくる。因みに魔獣と通常の動物を区別する基準は実に曖昧だ。諸説ありエルダ姉さんとデリラも認識が異なる場合がある程で、慣習による区別だといっていい。
この地の場合、魔獣生息地は山岳地帯であった。魔獣の進行を止める為に築かれた砦が作られているが、このことが蛮族の北上に対して脆弱性を発揮したのは大いに皮肉な結果だった。
約半世紀前に魔獣の大きな侵攻があり、大打撃を受けた後に蛮族が大挙してやってきた。今から考えれば大移動した蛮族によって追われた魔獣達が逃げてきたのだろう。
その大打撃を受けた砦に蛮族が追い打ちをかける様に襲撃して一度壊滅したのだ。蛮族は辺り一帯を占拠して、長い戦いが始まった。
最終的に領主側が蛮族との戦いに勝利した後に融和策へ転換したのだが、土地は荒廃し土着化した蛮族が残った。
再建された砦は以前ほど整っておらず、堅固な防衛体制を作れていない。蛮族の災禍が終わったのは人間だけではなく、復興した魔獣達がまた山岳地帯から降りてきた。それがここ最近の魔獣襲撃の状況だった。
砦の防衛力では追い付かず、かなりの魔獣が領内に侵入したが、かつて蛮族だった土着化した者達は善戦した。やはり払わされた犠牲もあったが、そこに癒しの聖者が現れ被害者たちの救済を行っている。
この地方に入って、穀倉地帯の復興がそれなりには進んでいることが分かった。この復興しつつある農地をかつて農地を荒らした蛮族の末裔が防衛したことに時の流れを感じる。もう、孫の世代でひ孫も生まれてきている。
実際に侵略した当人たちはほとんど生き残っていない。ほとんどの農地は無事で重大な被害は受けていなかった。
「デリラは蛮族について、当時はどれくらい知ってたの?」
「当時は蛮族の北上は大きな話題になりましたが、侵攻の勢いはすぐに止み中央では話題は続きませんでした。
ですが、蛮族の流入によって人が増加したのに食料の供給地が壊滅しているという事態を招いて、次の年以降に大きな被害が出るようになったみたいです。」
「侵攻は止まったけど、そこから泥沼の状況になったわけだ。」
「睨み合いと小競り合いが、絶え間なく続いたようです。歴代の領主は苦労で老いるのが早く呪いを疑ったほどだと聞きます。」
「最終的には今の侯爵が軍事的に勝利したけど、一帯の蛮族統治が長く続く間に土地の住民と交わり、分かつことができなくなったみたいだね。」
「それで融和策方針に切り替えて、この土地を再編入することになったようです。まだ、再編入して10年程度しか経っていないようです。」
「砦が見えてきたよ。」
山岳を背景に破壊された砦の残骸に再構築された砦が見えてきた。元あった砦と継ぎ接ぎされた新しい砦の中へと入っていった。
彼は負傷した人々を救うべく砦にやって来ている。
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