第033次元 君を待つ木花10
木製の酒器になみなみと注いだ血のような赤紫色を、顎髭を生やした中年の男が一気に煽った。バンッ、と大きな音を立て、カラになった酒器の底で机の上を叩く。顎髭の男は、1人で座るにはやや大きめの腰掛の背もたれに片腕を跨がせた。もう片方の手には紙が握られていて、それを彼はじろじろと舐め回すように睨む。
「最近、少なくなってきてるような気がするんだァよなァ……。サボってんじゃねェかァ、あいつらァ!」
ぐしゃりと紙を握り潰した男は、目の前にあるテーブルを荒々しく蹴り飛ばした。カラになった酒器が床の上で跳ね、ごろりと転がる。男は1度舌打ちをしてから、どこへ向けるでもなく大声を出した。
「おォい! 酒持ってこい! いますぐにだ!!」
「はいはい」
青年らしき声が、どこからともなく聞こえてきた。広い室内はあまり統一性のない陶芸品などでごった返ししていて、ほかにも部屋があるらしいが扉ではなく暖簾のれんで隔てられている。ゆえに、酒を注いでいるような物音が暖簾の向こう側からしっかりと聞こえてくる。さらりとそれをのけて、その青年は姿を現した。
前髪は両端だけがすっと長く伸びていて、額のあたりはとても短い。いくつもの小さな銀の装飾品が耳たぶを噛んでいる。青碧色の髪をしているが、先端はところどころ白く、独特だ。瞳の色も、髪の碧さと同様だった。
青年はひっくり返ったテーブルを、酒器を持っていない方の手で正位置に戻すと、その上に酒器を置いた。
「あいよ、ヴィースさん」
青年はけだるげに声をかけ、そのまま流れるように暖簾の向こう側へと帰っていった。顎鬚の男、ヴィースは返事をせず、酒器の取っ手に左手を伸ばしてその縁に口をつけた。
「……こりゃァ、村のやつらに、いっぺん灸を据えてやらねェとかァ……?」
口元から酒器を離した、そのとき。
──突然、耳を劈くような低い轟音が響き渡り、左手に持っていた酒器が激しく飛散した。
「…………あァ?」
ヴィースの背後。入り口である木製の門が打ち破られ、強風が殴りこんでくる。室内では棚に置いてあった硝子器が落ちて破損し、数多の陶芸品が床の上を転げ回った。ヴィースの黒い巻き毛も煽られ、視界が不確かになる。
左手が、わずかに痺れ、動かせなかった。
ヴィースは首だけを回し、振り返る。その途端、彼は瞠目した。
木の門をぶち破った挙句、当然のように室内へ侵入してきたその犯人は、若草色の髪をした少女だった。
「ヴィースって領主は、どこだあっ!」
電気が絡まった右腕をまっすぐ突き出しながら、ロクアンズは叫んだ。
顎鬚の男──ヴィースは鋭く吊り上がった目を、すっと細めた。
「……あ? オレだよ」
ロクはヴィースの姿を視認する。茶褐色の肌。深い黒色の髪の毛は天然なのだろうか、ひどくうねっている巻き毛を前髪ごと巻きこんで、乱雑に一つに束ねている。いかにも遊んで暮らしていそうな服装が、ロクの目に障った。黒光りする眼光と睨み合う。
「村の人たちを苦しめるのはもうやめて!」
「……。はァ……ここは、幼いガキが来るとこじゃないゼ、嬢ちゃん」
「聞こえなかったの? あなたが、村の人たちを苦しめてる張本人なんでしょ! ……守り神もウメって子も、みんなみんな傷つけて……村の人たちがどれほど悲しかったか、あなたは考えたことあるの!?」
「……」
「食べ物がなくて水も足りなくて、ずっと苦しんでるんだ……! あなたのせいで! ──痛い目見たくなかったら、いますぐ村の人たちに食べ物や水を渡してっ!」
怒気を孕んだロクの一喝を受け、ヴィースは、ハッと鼻を鳴らした。
「そいつはギゼンってやつかァ、嬢ちゃん?」
「……ぎぜん?」
「"カワイソウだから"……"ほっとくと胸糞悪いから"……そんなクソみたいな理由でここまで来たってんなら、うちに帰ってネンネしな、嬢ちゃん」
苦虫を嚙み潰したような目で、ヴィースがロクを睨みつける。正義感を振りかざすことを悦に感じているのだろうが、所詮は子どもの考える夢希望にすぎない。怯んで逃げ帰る様子を想像しながら、ヴィースは薄く笑った。
しかし。
ロクはただ一言、小さくも力強い声で、「ちがう」と返した。
「あたしは、目の前で苦しんでる人を、ぜったいに放っておかない」
──視界に、一瞬、淡い雪が舞った。ロクは知っている。あてのない、凍えた世界に、手を差し伸べてくれることの奇跡を。その温度がどれほどあたたかかったのかも。
「だからぜったい、助けてみせる! あたしはそのために──あなたを殴り飛ばしにきたんだッ!」
ロクはぐっと右の拳を引く。彼女の全身を覆うように、拳から電熱が奔った。
そのとき。
「……っ!?」
"太い縄"が、ロクに向かって一直線に伸びてきたかと思うと、その右腕に素早く巻きついた。
無理やりにでも動かそうとするが、右腕はびくともしない。ロクは表情を歪める。
「な、にこれ……!」
「おーっと。雷を使うなんて、おっかないお嬢さんだなー。それにかわいい顔が台無しだ」
「……あなたは」
「リリエン・テール。あんたとおなじ、次元師だよ」
青碧色の髪の青年、リリエンは悠然と告げた。驚くロクをよそに、彼女の腕から伸びる縄のもとをぐっと引っ張る。
「痛い目、見たくなかったら、とか言ってたな?」
リリエンの口角が吊り上がった、
次の瞬間。
「次元の扉、発動」
少女、のようで冷然とした声が聞こえて、刹那。ロクとリリエンとを繋ぐ縄が鮮やかに断ち斬られた。
「──『双斬そうざん』」
両手に"双剣"を携えたレトヴェールが、颯爽とロクとリリエンとの間に滑りこんだ。
「レト!」
「なんだなんだ? こちらさんはずいぶんと、キレイなお嬢さんだな?」
「俺、男だけど」
「……マジかよ」
ロクとレト、そしてリリエンは対峙する。ロクはふたたび右腕に雷を纏った。
「あなたに用はない! こっちは2で、そっちは1。……おとなしく降参したほうが、いいと思うけど?」
「へぇ。そーかい」
リリエンは、床の上で無残に寝ている縄を拾い上げた。それを腕にくるくると引っかけると、腕を持ちあげ、両手で耳を塞いだ。
2人がそれを訝しむ間もなく、
「──なら、2対2ならどーだ?」
空間を叩き割らんばかりの、刃物を思わせる鋭利な"音"が突如、2人の鼓膜に突き刺さった。
「うわああッ!」
激しく空気が波立つと、突風が巻き起こった。2人の身体はしなやかに後方へ弾け跳ぶ。強制的に室内から外へと追い出された2人は、勢いよく地面の上を転がっていく。
カツン、と音がする。ロクとレトはふいに視線を上げた。
黒いもやのような人影が、立ちこめる土埃の中から、その姿を露にした。
「ウソは嫌いよぉ、リリエン。アタシちゃん、かわいくない子は専門外なんだけどな~ぁ?」
耳に障るような高い声。クスッ、と乾いた笑みがこぼれる。
わざとらしく小首を傾げると同時に、その女の、青碧色の短い髪が揺れた。
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