死の選択

 砦の中は死の匂いに満ちていた。

 辺り一面に負傷者が溢れている。砦の中だけでなく中庭にも仮設の治療所は作られ、砦の外にも零れ落ちた様に人々が群がっていた。砦の兵のみならず、防衛に加わった蛮族の末裔たちも含んだ人々がこの巨大な治療所へと運び込まれてる。領主の書状がなければ立ち入ることが難しかったかもしれない。

 砦の中に入り司令官の元に赴いた。この砦の司令官は領主の息子で、蛮族の族長の娘を母に持っている。母親は現在も存命しており、最初は人質扱いであったが側室扱いに変わり、領地への再編にともない第二夫人へとなった。

 蛮族を封じ込めるため、血縁でもある息子を司令官に仕立て上げてたということだろう。

 司令官は領主と髪も瞳も異なるし、苦労で皺と老いが前面に出た領主との差が相まって、控えめに言ってあまり似てない精悍な若者であった。

「あまり時間が取れない。用件を単刀直入に頼む。」

 細かい駆け引きを楽しむタイプではないらしいが、この場合は都合がいい。

「癒しの聖者に会いに来ました。彼に会いたい。」

「構わないが、彼も忙しい。都合を見て会ってくれ。」

「都合をつけるのに時間がかかるでしょう。その間ですが、僕と妹は治療の心得があるので助力を申し出ます。」

「それは、助かる。聖者の近くに場所を用意しよう。」

「こちらで勝手に話を進めて問題ありませんね。」

「問題ない。」


 短時間の話を終えて、司令官は人を呼んで指示を出す。あまり得意ではなかった治療に関しても最近は随分上達した。森の隠者マーフルと会ったことが切っ掛けでデリラにも色々と指導を受けるようになった。並の治療師くらいの働きはできるだろう。デリラに目を向けて事後承諾を貰う。

「勿論、ご一緒しますわ。アレン兄さん。」

 僕の比ではない技術を持つデリラが加わり実に頼もしい。手持ちの食料をある程度引き渡し、手持ちの薬剤は治療で使用することにした。


 中庭に張られた天幕、それが彼の戦場だった。

 その戦場である天幕を拡張して、僕らの陣地が作られた。武器は僕らの体力・魔力・薬剤だ。陣地を構築し、診療台を作っている時に癒しの聖者ディロンドと僕の視線が合う。彼は直ぐに患者に視線を戻し戦い続ける。

 ディロンドは中庸な体系だが旅に鍛えられた身体をし、治療で疲れてはいるが穏やかな顔をしている。顔立ちは特別ではないが、妙に人を引き付ける魅力がある。

 彼の治療術の技量は極めて高いと見える。前世に加えて現世での治療経験は驚くべき数に上っているのだろう。迷いのない的確な動きで、治療を施していく。デリラもその手腕に目を見張っている。

 戦いの準備が整った時には、負傷者たちの戦列ができていた。治療台に来た負傷者の話を聞き、負傷部位を確認する。骨折した疑いがあるので魔術で確認し、骨折してる部位を慎重に真っ直ぐにする。痛みに呻く患者の様子に一旦手を止めて、骨をしっかりと繋げていく。他に負傷がないかを確認して送り出す。

 次の患者は魔獣に足の肉をかなり食いちぎられ、部位がかなり持っていかれている。血は完全に止まりきっていないので魔術で表皮の再生をする。次に欠損した部位の再生を促進するように魔術を行使して、しばらく痛みが出ないように処置をする。全体に衰弱がみられるので、身体の活性化を促していく。

 こうして、次々に患者を治療していくのだが、治療しても治療しても戦列は途絶えることがない。十数人治療した段階で、魔力が心もとなくなっていき休憩することになった。


 その時にディロンドを見るとまだ治療を続けている。恐らく二日は僕より前に到着して、連日治療をしているだろうに今でも続けている。

 デリラを見るとまだ治療を続けているが、だいぶ消耗している様子が見て取れる。この差は何だ。

 僕の方に失望したような負傷者たちの目が向けられ、その列がディロンドとデリラに割り振られる。僕の治療は決して悪くないはずだ。

 しかし、今必要とされることができていない。自分に足りない事が何であるかをディロンドの治療を見ながら探り出そうとする。

 周囲の呻き声で良く聞こえないが、ディロンドは患者から聞く話を最小限に聞き治療を始める。話をやめない患者には患部の治療を即座に始める。

 止血と活性化を最小限に使い薬剤を併用する。骨折はつなげるが完全治療は目指さずに添え木を当てて送り出す。何もかも最小限で治療が早い。


 自分が治療している内容を思い出す。確かに治療方法は完全だが、それこそが欠点なのだ。常人よりはるかに魔力があるとはいっても何十倍もあるわけではない。一人の治療に何倍もの手間と魔力を使用しては治療できる人数が制限される。

 それが今、力尽きてしまった僕の結果だ。冷たい現実が打ち下されるのは、自身に対してではなくむしろ患者たちの方だ。

 僕よりはマシとはいってもデリラでさえかなり消耗していた。直ぐに僕と同じように力尽きてしまうだろう。

 だが、ディロンドは治療を続けるのだろう。魔力を節約し薬剤も最小限に使い、例えそれらがギリギリになっても彼は治療を続けられるだろう。或いは全てなくなっても体力の続く限り続けられるのかも知れない。

 彼にはそれが可能であることが分かった。僕は何とも言えない無力感を感じる。


 デリラも限界を迎えた後、この後の治療に関して話をした。やがて、ディロンドも備品の準備をしなければならない状態になり、彼の補佐役たちが準備を進める中で休憩に入った。僕たちは彼に近付いて話を切り出す。

「初めましてディロンド、僕はアレン、彼女は妹のデリラです。もう少しできるかと思ったのですが、中々どうして思うようにはいかなかった。」

 既に自分の成果が十分でないことを恥じていた。

「いえ、十分ですよ。一人でも多くを救うことができるかが重要です。お二人のお陰で僕だけでは手が回らなかった50人程度は救えたでしょう。」

 見抜かれていたのだろう。だが、救えた人数はいた。それは僕にとって福音に等しい一声だった。

「提案があります。現状、貴方の力はギリギリでやりくりしているのではありませんか。僕達は多少回復して魔術は使えるが、診断や治療の効率化が十分ではなく消耗が激しい。

 そこで貴方に診断してもらい治療の要点を指示してもらう。僕らは治療の実務を担当する。最初は混乱するかもしれませんが、これなら消耗を押さえて、より多くの人を治療できると考えています。」

 彼は疲労の滲んだ全身に生気を漲らせて答える。

「素晴らしい。現状でそれ以上の案はないでしょう。」

 僕らは握手をして同意を確認する。手から熱さが伝わり、心と体が鼓舞される。ここからが本当の戦いだ。


 意図は見事にはまった。自分たちに足りない要素を補い合って、的確な治療方針が時間が経つ毎に共有されていく。

 最初は詳細な指示を必要とした僕とデリラは、経験を加速度的に積んで指示と意図が先に分かってくる。たかが半日にも満たない経験で僕らは、一つの大きな意思によって、偉業を成し遂げたかのような充足感に包まれた。

 その日の治療が終わった時には精根尽き果てたていたが、僕らはこの戦場における掛け替えのない戦友となっていた。

 僕は当初の目的を忘れて、この戦いに夢中になっていた。夜は3人で後退して、患者の非常対応を行って翌日を迎えた。

 翌日は僕とデリラが交代で、片方は一人での診察をやりながらもう片方はディロンドの補助をすることにした。消耗を押さえると同時に戦場の治療者に必要なことを学び実践し理解していく。

 治療のペースが上がり患者は減りそうなものだが、実際は外で魔獣がまだ残存していて負傷者は運ばれてくる。治療を完了した者との天秤のバランスは、良い方に傾いてはいるが、傾きの量はまだわずかなままだった。


 二日目は順調で3日目にはそれぞれが別々に治療を施しても良いかと考えたのだが、魔獣の討伐とどちらを重視すべきかが悩みどころであった。魔獣は撃退されつつあるが、魔獣がいる限りは負傷者が発生する。

 しかし、同時に治療者が居なければ負傷者は死亡したり重篤な後遺症が残る。どちらを優先すべきか。僕とデリラは疑いなく強力な力を持つが、この規模の状況の中では万能でいられない。突きつけられた現実は過酷で待ってくれなかった。

 結局、翌日も治療を継続することになり、治療に専念することにした。

 備品を用意する補佐役とも調整をとり、3人の準備時間が重ならないように時間をずらしてもらった。これにより準備の補佐役の労力が分散して遊び時間が格段に減った。

 気が付いた時に僕らは人を救うことに夢中になっていた。

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