第026次元 君を待つ木花3
ロクアンズは、此花隊の本部内でその白い制服を見かけたことがあった。本部の中央棟、"医療部班"が仕事場としているエリアだ。此花隊の隊服は部班によって作りやデザインがちがっていたりするが、どの部班も灰色を基調とした制服で、差し色には鮮やかな紅が用いられている。
しかし医療部班に限っては、ほぼ真白のコートに紅色のラインが入っているというデザインになっているのだ。汚れのないまっさらな白色が視界に飛びこんできて、ロクはびっくりした。
「地面の上で転んだのね……大きな擦り傷だわ。ちょっと染みるけど、我慢してね」
「いっ!」
「よく効く薬だから、すぐよくなるわ。包帯も巻いてあげる」
「ありがとう、フィラさん」
「あら。も、もう覚えてくれたの? 嬉しいわ」
笑顔の似合う女性だった。濃い臙脂色の髪も艶やかだ。手入れを怠っていないのだろう。ロクは思わず見とれていた。
「ケガっていやあ、この前森に入ったときさあ、ケガしてぶっ倒れてるやつを見かけたんだよ」
「ああ、元魔を見つけて急いでここに帰ってきたときだろ? たしかお前、ちょっと遅れて帰ってきたよな?」
「その倒れてたやつがさあ、死んでたんだよ。そのままにしとくのも、なんか嫌だし……だから近くに埋葬してたんだ」
「なるほどな。……あ! それってあれじゃないか? ベルク村の」
ぴくりと、包帯を巻くフィラの手が一瞬だけ震えた。
「あ~! 言われてみればたしかに」
「村から逃げてきたんだろうけど、あそこの山道は人間が歩けるようなとこじゃないからな。ほとんど急斜面だし、下ろうなんて考えるもんじゃないよ。いくら命があったって足りやしねえ」
「村の場所も、いまいちよくわかんねえんだよなあ。ほんとにあるのか?」
「あるだろうよ。そいや、村の向こう側は整備してあるんじゃなかったか? そっちから降りたらすぐ海岸に着く。そこで貿易商どもと、どうやら酒の取引をしてるらしい。これがまた絶品なんだと」
「本当か!? くぅ~! 姑息だねえ、ベルクの領主も」
「ねえ、その森で倒れてたっていう男の人、ベルク村から逃げてきたんじゃないかって言ってたよね?」
包帯を巻き終えたらしいロクは、体の向きを変えて話に加わった。
「ああ」
「それって、ベルク村でお酒を造るのがいやになったってこと? その領主さんが、村の人たちに重労働をさせてるとかじゃ……」
「あ~。その線が濃いだろうな」
「それなら調べたほうがいいよ! このままほっとくなんて、村の人たちがかわいそうだよ」
「冗談言っちゃいけねえ。さっきも言ったけど、ベルク村への道は険しいなんてもんじゃないんだ。いくら鍛えてたって、あの山道を登る勇気は湧いてこないさ」
「それに、ベルク村は小さい村だし、旨い酒を造ってるっつったってこの国のライフラインにはならねえよ。なくなったって困りゃしねえし、いずれあの村は自然消滅するだろうよ。人口の減少でな」
「……」
「ならあたしが行く!」
決して良質とはいえない長い腰掛から立ち上がって、ロクが言った。
「その村に行って、ほんとに領主さんがひどいことしてたら、おじさんたちが政府に報告してくれる?」
「ちょっ、おいおい嬢ちゃん! 冗談だろ? さっきの話聞いてなかったのかい」
「聞いてたよ。村の人たちが苦しんでるかもしれないのに、おじさんたちが見て見ぬふりしてるってことくらい……!」
援助部班の男たちは黙りこんだ。この支部での指揮を任されているらしい黒い隊服を着た副班長位の男が、ふたたび口を挟んだ。
「あのなあ、ちがうんだ。あそこの村は行ったってどうせ──」
そのときだった。
建物の入り口の扉が勢いよく放たれ、1人の男が慌てた様子で談話スペースに駆けこんできた。
「副班長! いま、森のほうから子どもを抱えた女性が現れて、そのまま倒れて……!」
「なに!? すぐに運んでこい! フィラ、治療の準備を」
「はい!」
部屋から、数人の男が出ていく。フィラはまた袖をまくると、テーブルの上に置いてあった陶器類をどかし、代わりに大きな銀のケースをそこへ乗せた。ケースを開くと、医療器具らしきものがごちゃりと入っているのが見えた。薬品の詰まった小瓶もある。
間もなくして、1人の女が室内に運ばれてきた。女は担架に乗せられ、2人がかりでそれを運ぶ隊員の男とそれ以外もぞろぞろと戻ってくる。
その中には、腕に布のようなものを抱える姿もあった。
「細い切り傷が多く、脚や肘のあたりには打撲痕もあります」
「……ひどい怪我……。出血が多いわ」
担架から下ろした女を、長い腰掛に寝かせた。フィラは膝立ちになって女の顔を覗きこむ。テーブルの上に並べた薬瓶と女の身体とを交互に見ていたが、ふと、女の呼吸が浅くなっていることに気づく。
「……」
「フィラ、どうなんだ? 助かりそうか?」
それだけではなかった。手足は折れそうなほど細く、肌がカサカサに乾いてしまっている。太陽の光を浴び続けた結果だろう。ということは、女はまともに水分を取っていない。食事を摂っていたのかも怪しい。フィラに限らず、ここの隊員には見慣れている姿だった。あの酷い山道を下ってきたのだとしたら、いま息をしているのも奇跡だと称賛に値するほどだ。フィラの喉に息が詰まる。
「……ぁ……」
か細い声が、フィラの耳に届いた。フィラは耳にかかった髪の毛を掻き上げ、そっと顔を近づける。
「……こ……こど……もは……」
「お子さんですか?」
「……あの子、だけは……」
女は、うっすらと目を開けた。その濁った赤色と目が合う。
フィラが彼女の右手を取ったそのとき。握り返してきた女の手が、ゆっくりと力を失い、細い指先がフィラの手から離れていく。閉じた瞳から一筋、涙が流れ落ちた。
フィラは、後ろで立っている副班長の男に向かってふるふると首を振った。
この女がベルク村から出てきたのであろうことは、この場にいるほとんどの人間が推測したことだった。皆、これが日常茶飯事であるといったような諦めの表情を浮かべている。
そのとき。1人の男が抱えていた布の塊から、耳に障るような泣き声が湧いた。赤子の声だ。母の死ではなく、空腹を嘆いているのだろう。
「あたし、行ってくる」
泣き止まないその声に紛れて、ロクが言った。
「行くって……。嬢ちゃんも見ただろう。この女性はいま、」
「『行ったってどうせ』……そう言ってたよね、さっき」
「……」
「あたしは行くよ。ぜったい辿り着いてみせる。──苦しんでる人を、あたしはぜったいにほっとかない!」
「待ってっ!」
ロクは、フィラの叫び声を無視して、部屋から外へ出ていった。
レトヴェールはというと、そんなロクのあとをすぐに追うことはせず、自身のポーチから小さな紙を束ねただけのメモ帳とペンを取り出した。
テーブルを借りて、紙面にペンを走らせると、すぐに書き終えレトは立ち上がった。そのとき。
「……?」
腰掛に横たわったまま動かなくなった女が、左手になにかを握っていた。
周囲に気づかれないようにそっとその紙を引き抜く。くしゃくしゃになったその紙を開くことはせずに、レトはさきほど自分が書いたメモとその紙とを、おなじ便箋に入れた。
「悪いけど、ここにコルド・ヘイナーっていう名前の戦闘部班の副班長が来たら、この手紙を渡してくれないか」
「え? ええ……」
手紙を差し出されたフィラは、落ち着かない様子でその便箋を受け取った。
入り口の扉に向かおうとしたレトがロクについていくつもりなのだと直感したフィラは、そんなレトの背中を、切羽詰まったような声で呼び止める。
「ま、待って! お願い、あの子を止めて……! 大人でも登れないほど険しい山なの。体力のない子どもが、そんなの……絶対に無理よ。それにまともに水も食料も確保できないのよ!? どう考えたって無謀だわ!」
「あいつはなに言っても聞かないから」
「あなたは、あの子の知り合いなんでしょう!」
「……やるって言ったらほんとにやるよ。そういう義妹いもうとなんだ」
レトはそう言い捨てて、建物から外へ飛び出していった。どうせすぐに音を上げて帰ってくるだろう、とだれもが肩を竦める。そんな中、フィラの真紅の瞳だけが、たしかに揺れていた。
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