第041次元 君を待つ木花18

  

 「ラッドウール・ボキシス総隊長。此花隊という組織の中で、もっとも地位の高い御方。そして……私の祖父よ」


 ロクアンズは言葉を失った。予想通りの反応が返ってきて、フィラは一呼吸置いた。


 「私が13年前にベルク村を飛び出したって話はしたわよね?」

 「え、ああ、うん」

 「どうしてだか覚えてる?」

 「えっと……ウメのことを逃がしたせいで、領主さんが怒って村の人たちにひどいことしたり、巳梅の力で村をめちゃくちゃにしちゃったり……したから?」

 「そうね。それがほとんどの理由よ。でもたったの11歳だった私が、村を飛び出してあの山を下りて、どこかへ行くなんてあまりにも危険だとは思わない?」

 「そう、だね……アテがあればべつだけど……」

 「そのアテが、此花隊にあったのよ」


 フィラが告げた『祖父』という言葉を、ロクは脳内で繰り返した。


 「どうしても村を出て行きたかった私は、昔村からいなくなった祖父のことを思い出したの。祖父は有名な次元研究所の人で、そこで偉い立場にいて、だから孫の私の顔を見ればそこの組織で引き取ってくれるって、そう思った」

 「それで此花隊に入隊したんだ」

 「ええ。村をいっしょに飛びだしてくれたセブンって男の子もね」

 「え」


 ロクの口から小さく声がもれる。まただ。またフィラの口から『セブン』という名前を耳にしたロクは硬直した。

 その疑問符の意味を知る由もないフィラはロクの顔に一瞥もくれることなく、棚に薬瓶を戻しながら続けた。


 「いっしょに入隊試験も受けて、無事どっちも受かることができた。祖父は……ラッドウール隊長はもちろんセブン君を知っていたし、彼が18歳ながらにして頭脳明晰であることもわかってたから、セブン君はその歳で、しかも入隊早々に隊長補佐に就いたの」

 「セブン班長がっ!?」

 「え?」

 「あ、いや、なんでもない。……あの、フィラさん、1つ聞いてもいい?」

 「ええ。いいわよ」

 「そのセブン……君の、本名は?」


 ロクがおずおずと聞いてくるので、フィラはすこしだけ訝しんだ。が、たいして気にする素振りも見せずに即答した。


 「セブン・ルーカーよ。もしかして会ったことがあるのかしら? ロクちゃんも本部にいるんだものね。隊長のおそばにいるはずだけど」


 ロクは黙っていた。まちがいない、とも思った。此花隊に入隊する際、初めて顔を合わせたそのときに一度だけ聞いたことのある名前そのものだった。

 本当に自分の上司であるあのセブンだったのだ。だがしかし彼の髪色も目の色も鈍い黄色で、臙脂色ではなかったはずだ。ロクはますます困惑していた。


 「……? まあ、それでね、私も本部に置かせてもらえるのかなって勝手に思っていたんだけど……。どうやら隊長は、私が村でしたことを知っていたみたいだった。だから私を医療部班の班員として真っ先にローノへ送り込んだんだわ」

 「ど、どうして?」

 「……さあ、私にも、その真意まではわからないわ。でもわざわざ私を、ベルク村の管轄をやっているローノに送るっていうことは、そういう意味よ。罪を償わずして逃げることは許さない。祖父だってベルク村の民なのよ。おなじ民として、そう言いたかったんじゃないかしら」

 「そんな、家族なのに」

 「でもこれが現実なのよ」


 最後の1つの瓶を置いて、フィラはロクのほうを向いた。


 「だから私は、本部には移れないの。ローノを離れられないから」

 「……」

 「でも私、戦闘部班への異動はしようと思うわ。私も次元師だもの。薬と睨めっこばかりしていられない。あなたたちがやってきたみたいに戦わなくちゃね。離れ離れになってしまうけど」

 

 明るい語尾だったが、フィラの表情には翳りが差していた。無理をしているようにも見えてロクは慌てて言葉を投げかけた。

 

 「でも、でもセブン……君って人がいるんだよ? 本部には。フィラさん、13年間一度も会ってないんじゃないの?」


 13年もの間、一度も会わなかったからこそフィラはセブンがいまだに隊長補佐であると勘違いしている。そのことにロクは気がついていた。


 「え? それはそうだけど……。でも、いまさら会ったって、どういう顔をしていいかわからないわ。13年よ? 入った時が、あの人18だったから、いまは31とかになっているんじゃないかしら。私のことなんか忘れてるわ。それに彼は隊長補佐だもの。私なんかよりずっと高い地位にいて、私みたいな一介の隊員とは会う暇もないでしょう」


 寂しそうに笑みを落とすフィラに、ロクはそれ以上なにも返せなくなった。

 ロクは特段、フィラにどうしても本部へ移ってほしいわけではなかった。ただ、いまの会話からロクは、なぜだかフィラが自分の望みを悉ことごとく諦めているように思えたのだ。自責の念か。もとより反省色の強い性格なのか。ロクはいまだ納得がいっていない様子で、ぼそっと吐いた。


 「でもフィラさん、つらくないの? ここにいるの」


 フィラは口を閉ざした。

 つらいに決まっている、と心の中ではすぐに返事をした。

 村にはいられないと思って山を下りた。当てにしていた祖父には故郷近くの町に行けと命令され、来た道を戻り、以来ずっとローノで過ごしてきた。ベルク村をこけにするような陰口が耳を刺しても、山から下りてくるベルク村の人間の死体を目にする度に心臓を刺されるような、そんな痛みを蓄えてでも、命令に従ってきた。生きた心地はしなかった。けれどそれ以外に生きていく方法が浮かばなかった。

 ──居場所がないのだ。13年経ったいまでも。

 時折考えはする。夢を見たりもする。しかし何度考えてみても、ここでやっていくしかないのだという結論に落ち着いてしまう。だからフィラは口を開かなかった。

 そこへ、コルドが顔を覗かせた。


 「ロク。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだが」

 「あ、はーい!」


 コルドに手招きをされ、ロクはぱたぱたと彼のもとに駆け寄った。


 「なあに?」

 「報告書を書かなくちゃいけなくてな、お前にも協力してほしいんだ。なんせ俺が村に辿り着いたときには、すでに事が済んでいたみたいだったからな」

 「うん、いいよ」

 「向こうに資料室がある。そっちへ行こう。談話室は人が多いからな」


 建物の扉をくぐってすぐに広い談話室が見えるため、それ以外の部屋はないものだとロクは勝手に思っていた。半信半疑でコルドのあとについていくと、たしかに建物の入り口から見て右手にはまっすぐ奥へと続く廊下があった。廊下を進んでいくとその突き当たりには、部屋の扉らしきものが備えつけられていた。


 「ほんとだ! 部屋あったんだ」

 「これまでの報告書の写しが置いてあるらしい。あとは町の資料とかもな」

 「へ~」


 資料室内は広くはなかった。だがその壁にはぎっしりと本棚が敷き詰められていた。中央に空いたスペースには小振りの机に椅子が2つだけと、必要最低限のものしか置かれていない。本棚と机との距離は人が1人通れるくらいだ。実に簡易な作業場だった。

 椅子に腰かけるなりコルドは机の端に置かれている円筒に手を伸ばし、そこに差してある筆を手に取った。が、あろうことかその筆先は乾いていた。彼は眉を下げた。


 「しまった。ロク、近くに墨の入った瓶とかないか?」

 「ええ? 本棚しかないよ、コルド副班」

 「困ったな」


 首の裏を掻きながら立ち、コルドが軽く周囲を見渡した。そのとき。

 本棚からはみ出ていたらしい本の背に肘がぶつかる。「いっ!」と声をあげたコルドがその本の表紙を見やると、

 そこには『ローノ 報告書』と記されていた。コルドはその冊子を取り出し、中を開けた。


 「コルド副班、どうしたの?」


 報告書を書くのに参考にでもするのだろうかと思ったロクだったが、コルドの表情がどこか真剣みを帯びていて、疑問に思った。


 「いや、班長がな。よくローノからの報告書を読んでらっしゃるものだから、ローノになにか思うところがあるんじゃないかと思ってな」

 「……」

 「でもどの頁を見ても、書いてあるのはほとんど無災の報告、市場の情勢、町の住人からの要望なんていう普遍的なものばかりだ」


 ぱらぱらと捲られていく紙面をただ呆然と眺めていた。が、突然ロクはコルドの手をつかみ、その動きを止めさせた。


 「ねえコルド副班、どうして頁のあちこちで、書いてる人がちがってるの?」

 「ああ、この定期報告書は、1人だけが書くものじゃないからだよ。1枚の紙に何人もが記入できるんだ。日によってべつの人間が書いていたりもするし、報告の内容によって記入する人を分けているかもしれないしな。たとえば犯罪の報告はある人だけど、市場の報告はべつの人、とかな」

 「……書く人がちがう……。これ、フィラさんも書いたりするかな」

 「え?」

 「見せて!」


 ぴょこんと跳ねて、ロクはコルドの手元から報告書の冊子を奪い取った。紙面の左端から、日付欄、報告内容欄とあって、その一番右端には名前を書く欄があった。ロクはその部分を睨みつけるようにして見ている。


 「フィラ……フィラ……あった! あ、でもここだけだ。ほかのとこには……あ、こっちにも! でも……たまにしかないなあ、フィラさんの名前」

 「どうかしたのかロク」

 「……。セブン班長、もしかして報告内容は読んでないんじゃないかな?」

 「え? そんなわけないだろう」

 「フィラさんだよ。フィラさんがここにいるから、読んでるんだ」

 「? な、なんのために?」

 「決まってるよ! セブン班長は、フィラさんのことを忘れてなんかない。むしろ逆だよ!」


 ロクは目を輝かせてそう言った。コルドはそれに気圧され、目をぱちくりさせた。

 

 

 

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