第035次元 君を待つ木花12
脱兎のごとく、ロクアンズが草木の茂みから飛び出した。身体中から微弱な電気を発しながら、リリアンとリリエンに向かって猛突進する。
ようやく出てきたかといわんばかりに、双子の片割れであるリリアンが口角を吊りあげた。肩までの青碧色の髪を耳にかけ、横長の笛を唇に近づける。色気を孕んだその口元から、まるで品のない叫びが飛んだ。
「何回来ても同じだっつぅの! ──五元解錠、思穿ッ!」
甲高い悲鳴のような音が伝播する。狙うは、馬鹿正直に向かってくるロクと、その後ろに続いているレトヴェールの2人。繰り出した音波は凄まじい速さで2人の身体を呑み込もうとする。
しかし。
「五元解錠──雷撃ィ!」
ロクはその場で急停止すると同時に、両手を突き出した。掌から雷撃が放出される。従来通りであれば雷は四方に拡散しているところだ。しかし、それがまるで壁となるように姿を変えていて、ロクとレトの2人を守り──音波と衝突した。
ロクの思惑通りだ。"思穿"による強烈な音は、電気の壁とぶつかることによってその進路を絶った。雷鳴と旋律との対峙によって生まれた爆音が直接鼓膜に襲いかかってはくるが、耐えがたいほどの刺激ではない。驚いたリリアンの唇が、吹口からすこしだけ外れる。
「な……ッ!」
「女の子のほうが雷を使って、お前の音にぶつけてるんだ。イイ対策だ」
「キィ~ッ! ナマイキねっ!」
ロクは動きだした。半球状の壁から漏れ出している微弱な電気が、音の波を掻き分け直進する。重たい力が働いているために、思ったように前へ進めずにいるが、彼女はそれでも一歩ずつ確実に土を踏みしめていく。
ふっと音の波が弱まった。汚いものを見る目で、リリアンがロクのことを睨みつける。
「大人しく……苦しんでなさいよッ!」
耳を劈くような音波が再来した。ロクはまたしても雷の膜を張り巡らせ、強烈な音に正面から迎え撃つ。
が、その場で踏ん張るロクの足元が、わずかに後ろへ下がった。
「っ! 威力を上げた……!?」
圧し負けないようにと固めた姿勢のまま、どんどん後方へと押し返されていく。気は緩めていないはずなのに、とロクが顔をしかめた。
──そっちがその気なら。ロクの全身から勢いよく電気が飛び散ると、若草色の長い髪がぶわりと巻き上がった。
「こっちだって!」
火力が、電熱が、急上昇する。力と力の衝突が生んだ暴風がロクの長い髪を嬲った。足元はぴたと止まる。押し返されはしないが、前進できるほどの余裕もない。力は拮抗している。
いままで動きを見せなかったリリエンが、隣で立つリリアンに耳打ちする。
「リリアン、いまだ。技を解け」
リリアンが眉と目だけで笑みを返すと、次の瞬間。
──驚くほど唐突に、すべての音が消え去った。
「え?」
バチッ、と、電気が空を縫って溶ける音。それだけだった。夜に酒場から、だれもいない湖畔へと瞬間移動したかのような想像に陥る。恐ろしいほどの静寂の中、ロクの身体が、反動によって前へ大きく傾いた。
「五元解錠──"進伸しんしん"!」
1本の縄が、ロクの身体をめがけて物凄い速さで向かってくる。
「ロク!」
ロクの肩を乱暴に掴み、レトは即座に前へ躍り出た。次元の力『双斬』はすでに発動している。レトはその手に握っていた双剣で素早く空を薙ぎ、迫る来る縄の先端を斬り払った。
「うっわマジで? そんじゃ」
縄は、まるで意思を持っているかのようにひとりでに動いた。そして体勢を持ち直すとすぐに、レトの身体に飛びかかった。
「レト!」
ロクの叫びは虚空へと吸いこまれる。捕らえられたレトの身体が宙に浮いた。すると、彼は瞬く間に地上を離れ、どんどんと空高く、高く、浮上していくのを嫌でも実感した。胃液が逆流しそうだった。ひどい吐き気と眩暈が同時に襲いかかってくる。
気がつけば、地上とは絶縁した、遥かな空の上にいた。
そこからの景色には、広大な平地とその周囲を取り囲んでいる森、そして小さな点が3つ並んでいた。レトの身体は固く縛りつけられて、身動きは一切とれなかった。
おなじようにロクにとってレトが小さな点となると、彼女は真っ青な顔で空に向かい、大声を張った。
「レトーっ! レト!」
「ありゃりゃ~。残念だったねぇ、お嬢ちゃん。あの男の子、こーんなに小さくなっちゃって」
リリエンは右手の人差し指と親指の先を近づけ、わずかにできた隙間によっていまのレトの姿を再現した。もう片方の左手で握っている"縄"は、空の上にいるレトの身体と繋がっている。
リリエンがその手に掴んでいる縄は『尺縄じゃくじょう』と呼ばれている、まぎれもない次元の力だ。
『尺縄』は一見ただの縄だが、次元技によってはその縄を自分の手足であるかのように自在に操ることもできる。さきほど、縄が生き物のようにレトの身体に飛びついたのもその能力に由来する。
まるで子どもが玩具で遊ぶように、リリエンは縄をゆらゆらと揺らした。
「いますぐレトを離して!」
「べつにいーけど、ほんとに離しちゃっていいワケ?」
「え?」
「あの高さから落ちたら……どうなるんだろうねーぇ?」
体内中の血液が急速に沸騰するような、そんな感覚を覚えた。ロクは打って響くように怒鳴り声をあげる。
「ふざけたこと言わないで! 人の命をなんだと思ってんだッ!」
「アンタそれ、人のこと言えんの? なりふり構わず雷ビリビリさせちゃってさぁ。それで万が一、人が死んじゃったらどーすんのよ」
「あたしはぜったいにそんなことしない!」
「あっそ。つかべつにいーじゃん。人を殺しちゃいけないルールもないのにさぁ。他国とドンパチやってるこの時代に、命の尊さとか言われてもねぇ。まあオレとしては? べつにあの男が死のうが生きようがどっちでもいーんだけど……」
あっちへこっちへ視線を遊ばせていたリリエンが、ふいにロクと目を合わせた。
「さ、どーするお嬢ちゃん? この村のことはすっぱり諦めてウチに帰るか?」
「あたしは、この村の人たちを助けたくてここまで来たんだ! このまま帰るわけないでしょ!」
「へー。んじゃ、そっちを選ぶってことで……あの金髪くんは、どうなってもいいっつーことだな?」
「そんなわけあるか! そんな、どっちか片方なんて」
「選べよ。どっちか、片方。人生だっておなじだろ? 選んでんだよ、知らず知らずのうちにな」
「──ッ!」
小さな点が、3つ。レトにわかっているのは、その点の1つが自分の味方で、もう2つが敵ということ。そしていま、こちら側が確実に劣勢であるということだけだ。
(……悪い予感がする。もし俺の予想が正しければ、いま、ロクは……俺のせいで動けなくなってるはずだ)
レトは地上で起こっているであろう事態を懸念していた。皮肉なことに、彼の優秀な考察力によって打ち出されたその悪い予感は、的を得ていたのだ。
レトを離してほしければ。落とされたくなければ。目の前で殺されたくなければ──。
そんなような文言を、ロクに吐いているに違いない。レトはいまほど自分の状況を呪ったことはなかった。悔しさのあまり噛んだ唇から、小さな血の雫が滴り落ちる。
(……くそッ、なんで!)
よりにもよって自分が、最悪の状況を招いてしまった。心のどこかで、いつの間にか頼りにするようになってしまっていた。だれからも愛されてだれからも期待される、そんな小さな英雄のようにも思える義妹の、──荷物でしかないいまの自分が、恥ずかしくて、嫌でたまらなかった。
どうせ追いつけやしないのに。
それならせめてと、足枷にだけはならないように、
ずっとそう思ってきたのに。
(俺は、)
レトは右手に持った短剣を、痛いほど強く握りしめた。
身体中をきつく縛られてはいるが、幸いなことに手首の自由だけは許されていた。
地上に向かってまっすぐに伸びる縄。手首の動作を確認する。軽く振っただけだったが、剣の刃が、きちんと縄に触れた。
レトは息を吸いこんだ。
通信機が、ピッ、と音を立てる。
『ロク、聞こえるか』
「レト! レトだよね!? 待っててね、レト! いますぐ助けるから!」
『……。ロク、おまえあの女の笛を狙えるか? ただ狙うだけじゃなくて、雷の膜を張ってからだ。その膜から一点だけでいい。糸みたいに伸ばして笛を狙ってほしい。俺のことは気にしなくていいから』
「え……? で、でもそんなことしたら」
『俺にも策があんだよ。おまえは、おまえのことだけやればいい』
機器の向こう側にいるレトは、至って落ち着いた口調だった。相当自信のある策なのかもしれない。レトの腕を信じて疑わないロクは、間を置かずに頷いた。
「わかった。あたし信じるよ、レトのこと」
ロクは決意をこめてそう返す。いつもの短い返事がなかったが、それほどレトも切迫しているということなのだろう。そう思ったロクは、くるりとリリアンのほうに向き直った。
「なぁにぃ? もしかして、あの子の命はどうでもよくなっちゃったのぉ? アンタけっこう薄情なヤツだったのねぇ~?」
「ちがうよ。信じてるんだ。──レトのこと、信じてるから、あたしは戦えるんだ!」
ぐんと右手を突き出す。と、雷電が掌から腕にかけて這い上がった。
「五元解錠──雷撃ィ!!」
眩い光とともに放たれた雷撃は、金色の壁となってロクの周りを丸く囲った。ロクは突き出した右手に、おなじように左手を添えた。
一点を、糸のように。
レトからの指示を、頭の中で反芻する。イメージする。ロクは一度閉じた左目を、力強く開いた。
「いっけェ──!」
半球状の雷の壁から、一本の糸が伸びる。それは電気の糸だった。空を焼き切りながら直進する雷の閃光は、リリアンの持つ長笛にまっすぐ向かっていく。
動揺したリリアンは、咄嗟に吹口を噛んだ。
「こっ、こないでよ! ──き、"響波きょうは"!!」
甲高い音色が響き渡る。空気が大きく波打ち、次いで突風が巻き起こった。脳を刺激するような音ではなかった。が、荒く波立った風には、電気の糸の軌道をねじ曲げるくらい造作もなかった。
「しまっ──!」
そのとき。
「あれ?」
リリエンが、手元に違和感を感じたときには、遅かった。
彼はふと空を仰いだ。
「……は?」
黒くて細長い一本線。大空を横断しているそれが、自身の次元の力である『尺縄』だということはすぐに理解できた。だが、それとはべつの黒い点のようななにかが、なにかの輪郭が、徐々に大きくなっていくのも見えた。
リリエンは目を剥いたまま完全に硬直する。形が明らかになるより先に、全身から血の気が引いていくのを感じ取った。
「う……ウソだろ! あいつ、あの高さから飛び降りやがったッ!」
──え、と。ロクは小さく声をもらして、反射的に空を見上げた。
その左目に映ったのは、まぎれもなく、レトヴェールその人が空から落ちてくる様だった。
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