第020次元 海の向こうの王女と執事14
腰まで伸びた桃色の髪が、緩やかに靡いている。肌も白く、気品のある若い女だった。
彼女は、上品な淡色のドレスの裾を揺らし、美しい振る舞いで玉座に近づいていく。
声を発せる人間はもういなかった。死んだとされ、葬儀まで行ったその張本人が、たくさんの視界の中で息をしている。地に足をつけ立っている。そして、幻のような麗しい声音を響かせ、悠然と空間を支配した。
もう見ることは叶わない──そう思っていた、実の姉の懐かしい姿に、ルイルは目尻を熱くした。
「おねっ、え……ちゃ……!」
聞き慣れた幼い妹の消え入りそうな呼び声に気づいたライラは、遠くにいる妹に向かってかすかに微笑み返した。
大扉の傍で、役目を終えたかのように息をついたレトヴェールの服の袖を、ぐいっと引っ張ったのはコルドだった。彼は声をひそめてレトに話しかける。
「お、おいレトっ、どうなってるんだ……!? なんでお前がここにいるんだ! それにその、いかにも格式高そうな服はどうした!?」
「あとで説明するから、いまはとにかく見学してようぜ。……おもしろいもんが見れそうだ」
ライラは、視線をジースグランへ戻すと、顔つきを変えた。
「父上様。お会いできて誠に嬉しゅうございます。二度と再び、そのお姿を見ることは叶わないと思っておりました。お身体、お変わりはございませんか?」
「……あ、ああ」
「あなたたちにも、苦労と心配をかけました。でももう安心なさい。……私は、死んでなどおりません。こうして生きて、戻ってまいりました」
「……なぜ……なぜ、ここに」
「陛下。私は大変悲しゅうございます。国交の件でルーゲンブルムへ向かう途中、突然護衛の騎士たちが私に剣を向け、私を薬で眠らせました。起きたときにはルーゲンブルム付近の小屋の中にいて、その近辺を数人の騎士が徘徊していたので、身動きがとれませんでした……。そして、小屋の近くを通りかかったルーゲンブルムの民が、こう噂していたのを耳にしてしまったのです。『アルタナ王国の第一王女が亡くなって、国葬が行われたそうだ』……と」
「……」
玉座に腰かけているジースグランは、袖の置き場に肘をつき、頭を抱えるように手を添えた。
「陛下、どうしてですか? なぜ私にこのような仕打ちをなさったのですか?」
「……わからないのか」
「いいえ、わかります。私も、ルーゲンブルムとの因縁を断ち切らねばと思い、馬を走らせたのですから」
「ならばなぜ、国交など!」
「ですが、私は国家間の戦争によってこの長きに渡る因縁が終結するなど間違いだと思っておりました! それに……父上も知っておいででしょう。私と、ルーゲンブルム国のレインハルト王子は……」
「黙れ!! 虫唾が走る! 敵国の王子と……通じ合っているなどと!!」
「心の底から愛し合っているのです! 私も王子も、国家間の戦争など、露ほども望んでおりませぬ!」
「お前はそうだろう! しかし心の優しいお前につけこんで、其奴はアルタナ王国を支配下に置く算段なのだ! ルーゲンブルムの女になるということを、お前は理解していない!!」
「いえ。それはちがいます、ジースグラン国王陛下」
大扉の向こうから、もうひとり、精悍な顔つきをした若い男が入ってくる。肌の色に近い薄黄色の髪は跳ねつつも整えられていて、物腰も落ち着いている好青年だった。
「……おま、えは……」
「お初にお目にかかります。ルーゲンブルムより参上いたしました、ルーゲンブルム国第一王子、レインハルト・ウェンスターです。お言葉ですが国王陛下、私は、アルタナ王国を支配下に置くなどということは一切考えておりません」
「嘘を吐くな!」
「本当です、父上! 彼は……私との婚約のために、王位継承権を放棄されました」
「なっ……なんだと!?」
「私はライラ王女と婚約をすることで、アルタナ王国との永劫の和平のための架け橋になりたい思っています。しかし私とライラ王女が婚約をしたところで良い顔をしない民はいるでしょう。反乱が起こるやもしれません。それでも、ゆっくりでもいいのです。信頼を得たい。そのためなら、王位だろうが名誉だろうが、すべてを捨てる覚悟です、ジースグラン国王陛下」
「……」
「父上。レインハルト王子は、ルーゲンブルムの現国王様に何年もの間繰り返しこう進言し、ついひと月前にやっと……『やってみせよ』とのお言葉を賜りました。……みな、胸の内では切に願っているのです。戦争のために剣を取るのではなく、互いの手を取り合えたら……と」
ジースグランはなにも言わなかった。
しばしの沈黙ののち、弱りきった声色で、彼は独り言のように言った。
「……。……好きにせよ」
「……ありがたきお言葉に、感謝いたします。国王陛下」
ライラとレインハルトが、並んで礼をした。ライラが丁寧に首を起こすと、そのとき槍や剣を向けられているロクの姿が目に飛び込んできた。
「武器を下ろしなさい。その御方はメルギース国より参られた御客人です」
「は、はい!」
ライラの一声で数十もの刃先から逃れたロクは、小さく安堵の息を吐いた。
そのとき、ジースグランは我に返って顔を上げた。
ロクと目が合い、そして、その視線をレトに向けた。
「……」
メルギース国の廃王家、エポール一族の末裔レトヴェール・エポール。
無礼者と騒ぎ立て、ロクの首を斬り落とさんとした。当然その光景は、レトの目にも入っただろう。
──メルギース国の民に対する蛮行。そう諭されてしまえば、言い逃れは叶わない。今度は世界上位の先進国メルギースとの戦争の火花が、ジースグランの目にちらついた。
王華の間から退出しようと足を踏みだしたレトは、くるりと身体の向きを変えて、ジースグランを見た。
「ジースグラン国王陛下」
名前を呼ばれたジースグランは、とっさのことで動揺を隠しきれず、びくりと肩を震わせた。その様子に、レトは柔らかい笑みとともにこう返した。
「メルギース国は、王制を復活させる気はないようです」
ライラに続き、レインハルトも礼をし王華の間をあとにした。レトとコルドが2人に続いて退出する。憔悴しきったように項垂れるジースグランの隣にいたルイルは、腰掛けから飛び降り、そのまま大扉に向かって駆けていった。ロクとガネストも、ゆっくり歩みだした。そしてルイルのあとを追うように退出した。
「レトヴェールさん。本当にありがとう。あなたのおかげで助かったわ」
「お褒めに預かり光栄です、ライラ王女殿下」
「まあ。さきほども思ったことだけれど、あなたって丁寧な振る舞いもできるのね。出会ったときはちょっとあれだったのに」
「……あれって……」
「僕からもお礼を言わせてくれ。……さすがはメルギース王家の血を引いた御方だ。どうか末永く頼むよ、レトヴェール君」
「俺にはなにもないよ。いまのメルギースに王族はいない」
レトとレインハルトが握手を交わしたそのとき。王華の間から忙しなく走ってくる音が聞こえだした。その矢先に、無防備に立ち尽くしていたライラの身体になにかが飛びついた。
ライラはその場でしりもちをつく。あいたた、と腰を擦っていると、すぐ真下からだれかのすすり泣くような声が聞こえてきた。
「……ぅ、っ……ら、ライ……」
「……」
「ライラ、おね、ちゃぁ……!」
ライラの身体にしがみつき、ルイルは顔はうずめて泣いていた。いろいろなものが、ぐちゃぐちゃに混ざり合った声ではなにを言っているのかも聞き取れなかった。それでもライラには、自分の名前が呼ばれているのだと、痛いほどわかった。
「……ルイル」
「うっ、ら……ライラ、おねえちゃ、」
「私のこと、信じて待っててくれたのね」
ライラは、涙ぐみながら、ルイルのことを強く抱きしめた。
「……おがえりなざい、おねえぢゃん……!」
「──ただいま、ルイル……っ」
永遠にも思えたひと月の別れを埋めるように、姉妹はずっと涙を交わし合っていた。
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