第036次元 君を待つ木花13

 

 リリエンの次元の力『尺縄』によって空の上へ連れていかれたレトヴェールは、驚くべき行動に出た。ロクアンズが空を見上げたときすでに彼は、大空に波打つ風の中へ飛びこんでいたのだ。金の髪を振り乱しながら、彼は地上へ向かって急降下している。


 驚愕のあまり声も出せなかったのは、フィラもおなじだった。


 (い、いったい、なにが起こって……──っ!?)


 フィラは息を整える間もなく唖然とした。彼女はたったいま到着したばかりだった。木の幹に添えた手が震えている。

 ロクがヴィースの家に向かったということはわかっていた。だが、まさか彼の付き人である双子の次元師と相見あいまみえていたとは夢にも思わなかった。


 「……そんな……」


 カタカタと震えた両手で口元を覆い隠すように驚くことしか、フィラにはできなかった。


 地上では風が吹き荒れている。『爛笛』の次元技の1つ、"響波"が引き起こしたものだ。ロクは強風によってその左目を瞑るほかなかった。が、すぐに瞼を起こそうと奮起する。

 理由はほかでもない。義兄のレトが空から降ってくるのだ。気にしなくていいとはたしかに告げていたが、これほど無鉄砲な策だったとはまったく予想していなかった。できなかった。頭の中は正直にできていて、ロクは混乱していた。

 風で濁った視界に、レトの姿が飛びこんでくる。

 彼は顔の前で両腕を交差させていた。身体を丸めて、リリアンが繰り出した強風の中に突っこんでくる。

 激しい潮の流れに身を任せるように、強風の中へ投じられた肢体は容赦なくその力に嬲られ真横へ吹き飛んだ。


 「レト!!」


 ロクは、レトの姿を目で追った。風に弄ばれ、地面に身体を打ちつけたかと思ったらすこしだけ浮いてまた地面と衝突し、平地の上をもの凄い勢いで転がっていく。

 ふと、風の力が弱まった。ロクはすかさず、人形のように倒れているレトのもとへ駆け寄るとその背中に飛びついた。


 「レト! ねえレト! レトってばっ!」


 顔を覗きこむも、金色の前髪がちらついていて具合の善し悪しはわからなかった。ロクは必死にレトの上体を揺らし何度も声をかける。間もなくして、レトの唇がわずかに動いた。


 「……るせ。心配、すんなって、言っただろ」

 「レトっ! ……よかった、レト……よかったぁ」


 ロクはいまにも泣きだしそうな顔で、へにゃりと笑みをこぼす。情けない顔だなと思いながらレトはすこしだけ俯き、とにかく立ち上がろうと試みるが、すぐに、全身に力が入らないことを悟った。それだけではない。腕や足をすこしでも動かそうものなら途端に激痛が走り、体勢を正すことすら憚られた。顔には出さないが、もうこれ以上動けないだろうとレトは察した。


 「……うっわぁ~……あいつ、リリアンの風を利用しやがったな。あそこまでやられちゃうとちょっと、さすがに引くわぁ」


 遠くのほうでやりとりをしているロクとレトを眺めながら、リリエンが頬を掻いた。

 隣で、リリアンが小さく呟く。


 「……なにあれ」


 彼女の口から聞いたことのない低音がこぼれて、リリエンはぎょっとした。


 「アタシちゃん、ああゆうの、ホンっトに無理!!」


 リリアンは激昂しながら長笛に噛みついた。


 「六元解錠──思穿!!」


 ロクは咄嗟に振り返った。しかし、すでに眼前にまで迫っていた音波が、猛烈な勢いで2人の脳内に喰らいついた。


 「うああッ!」


 これまでの比ではない。両手を離せばすぐにでも頭部が砕け散ってしまうのではないか。そんな想像が脳裏を駆け抜けていった。意識を保てているのが奇跡といえるほど、その痛覚は想像を絶するものだった。


 (こ……これが──六元、解錠!?)


 考えてから、ロクははっとした。気を抜けばすぐにでもどこかへ持っていかれそうな意識を懸命に呼び止めて、義兄であるレトのほうを向いた。彼は地面に突っ伏し、苦しそうに蹲うずくまっていた。


 「……っ、ら、雷撃ィ!」


 頭を強く抑えながらロクは絶叫した。手の甲から、雷が火花のように発散する。空中を彷徨う電気はロクとレトを包みこむように球体を象り、防壁と化した。

 なおも抵抗しようとするその姿勢は、リリアンの加虐心を余計に煽った。


 「そんなモロい壁で、防げたつもりぃッ!?」


 笛から発せられた音波が、広い平地の風を切る。どしん、と一帯に負荷がかかった。かろうじて両足で立てているだけでロクの膝はひどく震えていた。ロクが苦しげに表情を歪ませているのを、リリアンは持ち前の甘ったるい声音で笑い飛ばす。

 

 「キャッハハハハハ! イイ気味ぃ~! どっかの国でなんかうまいことやってぇ? いまじゃ有名人なんかになっちゃってチヤホヤされてるみたいだケド……ブ・ザ・マね~ぇ! さっすが、おこちゃまってトコかしらぁ!?」


 カチン、と。ロクの脳裏を怒りの感情が掠めた。彼女は『子ども』を示唆する言葉にいい色を示さない。一層きつく眉をしかめ、快活な笑い声を遮って言った。


 「か……関係、ない!」

 「はぁ?」

 「──次元の、力に、子どもも大人も関係ない!!」


 項垂れていたフィラが、視線を上げた。


 ロクの身体が強く発光した。独特の轟音が音の波を割き、リリアンの鼓膜を突き抜ける。一瞬、気をとられたリリアンが、しまったという顔つきに一変する。そんな彼女の意を汲んだかのように、暴君と化していた音波の力が弱まった。


 「チッ……! なによぉ、まだそんな力が残ってたの?」

 「あたしは、そういう言い方が大ッ嫌い! 大人だから偉いの? 大人だから強いの? 歳だけとってて、子どもが子どもがって文句ばっか言って……そんなの、やってることは子ども以下だ!」

 「ハァッ!? ガキがなに粋がってンのよ! オトナに理想でも抱いてンの!? バァーカ! アンタが思うほど、オトナはキレイじゃないっつぅーの!」

 「しかたないって、これが世の中なんだって、そうやってあきらめさせて、汚いことを押しつけて、なにが大人だよ! お金欲しさに子どもからぜんぶ取り上げることが──フィラさんからウメを奪うことが、あなたたちの正義だったっていうのかッ!」

 「うっせぇンだよブス黙りなッ! これだからガキは嫌いなのよ! ……いーい? あんた子ども子どもって言ってるケド、あの蛇たちを金に換えるの、村中の人間が認めたのよ? だぁれも反論しなかった。人形みたいにお利口だったの! わかるでしょ。村の大人たちも子どもたちも、みんなよ、みぃんな。そのフィラってやつが1人騒いでただぁけ。聞き分けのなってないガキだったの! 賢い子どもがたくさんいたのにね? あんたもそーよ。頭の悪いガキなのよ!」

 「フィラさんは、村のだれもがあの人を恐れてできなかったことをやったんだ。あれほど大事にしてた白蛇様たちを奪われて……悔しくて悔しくてたまらない村の人たちのために、勇気を持って立ち向かったんだッ! そんなフィラさんのことをバカにすんな!!」


 フィラは、喉の奥から急速に熱が込み上げてくるのを感じた。胸のあたりが苦しくなる。咄嗟に衣服を掴むが、ちがう熱と熱とを孕んだその痛みは複雑に絡み合って、いまにも喉元が焼き切れそうだった。


 「ホンっトに、気に食わない……! キライキライ大ッキライ!!」


 苦虫を嚙み潰すかのように、リリアンは吹口に歯を突き立て絶叫した。


 「うわあああ!」


 突風が吹き荒れる。ロクの肢体がしなやかに跳びあがった。受け身もとれず彼女は地面と衝突し、車輪のごとく勢いのまま転がっていく。ついにロクまでも膝をついた。

 すぐに起き上がろうと両肘を伸ばすが、まるで小枝のように簡単に関節が折り畳まれ、額から砂地に落っこちる。ぐしゃりと乱れている若草色の髪が、何度も起き上がろうとして、ふらふらと揺れていた。


 「キャッハハハハハぁ! バッカみたぁい! そんなにがんばっちゃっても、なぁんにもならないのに!」


 不愉快な笑い声が、フィラの耳に届く。ボロ雑巾のように伏せっているロクとレトの姿をこれ以上見ることができなかった。彼女は膝から崩れ落ち、木の幹に触れていただけの左手を、固く握り締めた。


 「そんな……っ」


 (どうしよう、どうしよう……! 私の、また、私のせいで……)


 ベルク村の話をしなければよかったと、そう思った。祖母とロクの会話を無理やりにでも止めるべきだった。自分が話したくなってしまうほど、ロクに、気を許さなければよかったのだ。

 フィラを取り巻く後悔の渦が、どんどん深くなっていく。


 次元師に太刀打ちできるのは、次元師しかいない。

 それはフィラ自身も痛いほど理解していた。


 (助けたい……これ以上あの子たちに傷ついてほしくない。私のせいで傷つく姿を、見ていられない……! それなのに)


 フィラは次元師だ。いまこの場で、ロクとレトの2人を助け出せるのは彼女しかいない。人間を遥かに凌駕する次元の力。フィラはそれを胸に秘めているのだ。

 しかし、フィラにはどうしても、その名を叫ぶことができなかった。


 (あの子たちを助けたい、のに……私……。私はまた、──ウメを傷つける……っ! 私はあの子を、もう傷つけるわけには……!)


 ──あの日見た"あか色"が、ずっと、瞳の中に閉じ込められたままだ。

 

 臙脂色を滲ませた涙が、ぽたぽたと溢れて落ちていく。リリアンの言う通りだ。子どもだったのだ。ただウメのことが可哀想で、助けてあげたくて、なにも考えずに逃がした。結果的に、ウメの命の奪ってしまったのはそんな愚かな自分だった。

 あんな悲劇は二度と繰り返さない。

 初めて自分の次元の力を、紅色の大蛇を目の当たりしたそのときに、フィラはそう心に誓った。

 誓ったはずだった。


 「……わた、し、どうしたらいいの……? わからない、わからないよ……──ウメっ!」


 ──ざあっ、と。長閑な風が鳴いた。


 《フィラ》


 聞いたことのない、懐かしい気持ちだけが、フィラの胸に吹き抜けた。


 「え……」


 《フィラ》


 聞き間違いではなかった。だれかが自分の名前を呼んでいる。咄嗟に振り返るが、人の姿はなかった。

 フィラは、その名前を呼んでいた。


 「ウメ……?」


 返事はなかった。フィラはゆらりと立ち上がる。だれもいない山道を見渡して、もう一度名前を叫んだ。


 「ウメ! どこ、近くにいるの、ウメ! ウメっ!」


 フィラは走りだした。ウメ、ウメ、どこにいるの──と、しきりに名前を呼ぶが、返事はないままだった。

 なにかに導かれるように、ただひたすらに森の中を駆け回る。乾いた地面を、無造作に伸びた草木を、でこぼこの山道を踏み抜ける。

 ──そうして、フィラはある場所に辿り着いた。

 すこしだけ開けた草原。さわさわと揺れている木漏れ日。見覚えのある風景だった。ゆっくりと速度を落とし、辺りを見渡す。


 フィラは、立ち止まった。


 「……ウメ……」


 目の前には小さな墓標が立っていた。

 それはかつて、炎に焼かれていなくなったウメを想い、唯一その場に遺っていた炭を必死にかき集め、埋めた場所だった。

 

 

 

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