第028次元 君を待つ木花5

 

 コルドがローノ支部へ到着したのは、ロクアンズとレトヴェールが本部を出発してから2日目の午前のことだった。

 先に行っておいてくれ、と2人には伝えていたため、任務が終わっても支部で待機しているだろうとコルドは踏んでいた。が、思わぬ事実を支部の隊員たちの口から聞き、彼は驚愕した。


 「べ……ベルク村に向かった!?」

 「え、ええ……危険だと思って、お止めしたんですけど……」


 フィラは、コルドに便箋を差し出して言った。彼は衝撃のあまり声が出せず、無言でその便箋を受け取った。封を解き、中から1枚の紙を取り出す。

 内容は、フィラが伝えた報告と同一だった。2人でベルク村へ向かったと記載されている。


 「……まったく、なにを考えてるんだあいつら……!」


 コルドは片方の手で、くしゃりと便箋を握りしめた。そのとき、便箋の口からべつの紙がはみ出ているのを彼は視認した。

 その紙を引き抜くと、それはまったく異なる質の紙だった。見る限り羊皮紙らしいとわかる。コルドが握ったときとはちがう折り目がついていて、まさしくぐしゃぐしゃと呼ぶに相応しかった。

 コルドはその紙を開いた。文字らしいものが書かれている。


 「……」


 しばらくの間、コルドは黙ってその紙面を眺めていたが、すべてを読み終えると、支部の隊員たちに目をやった。突然視線を向けられた隊員たちは、緊張の面持ちでコルドと向かい合った。


 「本部に届くローノからの報告書に、いつもベルク村の記載がありませんが、それはどうしてですか?」

 「そ、それは……」

 「ベルク村の所在が、辺境の地だということもわかっています。ですが、みなさんは援助部班の班員です。入隊時から厳しい訓練の期間を経てきたみなさんであれば、あの村に辿り着くことも不可能ではないはずです」

 「あのなあ……! あの山道は、険しいってもんじゃない! 登るのは無謀なんだ! あんたたち本部の人間にゃ、そいつはわからねえだろうよ」

 「わからないからこそ、各部署に報告という義務を課しているんです。……こういった声が、こちら側には届かないから」


 コルドは、羊皮紙を広げて見せた。隊員たちはぎょっとした。

 そこには、『たすけて』『たべものがない』『だれかおねがい』──などといった文言が、脈絡のない文字列で綴られていた。


 「これは立派な職務怠慢です。上に報告させていただきます」

 「……! じ、次元師だか、なんだか知らねえけど、あんたたちと俺たちじゃちがうんだよ! それくらいわかるだろ!」

 「……そうですか。なら、あの山道に入っていったロクアンズとレトヴェールが、無事にここへ帰還したら、職務怠慢を認めてくれますね?」

 「……は?」

 「あの子たちはたしかに次元師ですが、大の男ほど体力はない子どもです。フェアだと思うのですが、どうでしょうか」

 「……。いいだろう。本当にあの子らが戻ってこられたらな」


 責任者の男が、顔を顰めながら言った。コルドは腰元のポーチに便箋を収めると、入り口に向かった。おそらくロクとレトの2人を追いかけていったのだろうが、それを止める者は1人もいなかった。

 そのとき。じっと黙りこんでいたフィラが、急に立ち上がった。


 「フィラ? ……お、おい! どこへ行くんだ、フィラ!」


 銀のケースではなく、部屋の隅に置いてあった一回り小さめのバッグをフィラは引き掴んだ。その肩紐をすばやく両腕に通すと、彼女は有無を言わさず支部の外へ飛び出していった。

 

 

 

 崖を超えたロクアンズとレトヴェールは、新しい山道を辿っていた。確実に減っていく固形の携帯食料を、小さくちぎっては喉の奥に流しこみ、2人は空腹を凌いでいた。フィラが言った通り、食べられそうな果実や茸の類はほとんどなかった。あったとしても腹の虫を抑えるには不十分なほど小さな実であったり、極度に酸っぱいか苦いか、美味とはほど遠い味かのどれかだった。

 最大の問題は、水だった。山道に入ってから川や滝などといった水源を見かけることができずにいる2人は、自身らの水筒の中身を測りながら水分を摂っているおかげで、かろうじて喉の潤いを保てているのだ。


 ただしそれにも限界がある。現に、レトの水筒の水は底を尽きようとしていた。にも拘わらず、目的地のベルク村に辿り着けそうな気配はない。彼は、水筒の底のほうで小さく揺らめく水と、ただじっと睨み合いをしていた。


 「……」

 「レト、この先けっこう崖が続いてるみたいだよ。これを登りきったら、もしかしたら村に辿り着けるかも。ねえレト……レト?」


 レトははっとした。ロクが、不安そうな顔でレトの顔色を伺っていた。しばらくぼうっとしていたらしいとそこで初めて気づいた。

 喉の渇き。身体の疲労。そして目的を達成できるのかという、底知れぬ不安。そういったものに、思考が完全に支配されてしまっていた。しかしレトは、渇いた喉に唾を流しこみ、返事をした。


 「……ああ。悪い。行こう」

 「……」

 「ロク?」


 レトの顔を、じっと見つめていたロクが、腰元のポーチから水筒を取り出した。そしてすぐに、それをレトに差し出した。


 「はいっ、レト。飲んでいいよ。喉渇いてるでしょ?」

 「……は? い、いや……」

 「いいっていいって! 気にしないでよ、レトっ」


 へらっと、ロクは笑った。そんな彼女の顔から視線を落とす。水筒が差し出されていた。

 レトは当然のように迷った。これはロク自身が飲むためのものであり、自分はただ体力がないから水を消費しやすいだけだ。鍛錬をしていなかった自分が悪い。それなのに、どうぞと差し出されたそれから目を離せなかった。

 レトは、ようやく二の句を告いだ。


 「……でも、お前の分が……」

 「あたしは大丈夫! 秘策があるんだっ」

 「秘策?」


 見てて、とロクが言った。彼女はもう一度ポーチの口を開くと、中から小型のナイフを取り出した。

 すると彼女は、迷うことなく自分の腕に刃を向け、そのまま撫でるように肌を切った。ロクは一瞬だけ、ぴくっと眉をしかめた。


 「! ば、バカおまえっ! なにして……!」

 「喉を潤すくらいだったら、こうして血をなめることもできるなあって、思って」


 肌に伸びた細い傷跡から、鮮やかな赤色がつう、と滑り落ちる。ロクはそれをすかさず舌で舐めとり、こくんと小さく飲みこんだ。

 レトは言葉を失った。ロクは、なんてことのない顔で、レトに微笑みかけた。


 「こんなの、痛くもなんともないよレト。ベルク村の人たちはきっともっと苦しい思いをしてる。だからぜったい辿り着いて、直接会って、あたしがこの手で救いたいんだ。……レトがいなかったらあたし、たぶんここまで来れなかった。だからレトはこれ飲んでっ。あたしは大丈夫だから!」


 強気な緑色の瞳には、絶望も、疲労も、不安も──諦めの色も、浮かんではいなかった。彼女は、まっすぐ前だけを見つめていたのだった。

 

 

 

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