第037次元 君を待つ木花14
ウメの大好物だった果実も添えたはずだったが、13年も経ったいまとなってはもう跡形もない。その赤紫色の果実がなる木の枝だけが、しゃんとまっすぐ立っている。
「ウメ……」
フィラは墓標に近づいていった。墓標を目の前に据えると、その場でしゃがみこむ。
「……ねえ、ウメ。私どうしたらいい? あの子たちを助けたい気持ちはあるのに私、それ以上にあなたを傷つけたくないの。……最低よね。心のどこかで、まだ、あなたのこと……」
弱々しく吐いた言葉が、ただの土の表面にぽつりぽつりと落ちていく。
「……ばかね、私。答えてくれるわけなんてないのに。……本当はね、わかってるの。もうあなたがこの世界のどこにもいないことくらい。次元の力が、『巳梅』が、あなたじゃないってことくらい……わかってるのよ」
『次元の力と、ふつうの生き物はちがうよ、フィラさん!』──ロクアンズの言葉を思い返しながら、フィラはそう呟いた。
心のどこかで、『巳梅』がウメであることを肯定したかったのだと思った。ウメはまだ自分の中でちゃんと生きているのだと、そんな夢を見たかっただけなのかもしれない。フィラは薄く笑みを浮かべた。
「まだ子どものままだったのね。体ばっかり大きくなっても、心はあの日のまま……なにも変わってない。あの子が言うほど私……勇気なんか、ないわ」
フィラはすっくと立ち上がり、墓標に背を向けた。
「村の人たちに知らせなくちゃ。……どうにかしてくれるかもしれない」
《フィラ》
凛、と。一輪の鳴き声。
浮かせた足がぴたと静止する。
もう一度フィラは、墓標と見つめ合った。
そのとき。
背後。
ドシン──と地表が激しく震動した。
フィラはよろけて転びそうになる。大きななにかが影を落とした。
頭上から、雨のように、砂粒が降ってくる。
「──え……」
ぱらぱらと落ちてくる大地の欠片を浴びながら、フィラはゆっくり顔を上げた。
13年の月日を経て、ふたたびその目にした真紅の鱗は、息を呑むほどに鮮やかだった。
「……あ、あなたは……」
心音が跳ね上がる。紅色の鱗を持った大蛇は、真一文字に結ばれた口から、ちろりと舌を出した。
真ん丸の両眼。それを縦に割くような細長い瞳孔が、じっとフィラを見つめていた。
《フィラ》
どこからともなく声が聞こえた。
フィラは、はっとして墓標のほうに向き直った。
「……もしかして」
フィラはあることに思い至った。いままでフィラを呼んでいた声の主は、もしかしたらウメではなかったのではないかと。
彼女の視界の中でたしかに息をしている、『巳梅』の声だったのではないかと。
『巳梅』は依然としてフィラのことを見下ろしていたが、大きな頭部をわずかに動かしたかと思うと、ぐっと彼女に顔を近づけた。肩を強張らせ、彼女は思わず目を瞑った。
しかし、頬に生温い感触を覚えると、フィラはすぐに目を開けた。
「……」
『巳梅』の顔をはっきりと見たのは、これが初めてのことだった。『巳梅』はじっとしている。噛みつくでも、鳴くでもなく、ただずっとフィラの目を見つめ返している。
ずっと。
深い赤色の瞳めに、光が差す。
「なんだ」
呟いた声がすこしだけ震えた。
指先を宙に泳がせて、そっと、鱗に触れた。丸い眼は琥珀の色。硬質な頬を、指の腹で優しく掻いた。そこには真白の花を押したような斑点はなかった。
真っ紅で、美しい鱗を、何度も撫でた。
瞼が熱を帯びる。
「よく見たら、あなた……ウメに、ぜんぜん似てないのね」
フィラは笑みを浮かべた。その頬に一筋、涙が伝った。
「ごめんなさい。あなたはウメじゃないのに、勝手にウメと重ねて、ウメだと思いこみたくて……あなたをずっと閉じこめてた。怒ってるわよね。……13年も、ほったらかしにするなんて、主失格だわ……っ」
フィラの泣き声がして、『巳梅』はすこしだけ頭を落とした。真一文字に結んだ口をフィラの額にそっと押しつける。
「こんなにも長い間、待たせて、本当にごめんなさい」
でも、おねがい。フィラは熱のこもった声音でそう続けた。
「今度こそ私……あなたといっしょに戦いたいの」
──私と、戦ってくれる?
『巳梅』がちろりと舌を出す。鳴きも頷きもしないが、フィラにはわかっていた。13年という月日の間、ずっと棲み続けた心の中に、その声が流れこんでくるようだった。
「いこう、巳梅」
胸の中に咲いた、熱色の花を携えて、1人と1匹はともに駆けだした。
頭蓋骨が砕け散ってしまいそうだった。意識を保つことに全神経を費やしているロクアンズは、声も出せず、立ってもいられず、ぐっと堪えるように這いつくばっていた。
(どうしたら……っ!)
バチッ、と手の甲から弱々しく電気が伸びる。使える元力の量もそろそろ限界に近い。じりじりと、苦境へ追い詰められているのを実感する。
次元師が体内に有している元力には限りがある。もちろんそれは個人差があるため一概には言えないが、年齢による差というものがあるのは確実だった。
元力の量に個人差があるのは、各個人の思考能力、身体能力、そのほか個人を形成するためのあらゆるステータスがもとになっているためである。簡単に言ってしまえば、体力があればあるほど、頭の回転が速ければ速いほど元力の量が伸びていくのだ。どの能力も抜かりなく高められている者がハイスペックであると言われる、その点においては、普通の人間も次元師も変わらないだろう。
当然、子どもと大人とでは体力や筋肉量、知識の数などで大きく差が出るため、どちらが劣っているかなどは歴然だ。おそらく、リリアンとリリエンの2人に元力量では敵わない。わかっているからこそ、ロクの表情にただならぬ悔しさが滲み出ていた。
リリアンは、腹の底からこみ上げてくる優越感を堪えきれずに、ぶはっと吹きだした。
「キャッハハハ! イイ顔するじゃなぁ~いっ! だぁから言ったでしょぉ? ガキは大人しく、おうちに帰りなさいってねぇッ!」
悦楽に満ちた表情。高らかな笑い声。甲高い音波が空気を揺るがし──
「ガキでごめんなさいね」
花のような一声。
次の瞬間──大地が激しく躍動した。一瞬、浮遊感に襲われたリリアンの足元に亀裂が奔った。彼女は反射的に数歩退き、
声を裏返らせた。
「は?」
──紅色の大蛇が、地表を穿つとともに、けたたましい咆哮をあげて君臨した。
人間では発し得ない凄まじい叫喚が空間一帯を殴打する。ひび割れた大地は剥がれて吹き飛び、リリアンもリリエンも、家宅の傍らで様子を伺っていたヴィースも、無防備な姿で宙に投げ出される。
ロクは大きく目を瞠った。
「も、もしかして……っ──これが『巳梅みうめ』!?」
話を聞いたときに想像したものとは桁違いだ。本物であるという迫力、風貌に身の毛がよだつ。その全長は一目見ただけではとても計り知れない。太くて長い肢体を持つその大蛇はちろりと細長い舌を出し、2つの琥珀色の珠を妖しく光らせた。
ロクの耳に、ザッ、と靴底で砂を蹴るような音が届いた。
「フィラさん!」
木陰から、臙脂色の横髪を耳にかけながらフィラが歩み寄ってくる。
「遅くなってごめんなさい」
「フィラさん……あの、あれって」
「ええ。でももう、大丈夫よ」
平地であったことが嘘のように地面がひっくり返っている。盛り上がった大地の一片に捕まるリリアン、岩塊に挟まれ身動きをとれずにいるリリエン。そして、腰を抜かし愕然としている領主ヴィース。
3人の姿を一瞥したフィラが、ここからは、と続けた。
「私が力を貸すわ。あいつらをぶん殴るんだって、そう言っていたわよね?」
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