第022次元 海の向こうの王女と執事16
祭囃子がひしめき合い、どこを向いても人々の笑い声が聞こえてくる。
ロクアンズは片手に串ものを何本も抱え、もう片方の手でときおりアメを舐めつつ、焼きものが入っている紙箱を頭の上に乗せて歩くという器用さを振りまきながら、人ごみの中を満足げに歩いていた。
「んん~! どれもおいひぃ~~」
「あんま食いすぎんなよ」
「らいよぉぶだよ~あたし、いぶくろおおひぃもぉん」
「俺が心配してるのはお前の胃袋じゃなくて、ほかの客の分がなくなることな」
「むむっ! らいよぶだよ! こぉんなにおおひなおまふりだもん!」
「そーですね」
「いやお前たち、俺の懐を気にしてくれよ……」
メルギースから持ってきた通貨を、入国の際にいくらか換金したはいいものの、すでにコルドの懐事情は危険信号を示しつつある。
そんなことを露ほども気にせずに、うっとりとしながら食べ物を頬張るロクの耳に、甘くて愛らしい声が届いた。
「おーい! ろくちゃんっ!」
「あ! うぃう!」
ゴクン、とロクは口の中にあったものをまるごと飲みこんだ。
ルイルが遠くからぱたぱたと走り寄ってくる。
「どう? ろくちゃん、たのし?」
「うん! 食べ物はおいしいし、人はあったかいし、笑い声が聞こえるし……すごく楽しいよ、ルイル!」
「よかったっ」
「なるほど。あなたは食べるほうに特化してるんですね」
海のさざめきを思わせる、緩やかな声色がロクの耳に届く。
ルイルは自分の後ろから声がして、空を仰ぐように顔を上げる。すると、ガネストがルイルの顔を見下ろしていた。
「ガネスト! おねえちゃんは?」
「1人で回ってくると仰ってました。なので僕は、ルイル王女の護衛を」
「……そう」
「まったく失礼だなーガネストは! 人には、えてふえて、というものがあってだね」
「あなたは不得手のものが多すぎでは……」
「そんなことなあい!」
レトヴェールとコルドは、すこし離れたところで立っていた。知らぬ間にロクは、王女とその執事の2人と打ち解けていたのだろう。詳しい経緯まではわからないが、だいたいどういう風にロクが立ち回ったのか、レトにはなんとなく想像できた。
「あっれえ、お嬢ちゃん?」
「あっ、おじさん!」
ロクは足の向きを変えて、ある屋台の傍へ駆け寄った。コルドはその場所に見覚えがあった。初めて城下町へ訪れた際、うろちょろしていたロクの目に留まった、帽子売りの店だ。
「ここ2日くらい見なかったけど、なんかあったのかい?」
「えっ? ああいや! なんでもないよ」
「最後の飾りつけ、まだだったよね? いまやってくかい?」
「いやっ、いまはちょっと~……」
「どーしたの? ろくちゃん」
「うっわあ! な、なななんでもないよ、ルイル!」
帽子売りの店主を背に隠すように、ロクは急いで振り向いた。ルイルに向かって、へらっとぎこちない笑みを返す。
頭に疑問符を浮かべるルイルをよそに、ロクは店主にこそっと耳打ちした。
「……明日、朝早くでもいい?」
「お、おうよ」
店主の男とのやりとりを終えたロクは、「じゃあまた!」と別れを告げて、軽やかな足取りでその場をあとにした。ロクを除く4人も、まあいいか、とふたたび祭囃子の一員として雑踏に呑まれていく。
「あっ! ねえ見て見て、レト!」
夜空に向かって、さまざまな形をした無数の天灯が昇っていく。その圧巻の景色が歓声を呼ぶ。星の大海に向かって漕ぎ出した天灯に、人々は願いを託し、胸を熱くした。灯は絶えることなく、永遠のような一夜となってアルタナの空に輝き続けた。
今日この日を忘れることはないだろうと、この国のだれもがそう胸の中で唱えたにちがいない。
*
「明日の準備でご多忙のところ、見送りにまで来ていただけるとは……」
「いいの、気になさらないで。あなたたちは恩人だもの」
翌日。アルタナ王国の空は心地のいい天気に恵まれ、航海日和となった。海鳥たちが港の空を泳ぎ回り、コルド、レト、ロクの3人の出発を祝っているようだった。
見送りにきたライラとルイル、そしてガネストのおなじく3人は、丁重に礼をした。
「本当にありがとう。心の底から感謝しているわ。どうかお元気で」
「……」
「ルイル、あなたもお礼を言いなさい」
ライラはすこし屈んで、ルイルの背中をぽんと押した。港に着いてからずっと俯いているルイルは、いまにも泣きだしそうな表情で、3人の顔を見上げた。
「……ありがとう……」
小さな声だった。ロクは一歩だけ前に踏み出して、前屈みになった。
「こちらこそありがとう、ルイル!」
「……っ」
ルイルは、固く口を結んだ。泣かないようにと堪えているのが手に取るようにわかった。
「さあルイル、きちんとお別れを言うのよ」
「……」
「ルイル?」
そのとき。出航を知らせる鐘の音が、港一帯に響き渡った。
音につられて、ロクが腰を伸ばす。
「……──ルイル、」
ライラは膝を折り、ルイルと視線の高さをおなじくした。
そして、
「いっしょに行きたい?」
ルイルは、ぱっと顔を上げた。その視界に、優しく微笑むライラの顔が映りこんだ。
「この人たちに、ついていきたいのね?」
「……」
「行きなさい」
ルイルの瞳に浮かぶ大粒の涙を、ライラはすくいとった。
「この国のことは私に任せて。ハルトさんもいるし、お父様だっていらっしゃる。なによりこの国には、たくさんの優しい国民がいる。だから私は大丈夫」
「……おね、ちゃ……」
「ガネスト、あなたも行きなさい。ルイルのことは頼んだわよ」
「……かしこまりました。ライラ王女殿下」
「おねえちゃんっ! あのね、ちがうのルイルは……!」
「わかってる。この国のことはルイルも大好きよね? ルイルには、大好きなこの国のために、もっともっと大きくなってほしいの」
「……」
「いろんなものを見てほしい。いろんな経験もしてほしい。国の王女でいるばっかりじゃなくて……」
ライラはルイルの桃色の髪を撫でていた。その手を、さらりと解く。
「……──あなたにもいろんなものと戦ってほしいの。だって、次元師だものね」
今度は大きく鐘の音が響いた。出航の時間が迫る。
ロクは驚いて目を瞠った。
「え……じ、次元師?」
「……しってたの……?」
「あたり前じゃない。妹のことはなんでもわかるわ。……さあはやく、行きなさい」
港で船を待っていた人々が、ぞろぞろと船に乗りこんでいく。
ルイルは黙りこんでいた。しばらくして顔を上げたルイルの目には、涙ではないものが滲んでいた。
「おねえちゃん、あのね」
「うん」
「ルイル、おねえちゃんのこと……だいすきだよ」
「……私もだいすきよ、ルイル」
どちらからともなく腕を伸ばす。
桃色の髪が触れる。この香りを、温かさを、いつでも思いだせるように──強く、抱きしめた。
「……行ってらっしゃい、ルイル」
「──いってきます、おねえちゃん……っ」
コルドとレトが、ゆっくりと背を向ける。ガネストは、ライラに長く礼をした。
腕を解いて、歩きだすも、しばらくは離れがたくてライラのほうを見ていた。そんなルイルを励ますように、ライラは大きく手を振った。
ルイルの顔が綻ぶ。ふと、前を向いたそのとき。
「行こう! ルイルっ!」
ロクが、満面の笑みを湛えて、手を差し出した。
ルイルは瞬く間に笑顔になって、その手を取った。
「……うんっ!」
急げ急げと、大きな船に向かって走っていく。間もなく、船は出航した。その姿がどれほど小さくなっても、見えなくなっても、船が自分の視界からいなくなるまで。ライラはずっと、海の向こうの二人を見つめていた。
「がんばれ、ルイル」
海鳥が、空高く鳴いた。
遠く離れた場所にいても、どうかこの言葉が届きますように。蒼い海に願いを託しながら、ライラはもう一度──がんばれ、と言った。
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