第018次元 海の向こうの王女と執事12
重々しい扉を、二度ほど叩いた大臣が「陛下、ギヴナークでございます」と一言かけると、「入れ」との声が返ってきた。
薄暗い寝室に足を踏み入れ、ギヴナークは一礼した。
「このような夜半に、申し訳ございません。ルイル第二王女殿下のことで、お話が」
「申せ」
「はっ。ただいま、城中で騒ぎが起こっております。『ルイル王女殿下が何者かに誘拐された』と……噂は、城下町にまで広がりつつあります」
「……」
ジースグランは、弱々しく首を回し、窓をほうを向いた。雨は止んでいたが、重々しい鉛色の雲が空を覆っていた。
「式は2日後か」
「はい」
「ようやくだな」
鉛色の雲は、小さく輝く星々を呑みこまんとするように、じっくりと、色濃く、天上を支配していく。
ガネストとロクアンズは言葉を失った。目の前には、表情を険しくするルイルの姿があった。駄々をこねて言っているのではないことは、すぐに理解できた。
ルイルは続けた。
「すうしゅうかんまえに、おしろのなかで、うわさをきいちゃったの。ライラおねえちゃんがガケからおちたとき、おつきのきしさんはいきてて、そのひとのよろいについてたはっぱが……ガケからすごくとおいとこにしかはえないはずのものなんだって。だから、ガケのちかくにいたのは、うそなんじゃないかって」
ルイルはおずおずとしていた。信じてもらえるかわからない、といったように不安げに視線を落としている。
すると、黙って聞いていたガネストが口を開いた。
「……その葉っぱの名前は、なんていうかわかりますか?」
「え、えっと……たしか……そ、そ……」
「ソ?」
「……ソラユラ草、ですか?」
「そう! そんななまえ!」
「ガネスト知ってるの?」
「……ソラユラ草は、主に湿地帯で生息していて、葉の先端が木のように枝分かれしている珍しい植物です。水分をかなり多めに取り入れないと枯れてしまうので、周囲に草木が少なく、かつ大きな河川か湖の近くでしか生息できません。アルタナ王国とルーゲンブルム間の森で該当するのは……東方にある『マレマ湖』だけです。しかし、ライラ王女殿下が落ちたとされるその崖というのは北西にあり、湖とは真逆に位置しています。ルイルの聞いた話が本当なら、矛盾が生じます」
「その、なんとかっていう草をつけて帰ってきたんなら、ほんとはその湖の近くにいたってこと?」
「そうなりますね。帰ってきた騎士は1人で、その人物がすべての経緯を話し、た……と……」
瞬間、空気が凍りついた。
言いながらガネストは気づいてしまった。ライラ王女の死にまつわる経緯を述べられるのは、その人物たった1人だったということを。
たとえそれが虚偽であっても、その人物の一言で──すべて"真実"になってしまうことを。
「……ウソついたって、こと? その人が? ……王女様が生きてるのに? な、なんのために!?」
「……もしも国王陛下に虚偽を申し立てれば、即刻打ち首です。しかし、国の王女が亡くなったなどという進言に対し……陛下は、その騎士を一旦牢へやり、その後たった1度の派兵で王女の捜索を終わらせました。そして数日と経たないうちに国葬を上げたのです。国の王女が、ましてや自分の娘がいなくなったというのに、陛下は別段動かれませんでした。なのに、『王女の死はルーゲンブルムの仕業』だと……今にも兵を動かす勢いです。それにその騎士はすぐに解放されていました。……陛下は、一介の騎士の発言を鵜呑みにし、実の娘の死を簡単に信じ、出兵のときを待ち焦がれている……よく考えてみれば、おかしな点だらけです」
「……えっ、ま、待って? それじゃあ、まるで……──」
ひと月前。ルーゲンブルム付近の北西の森でライラ王女が崖から落ちて亡くなった。
しかし実際には、ほぼ真反対に位置する東のマレマ湖という場所にいたらしかった。
たった1人だけで帰ってきたという騎士がこう進言した。
『ライラ王女殿下が、ルーゲンブルム付近の崖から転落死されました』
それを聞いた国王は、その進言の真偽を疑うことはおろか、娘であるライラ王女の生死をたいして確かめることもせず、
『ルーゲンブルムの連中が、事故に見せかけて殺したのではないか』
と言って、すぐに王女の葬儀を終え、出兵の準備を始めた。
そして今回の、ルイルの誘拐事件。
誘拐犯は全員ルーゲンブルム兵の服を纏い、その中には、アルタナ王国の騎士が紛れていた。
ルーゲンブルム兵を装い、罪を着せるように。
────まるで、すべてがルーゲンブルムに攻め入る口実を得るための、策略のように思えた。
「もしかして……ぜんぶ、王様が仕組んだことなんじゃ──!」
「く、口を慎みなさい! そのようなこと……あってはならないことです!」
「だって! ガネストだってそう思ってるから、さっきまでべらべら言ってたんでしょ!?」
「……」
「……。ルイルの言ったこと、無視するには、あまりにも事が大きすぎるよ」
押し黙るガネストに、ロクは決意をこめて続けた。
「あたしはルイルのことを信じるよ」
「ロクアンズさん」
「そう約束したから。ねっ、ルイル」
「……ほんとに、しんじてくれるの?」
「もちろんっ」
ロクは膝を折り、ルイルと視線の高さを合わせた。
「改めてよろしくね、ルイル!」
「……うんっ。……えっと……ろく、ちゃん」
「あ、覚えててくれたんだ! うれしー!」
「そりゃ来る日も来る日も部屋の前で叫ばれては、嫌でも覚えますよ」
ガネストは小さく吐く息に、悪態を交えて言った。そして、ロクのほうに向き直る。
「……下手をすれば、命はありませんよ」
「うん。わかってる」
「わかってる、って……」
「次元師はいつだって命がけだよ」
強気な笑みを浮かべて、ロクは言い切った。なにを言っても聞く耳を持たないだろう彼女に対して、ガネストは諦めの息を吐いたが、その表情に翳りは差していなかった。
地平線から、太陽が覗くか覗かないかの明朝には、空はすっかり雨の"あ"の字も忘れていた。起きてすぐに、壊れた荷馬車の車輪をさっさと修理してしまったガネストは、荷台に男たちの身柄を放りこみ、自分の馬にルイルを乗せると、すぐに出発した。
ロクはというと、ガネストが支度に取りかかっている頃すでに目を覚ましていたが、「行くところがある」と言ってガネストたちとは一度そこで別れた。
ガネスト一行が王城に着くと、城内は嬉嬉として彼とルイルを迎えた。
国王、ジースグランには今回の事件のことが知れてしまっているらしかったが、彼は「まずルイルを休ませてやってくれ。正午に王華の間に来るように」との言伝を大臣に頼み、それを受けたガネストも了承した。
そして──時間は過ぎ、王城内は正午を迎えた。
「此度の件、誠に手柄であった。ガネスト・クァピット並びにメルギースのロクアンズ。そなたらには褒美を授けよう」
王華の間。大広間となっているここで、ジースグランは、真紅と黄金の装飾が施された玉座に腰を落ち着かせていた。その隣でルイルが同じような造形の腰掛けに座っている。
2人の脇には、大臣と騎士団長と思しき人物が控えている。そして玉座から伸びる真紅のカーペットに沿って、重鎮と騎士たちがずらりと立ち並んでいる。コルドもその列の一員として最端に立っているが、彼は玉座から数十メートルは離れた、大扉の近くにいた。
真紅のカーペットに跪き、ロクとガネストは顔を伏せていた。
「身に余るお言葉です、ジースグラン国王陛下」
「そう謙遜するでない。ルイルの無事はそなたらのおかげだ。これで心置きなく、明日の子帝授冠式を迎えられる。褒美はそなたらの欲しいものを与えよう。なんでも申せ」
周囲の視線が、一斉にガネストとロクに集まる。刺さるような視線の数々を受けながら、先に名を挙げたのは、ロクだった。
「それじゃあ、先にいいですか?」
「ああ。申せ」
大臣や騎士たちの目は、ギラギラと滾っていた。年端もいかない子どもが、国王の前で無礼な口を利かないかはらはらしているのだ。案の定ロクの口調は畏まったものではなく、みな手に汗を握りしめている。
ロクは、へらりとした口調から一変して、鋭い瞳を向けた。
「国王様に、進言したいことがあるんです」
「……進言? 申してみよ」
「ライラ王女のことです」
大広間が、空間ごと凍りついた。従者の列一同が、例外なく瞠目している。
ジースグランの細い瞳も、わずかに丸くなった。
「ライラ王女は死んだと言われてましたが……──実は、王女はまだ生きています」
「ッ無礼者!!」
ロクの首筋に、2本の槍の穂先が向いた。近くで控えていた騎士のものだろう。ロクは一切動じることなく、ただまっすぐジースグランを見据えた。
「下がれ」
「し、しかし陛下……!」
「下がれと申した。……さて、ロクアンズ。とても興味深い話だ。申してみよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます