第029次元 君を待つ木花6

 

 乾いた手のひらで岩の壁に食らいつく。不安定な足場に爪先をかける。息つく間もなく、ただ体力を奪っていくだけの動作の繰り返しに、身体はとうに疲弊しきり、限界を迎えていた。しかし2人は、そんな四肢を無理やり動かしてでも目的を達成しようとしている。

 そして、2人はようやく崖の縁に指先をひっかけた。余力を絞り出し、上半身を浮かせる。と、待ち望んだ平たい大地が、景色のすべてに広がった。

 土を引っ掻きながらよじ登ると、ロクアンズとレトヴェールの2人は、なりふり構わず地面の上に倒れこんだ。起き上がるよりも先にごろんと仰向けになる。抜けるような青空はとても近く、鮮やかで、眩しかった。


 「はあ、はあ……。やったねえ、レトっ。すごいよ、のぼったよーっ」

 「……ああ。でもまだ到着できたわけじゃ」

 「わかってるよ~……。あー……お腹空いちゃったね、レト」

 「……だな」


 腹の虫が低く鳴いた。空の青さに安心したのか、数日間に亘る食料の調達難を嘆いているのか、明確な自覚はないがたしかに2人は、深い呼吸ができていた。

 空に流れる雲を、ロクはぼんやりと眺めていた。が、そのとき。


 「死んでんか?」


 ひょっこりと、子どもの顔のようなものがロクの視界に飛びこんできた。


 「おぅい、おい」

 「……え。う、うわあ!?」


 ロクはがばっと飛び起きた。彼女の顔を覗きこんでいたその人物も、かわすように頭を起こした。


 「いきてた」

 「び、びっくりしたあ……。君は?」

 「おれはベルクのもんだけど」

 「え?」


 擦り切れた布で髪を乱雑に上げているせいか、その布の隙間から暗い赤色の髪がぴょこぴょこはみ出ている。見る限るロクやレトよりも歳は幼く、男や女かわかりづらいような見た目をしているが、「おれ」と発言していたので少年らしいと判断した。


 「ベルクって……」

 「ばあ様に言わなきゃ! ばあ様ー! 人がいたあー!」

 「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 ロクの呼び声も空しく、その少年は土まみれの細い両脚で、ごつごつした地面の上を走っていった。それほど速く走って痛みはないのだろうかと呆気に取られているうちに、どんどん少年の後ろ姿が遠ざかっていく。


 「レト、行こう! あの子、さっきベルクって……──、っ! わわっ」


 追いかけようと踏み出した足に思ったほど力が入らず、ロクは数歩よろめいた。


 「どうした、ロク」

 「……。ううん、なんでもない! 急ご!」

 「ああ」


 ふたたび山道へと駆けこんだロクとレトは、少年の後ろ姿を追い続けた。この山道はいままでとはちがって整備されている。村の人間が使用しているのだろうか。そんな風に推測した。

 一本道を駆け抜けていく。しばらくして、2人は開けた場所へ出た。

 

 「……はあ、はっ……。こ、ここが……」

 「……ベルク村……」


 周囲は鬱蒼と生い茂る木々で囲まれている。よく目を凝らせば、木の麓などに花が咲いているらしいとわかった。藁を組んだだけのような稚拙な家宅が、ぽつりぽつりと並んでいる。

 その辺りをうろついているのは村人だろうか。だれもが、生気のない目をしている。籠を運ぶ男がいたり、木の実の殻を剥いている幼い子どもがいたり、薪にするのであろう細長い枝を集めている少女の姿もある。


 ロクは太い樹木の幹に手をつき、静かに村の様子を眺めていた。が、その呼吸は荒く、浅かった。


 「やっと……やっと、着い──」


 そのとき。ロクの全身から、途端に力が失われた。視界が落ちる。カラになった胃と意識とが浮遊する感覚を覚えてすぐに、彼女はその場で倒れこんだ。

 すぐ近くで、どさっという鈍い音を耳にしたレトは、驚愕した。


 「ロク! おい、ロク!」


 必死に呼びかけるレトだったが、ロクは地面の上でうつ伏せになったまま動かなかった。そしてレトもまた、視界がぐらりと傾き、急激な眠気に襲われると、足元から崩れ落ちた。




 「……ん……。あれ、ここ……」


 ロクは、ゆっくりと瞼を開いた。その隙間はぼんやりとしていて、知らない匂いがして、自分がどういう場所にいるのか判断がつかなかった。ぼうっとする頭を起こし、ごしごしと目元をこする。

 そのとき。


 「こ……子どもだ! しらない子どもがいる!」

 

 見慣れない男が、声を張り上げながらロクに飛びついてきた。

 

 「うぇっ!?」

 「見たことない! きれいな服着た、子どもがいる!」

 「え、ちょ、まっ、うわわ!」


 男はいきなりロクの両腕を掴むと、その小さな身体を乱暴に揺すった。目を回しそうになるのを必死に耐えるロクだったが、そうしているうちに、男の叫び声につられたのか次々と人が集まってきた。間もなく、ロクは完全に包囲された。

 物珍しいものを見るかのような、好奇に満ちた視線が、一斉にロクに降り注ぐ。

 

 「どこから来たんだ」

 「え、えっと、エントリアから……」

 「えんとり……なんだ?」

 「ばかだな。大きな町だよ。国でいちばんの」

 「ああ。えんとりあ」


 ごちゃ、とざわめきが湧いた。突然のことに驚きこそしたが、ロクはそのおかげもあって完全に目を覚ました。

 そこは室内だった。決して広くはなく、鼻につくような独特の匂いがする。壁はすべて黄土に近い色をしていた。おそらく村へ入ってきたときに見かけた藁の家の1つだろう。

 大きな石を削って造ったような机と、薪の束と、木の実や芋などをぶら下げた枝の骨組みなんかが無造作に置かれている。

 ロクは複数の目と視線を合わせた。


 「あの、あたしちょっと、あなたたちに聞きたいことがあっ──」

 「めぐみか?」

 「え?」

 「あれをよんだのか?」

 「……あれ、って……?」

 「めぐみをあたえてくれるのか!」

 「くれ!」

 「ああ、たのむ!」

 「めぐみを!」

 「たべものを!」


 ロクよりもずっと高いところにあった視線の数々が、波打つように伏せっていく。ぽかんとするロクをよそに、村人たちは藁の床にぴったりと額をくっつけ、「めぐみを!」「めぐみを!」とひっきりなしに叫んでいる。

 突然のことに、またしてもロクが困惑を隠しきれずにいた、そのとき。


 「しずまりなさい。こまっておられるでしょう」

 「……! ば、ばあ様!」


 伏せっていた村人たちは次々と顔を起こし、立ち上がった。"ばあ様"と呼ばれたその人物は、異様に背丈の低い老婆だった。彼女の後ろに、見覚えのある赤毛の少年が立っていた。人だかりが、黙って道を開けていく。

 ロクの胸あたりまでしかない小さな背をさらに丸め、地面の上に片膝をつくと、老婆は口を開いた。


 「此花の使者様ですね……。ようこそ、ベルクの村へ」

 

 

 

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