第025次元 君を待つ木花2

  

 目的地である『ローノ』という町は、エントリアよりも南に位置している。規模は国内最大都市のエントリアに遠く及ばず、ややこじんまりとした町ではあるが、周辺が村や集落で囲まれているため最南の地方では唯一の都会という扱いになっている。町中に漂う空気も長閑のどかそのものだった。


 エントリアを出発してから数刻が経過している。いまにも落ちそうな陽の残り火で、森は橙色に焼けていた。

 ロクアンズとレトヴェールは二手に分かれ、元魔の捜索を開始した。

 やる気満々な様子で山道を駆けていったロクとは裏腹に、レトは嫌々といった顔で草木を掻き分けていた。整備されていない獣道を歩き続けるには根気が必要だった。すこしつらくなってきたのか、レトは早々に息をついた。

 そのとき。遠くのほうで、雷鳴が轟いた。


 「! ロクか?」


 轟音は止まなかった。夕焼けを散らす雷光が、レトのいる場所からよく見えた。レトは進行方向を変え、その光を目印に林の中を突き進んだ。

 ロクがいるであろうその場所にレトが辿り着くと、すでに彼女の周囲には、炭のような黒い残骸が散らばっていた。

 

 「──雷柱!!」


 雷撃は円柱を象り、地面から一直線に伸びて空を横断する。ロクの目の前にいた元魔は、立ちこめる土埃の中から飛び出した。元魔は従来通り、黒や灰、茶が混じった泥色の肌をしていた。その体長はロクの体躯を悠に超え、相変わらずどの動物とも似つかない外観をしている。頭部は大きく腕はなかった。代わりに、奇怪に伸びた3本の足が宙を泳いだ。


 「逃がすか!」


 土を蹴り上げたロクが、樹木から伸びる太い枝に飛びつく。そのまま勢いに乗ってぐるりと全身を回し、華麗な動きで枝の上に着地した。

 前方の木の葉にしがみついている元魔を、その目で捉える。


 「──落ちろ! 雷撃!!」


 伸ばした掌を起点に、雷が飛散した。反動ですこし仰け反る。雷光は横殴りの雨を思わせる鋭さで元魔の全身に突き刺さり、叫喚を促す。ふらりと身体を傾かせた元魔が、地面に向かって落下する。

 ロクも飛び降りた。落ちていく黒い肢体に掌を向ける。


 「五元解錠──!」


 しかしそのとき。元魔の頭部が歪んだ。ぐちゅぐちゅと不快な音が響くと、刹那、顔らしき球体の一点から液体のようなものを細く噴き出した。

 ロクは上半身を大きく反らした。が、着地の体勢になるには間に合わず、真っ向から地面と衝突するとその勢いで砂の上を転げ回った。頬に付着したどろりとしたなにかが砂を掬いとっていく。それの正体はおそらく、さきほど元魔が噴き出した体液かなにかだろう。

 元魔は、地面の上で寝そべるロクに対して、ふたたび不快な音を聞かせた。顔らしき部位がぐぐっと持ち上がる。蜘蛛が糸を吐くように、細い体液が放出された。


 「ロク!」


 レトが叫んだ、その瞬間。ロクは寝転んだ姿勢のまま拳を振り上げ、思いきり地面を叩きつけた。するとロクの身体に覆い被さるように雷が半円状の膜を張った。吐き出された体液は、その防壁と化した電気の膜に接触した途端、跡形もなく掻き消えた。

 ロクは、ゆっくりと首だけを動かし、元魔を睨みつけた。


 「──五元解錠! 雷撃ィ!!」


 勢いよく放出された電光が、元魔の肢体に丸ごと喰らいついた。甲高い断末魔が辺り一帯に広がると、黒い頭の上部に埋めこまれていた赤い核も、砕け散った。

 次第に、黒い皮膚だったものが風にさらわれていく。それを見る限り、化け物は絶命したとわかる。


 「へへっ……どんなもんだい!」

 「……」


 ロクは、よっと言いながら跳ね起きた。灰色のコートにまとわりつく砂粒を払って落とす。

 呆然と眺めていたレトだったが、ふいに、ロクとばっちり目が合った。


 「あれっ、レト! いたの?」

 「……ああ。まあ」

 「もしかしていま来た? ざ~んねんでした! 元魔はぜーんぶ、あたしがやっつけちゃったよ! ……あれ、でもさっきレトの声がしたような……気のせいかな?」

 「おまえ、1人でやったのか。これぜんぶ」

 「そうだよ! えへへ~、すごいでしょ! これであたしももう、一人前の次元師になれたかなっ」

 「……」


 ──おまえはすごいよ。そう言ってやりたかったが、喉はそうさせてくれなかった。なんとなく口を噤んで、ただ元魔の残骸のような黒い粒をじっと見つめている。


 「あーあ。でも、はやく"六元の扉"とか、使えるようになりたいなあ……」

 「六元の扉って……」

 「だって、まだ"五元の扉"までしか開けないんだもん。もっと強い『次元技』を出せるようになるには、その階位を上げるのがいちばん早いんだけど……」


  次元の力は、『次元技じげんぎ』と呼ばれる数多の"技"を秘めている。それはロクの持つ次元の力『雷皇』でいうところの、『雷撃』や『雷柱』といった"雷を利用する上での応用術"を意味する。

 そこで大事なのが、『扉の階位』だ。

 次元師は原則的に、『四元解錠』や『五元解錠』などといった──"次元技そのものの威力を決めるための詠唱"を、次元技を唱える前に置いておく。そうすることで、発動する次元技の威力を調節し、次元の力が暴走しないよう働きかけているのだ。特に、次元師としての活動を始めて間もない者はその前述を必ず行い、上手く調節できるようになるまでは継続しているらしい。


 「うわさによるとさ、"十元の扉"まであるっていうでしょ? あたし、ぜんぶ使えるようになりたいんだ! レトもそうでしょ?」

 「俺はべつに……それに高位の扉を開くのは、次元師の中でも限られた人間しか成功してない」

 「だーかーら! その限られた一部の人間になるんだよ!」

 「……どっからわいてくんだよ、その自信は」

 「え?」

 「なんでもない。元魔の気配はしないし、たぶんこの辺りにはもういないだろ。戻るぞ」

 「あ、待ってよレトー!」


 赤く燃えるようだった空は、鈍色の夜に覆われつつあった。ただでさえ成長しすぎた草木が鬱陶しいのに、あたりの暗がりに呑まれ、それは不確かな影となって視界にちらついた。

 

         *

 

 ローノ支部の施設も、町の規模に合わせて建立されたのか少々控えめな建物だった。2階建ての構造で、入り口の扉をくぐるとすぐ目の前に受付のテーブルが構えている。その奥はすべて談話スペース兼資料室となっている。1階にあるのはそれだけで、あとは端の階段からから2階へ行けるようになっている。2階は隊員たちの休憩室といったところだろう。

 夜も深まらないうちに元魔討伐の報告へやってきたロクアンズとレトヴェールの2人に、支部の隊員たちは感嘆の声を浴びせた。


 「いやあさすがです、次元師様!」

 「この短時間でやっつけちまったのか。こりゃたまげたなあ!」

 「あんたたち、ウワサになってた義兄妹だろ! アルタナ王国でどえらいことしたっていう!」


 2人を囲んでいる複数人の男性隊員のうちの1人が言うと、ロクは驚いて目を見開いた。


 「えっ!? 知ってるの!?」

 「知ってるもなにも、いまじゃ国中に広まってるよ。此花隊の次元師が、よその国の歴史を動かしちまったってな!」

 「しかもこんなガキだもんなあ~」

 「ガキじゃないよっ。これでも一人前の次元師なんだから!」

 「これは失礼しました~!」


 1階の談話スペースが、どっという笑い声で満たされる。この支部に配置される隊員のほとんどが援助部班の班員だった。援助部班として訓練を受けているだけあって、だれもが屈強な体つきをしていた。


 「おいロク、おまえケガはないのか?」

 「え? ああ、そういえばさっき木の上から落ちたときに、擦りむいたっけ……。でも大丈夫だよ、このくらい!」

 「だ、だめよっ」


 そのとき。華やかな声音がした。男たちの波を掻き分け、ロクとレトの前に現れた女は、心配そうに言った。女性にしてはやや身長が高く、体型もすらりとしている。美人の部類に入るだろう。男だらけでむさくるしい中では一際その存在が目立った。彼女は肩のあたりで綺麗に切り揃えられた臙脂えんじ色の髪をすくって、耳にかける。


 「小さな傷口からでも、ばい菌は入ってしまうの。だからきちんと消毒しましょう」

 「あなたは……」

 「あ、ごめんなさい。挨拶をしていなかったわね。私は、医療部班所属のフィラ・クリストンよ。さあ、腕を出してもらってもいい?」


 フィラと名乗った女は、灰色ではなく、白い隊服の袖をまくりながら言った。

 

 

 

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