第039次元 君を待つ木花16
青く澄み渡っていた空は、いつの間にやらじんわりと朱く滲みつつあった。落ちていく陽の光は、大きな湖の水面に温かく降り注いでいる。
ロクアンズは、『巳梅』によって捕らえられていたリリアンと岩塊に挟まれていたリリエンの2人を拘束した。腰から提げているポシェットには、簡単な治療具のほかに麻縄などの拘束具も備えてあった。常にそれらを持ち歩くようにしているのだとロクに告げられたフィラは深く関心した。
しっかりと拘束を施された2人は地面の上に座りこみ、怪訝そうな顔をしていた。
「さてっと。こんなもんかな」
「……。アタシちゃんたちを、殺さないんだ」
「あたしは人を殺したりはしないよ。それに悪いのは領主さんで、あなたたちじゃないでしょ?」
「いっしょよ。アタシちゃんたちだってやってたもん。蛇狩り」
「へ?」
フィラは聞き間違えでもしたかと、すぐに2人の会話に割って入った。
「まっ、待ってちょうだい。あれは13年前に起きたことよ? それじゃあ、あなたたち……」
「アタシちゃんたち、20だけど? 今年で。7のときに、拾われたの。ヴィースさんに」
「拾……われた?」
ロクが小さく聞き返した。リリアンはぶすっとした表情のまま続けた。
「そーよ。アワれんだりしないでよね。べつに悲しくもなんともないから。14年前に、第四次メルドルギース戦争とかゆーのが停戦になったのはとーぜん知ってるでしょ?」
「うん。それは知ってるけど……」
「アタシちゃんたち、この島じゃなくて北のほうの国の生まれなのよ。ホントは。そこで奴隷商に捕まって、この島まで流されてきたの。……ああ、こっちの国じゃなくて、『ドルギース』のほうね」
第四次メルドルギース戦争が停戦になったのは、まさしくその奴隷問題が発生したためだった。ドルギース国側は他国の人間複数人と次元師たちの手足に鎖を巻きつけ、否応なく前線に送りこんだ。その事態がメルギースとドルギースの仲介役を担う政府の人間の耳に入り、『国家間に於ける次元師の軍事的活動を禁ずる』という提示がなされたために、戦争は停戦に持ちこまれた。そうして現在まで14年という月日が流れている。
「じゃあ、あなたたちはあの戦争で前線にいたの?」
「そーよ。一瞬だけね。そんでちょっとの間政府んとこにいたケド、戦争終わってからすぐ出てって、てきとーにフラフラしてたら……ヴィースさんに会って拾われて。村までいっしょに連れてってもらってそこで世話んなりながら、あんたたちの大事な大事な蛇どもを殺してたってワーケ。だから同罪。わかった?」
「そう……だったんだ」
「アワれむなっつったでしょ。だぁからガキは嫌いなんだっつの。あんたからしたら、アタシちゃんたちだって子どもだったんじゃんって言いたいだろうケド、あんたたちとアタシちゃんたちは違う。なんでも与えてもらって、あたりまえみたいにヘラヘラしてさ、キレイゴトばっかでホントムカつく。あんたが思うほど大人はキレイじゃないし、子どもだってあんたが思うほど……キレイなもんばっか見てないっつぅの」
リリアンは視線を逸らした。ロクは閉口したままなにも返さなかった。すると、じっと黙っていたリリエンが小さく口を開いた。
「アンタさ、さっきどっちも選んだよな」
「え?」
「金髪の男か、この村か。どっちか片方っつったのに。アンタはどっちも選んで、どっちも手にした。……なんでそんなことができんの? 命は惜しくないってか。アンタにはやりたいこととか野望とかもないってワケか」
「あるよ。あたし、神族を全員やっつけたいんだ」
「は?」
「そのためにはもっと強くなんなきゃいけない。あたしには大事なものと大事なものを比べて、どっちか片方しか、なんてできない。だからどっちも救える道を自分でつくるんだ」
「なにソレ。バッカじゃない? 神様倒したいとか」
顔をあげたリリアンが、ハッと嘲笑した。
「神様なんてどーでもイイじゃん。あいつらのせいでこんなヘンな力持たされてるワケでしょ? 次元の力がどうやって生まれたなんて知らないケドさ、そのせいでこっちは戦争の道具にされて、神様に恨みがあるわけでもないのに「やっつけてくれ」なんて一方的に義務感押しつけられて、イイ迷惑だっつぅの。敵は神様なんかじゃなくて、人間よ。腐りきってて手に負えない、バケモノみたいな人間のほうなのよ」
神様に恨みがあるわけでもないのに。語調こそ荒っぽいが、リリアンの見解は真に的を得ていた。
元魔に肉親の命を奪われた。大切な人を危険に晒された。生まれ育った町を侵食された。
こういった直接的な恨みや憎しみなどが神族に対して向かない限り、次元師として選ばれた人間たちは「なんのために戦っているのか」という疑問を常に抱えることになる。もとより正義感の強い人間ならばそのような悩みを持つこともなく「これが使命だから」と区別ができるのだろうが、ほとんどの次元師は前者のように、神族に対しての己の感情を見失ってしまうのだ。
「……あたしは」
ロクは小さく呟いた。空から降ってくる雪の結晶をつかまえるみたいに、手のひらを優しく握りしめた。
「目の前に助けられるものがあって、差し伸べる手がここにあるなら、ぜんぶ救いたいって、思うんだ」
「……。悪いケド、ぜんぜんわかんない。いつか自滅しそうアンタ。つぅかしちゃえ、ばぁか」
「……」
ロクはなにも答えなかった。リリアンとリリエンもそれ以上ロクに突っかかることはなかった。
そのとき。ロクはなにかを思い出したように、あ、と声をあげた。
「そういえば! 領主さんどこいった!?」
フィラも、ロクの大きな声につられて辺りを見渡す。が、ヴィースの姿はどこにもなかった。
隙を見て逃亡したか。だが意外ではなかった。相変わらず賢い判断するなと思った、その矢先。
「こいつのことか?」
「えっ?」
ロクは思わず自分の耳を疑った。
しっかりとしていて、青年を思わせるような爽やかな声音だった。数日前に本部で聞いたきりになっていた懐かしい口調に気が緩む。
コルドが、全身を鎖で縛られたヴィースと思しき人物とともに草陰から現れた。
「こっ、コルド副班!?」
「ようロク。合流できてよかった。こいつなんだが、いきなり草陰に飛び出してきたもんで一応拘束しといたんだ。話聞いてみたら、どうやらこいつが件くだんのヴィースっていう男で、ベルク村の領主らしいことがわかってな」
「なんちゃら隊とかいう政府の使いっ走りがッ!」
「此花隊だ。政府までいっしょに行くことになるんだから、よく覚えておけ」
ヴィースを適当にあしらうコルドに、ロクは不思議そうな面持ちで訊ねた。
「でもコルド副班、なんでここに?」
「先に行っといてくれって言ったのは俺だぞ。……まあ、お前たちを追ってローノに向かって、『ベルク村に行きました』なんて言われたときには気絶するかと思ったけどな」
「ご、ごめんなさい……勝手なことして」
「体は無事か?」
「え、う、うん」
「ならよろしい」
コルドは大きな手でロクの頭をくしゃりと撫でた。ロクはすこし苦笑ぎみに、へらっと頬を緩ませてみせた。
2人のやりとりをぼんやりと眺めていたフィラに向かって、ヴィースが声をかけた。
「おい。オレをぶん殴るんじゃなかったのかぁお前さん。絶好のチャンスだろうが、あァ?」
「言われなくったってあんたなんか! ねえフィラさ……。フィラさん?」
「いいえ。もういいわ。あなたの家、湖に沈ませてしまったもの。それにそのおかげで、村の人たちがこれから水に困ることはなくなった。だからもう十分よ」
「ンだそれ。あの紅い蛇を焼いて殺しちまったってのを忘れたのかァ? 哀れだなァ、あの蛇も」
「あんたねえ!」
身を乗り出すロクを静かに制して、フィラはヴィースと向かい合った。
「それでも、よ。ウメだってきっと喜んでくれるわ」
「……あァ?」
「村の人たちが、これからもちゃんと生きていけるように、大事なものを手に入れることができたの。ウメも、白蛇様たちもみんな……村の人たちのことが大好きだったから。私たちがあの子たちを、大好きだったみたいに。だから忘れなんかしないわ。この先なにがあっても、ぜったいによ」
会話はそこで途切れた。ただ、ヴィースが小さく舌を打つ音だけがした。
「よく見たらお前、ボロボロじゃないかロク。レトは大丈夫なのか?」
「それが、レトのほうがひどいの。すぐ手当しなきゃ」
「お前もな。持ってきた治療薬、足りるといいけど……」
「私が2人を看ますよ。ローノから持ってきているので。……でも、その前にすこし……」
フィラはちらっと後ろを振り返った。その視線の先に気づいたロクが、くっとコルドの隊服の裾を引っぱる。
「先に行こう、コルド副班! あの人たちも連れて」
「え? でもあの女の人にすぐ看てもらったほうがいいんじゃ……」
「あとでいいんだよ! ほらっ、行こ!」
ロクはコルドとほか4人を率いて森の中へと消えていった。その姿が見えなくなる頃には、庭に1人と1匹だけが取り残されていた。
彼女たちは向かい合った。
「……巳梅、ありがとう。あなたのおかげでいろいろと助かったわ。感謝してもしきれないくらい」
夕焼けがあかく燃えている。橙に灼けた湖が、この世のものとは思えないほどに美しかった。長閑な風がその水面を軽やかに撫ぜている。
『巳梅』は鳴きも頷きもしなかったが、その琥珀色の眼でまっすぐフィラを見つめていた。
「私はウメを忘れないわ」
フィラが高いところへ手を泳がせると、『巳梅』は頭を下ろした。紅い鱗を受け止めながらフィラは柔らかく笑みをこぼし、
「そして」と言った。
「それ以上に、あなたがずっとそばにいてくれたことを忘れないわ。……ねえ巳梅。これからも、私と、いっしょにいてくれる……?」
なにかひんやりとしたものが首筋に触れた。それは、『巳梅』の硬い頬だった。フィラの肩にその大きな頭部が乗りかかると、わずかに、すり寄ってきているのがわかった。
フィラの言葉に応えるように、『巳梅』はキュルルと喉を鳴らした。
「ありがとう巳梅。本当に、ありがとう」
紅あかい、夕日が落ちていく。木も草も風も、湖も、空も。燃えるような紅に染まっていた。
それもたったの一瞬だ。すぐに夜は闇色を連れてやってきて、光を呑みこむのだろう。しかしそんなことは彼女たちにとって恐れでもなんでもなかった。
1人と1匹は心の中に、夕焼けにも似た熱を抱いている。
「あなたのそばにいるわ。これからもずっと……ずっとよ」
それは色褪せることのない梅色の花。
「約束よ」──と、フィラは目を真っ赤にして、笑った。
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