第016次元 海の向こうの王女と執事10

 

 森の匂いがした。そんな中を、ガタガタと不安定な足取りで突き進んでいく。どこへ向かっているのかは知らなかった。なぜ連れ出されたのかも、わからなかった。

 ルイルは真っ暗闇の中、ただひたすら震えていた。1時間ほど前、施療室で目を覚ましたばかりのルイルにはほとんど意識がなかった。視界がはっきりしてきたその途端、布のようなものに目と口を覆われ、抗いがたい強い力に四肢を押さえつけられ、すぐに気を失った。

 

 ゆっくりと意識を取り戻したとき、全身がぎしぎしと痛みだした。ときおり身体が上下に揺れて、そのたびに近くから男の声がした。1人じゃない。数人だった。

 あまり記憶にはないが、おそらく馬車のようななにかの中にいるのだろうと思った。


 「くっそ……さっきのはなんだったんだよ? 一瞬攻撃を受けたよな? テント張ってるせいでよくわかんなかった」

 「おそらく追手だろうが、銃撃か?」

 「おいおい、俺たちはともかくこの国のやつらは銃なんか持ってねぇだろ」

 「……よく考えたら、なんか、バチッて音がしなかったか?」

 「は?」

 「電気だよ。雷みたいな、低い音もした!」


 運転手と、目の前で会話をしている2人を合わせて最低3人はこの場にいる。低くて荒々しいので男だということはわかるが、声が似通っていてそれ以上のことはわからない。

 ルイルは、底知れぬ恐怖を感じていた。声も出せず、涙を堪えて、ただ小さな身体を震わせていた。


 (……──ガネスト……)


 いまはただ祈るしかない。ルイルは、胸の中で何度も何度も彼の名前を呼んだ。


 「とにかく、もうこんな時間だし今夜は留まったほうがいい。近くに使われていない屋敷がある。そこで夜を明かそう」


           *


 ガネストの想定通り、荷馬車を走らせていた一行は屋敷に着くなり歩を止めた。

 ガネストとロクアンズが遅れて到着すると、ちょうど荷馬車の中から人が出てくるところだった。

 見た限り全員男だった。その男たちのうちの一人が、目と口を塞がれたルイルを引き連れて屋敷の中に入っていくのが見えた。


 「ルイル……!」


 小さな身体はすぐに消えてしまった。ガネストが眉を寄せ、拳を震わせているのを見たロクは、息をひそめた。

 

 (──いったい、どうすればいいんだろ……)


 考えて行動をしろ。

 もうすこし作戦を練ってから。

 ──おまえはいつもいつも……!

 ──もしもルイル王女殿下の身になにかあったら、どう責任を取るおつもりですか!?


 頭よりも先に身体が動く気性だということは自覚している。多少の自己犠牲は考慮の上で行動をしているし、実を言うといつも被害者は出さないように計算だって踏まえている。だから器物や自然物が多少損害を被ることはあっても、大きな災害にまで至ることはなその場が収まっているのだ。

 しかし、目的のルイルが目と鼻の先にいるというのに、身体が鉛のように動かなかった。


 (……どうすればいい? ルイルに被害が及ばないように『雷皇』で攻撃をしかける? いや、屋敷の中なんてどこにだれがいるか把握できないし、空間が狭い。今夜はとくに湿気が多いから電気の通りも良すぎる。なにが起こるかあたしでも想定できない。ルイルのことは傷つけないように……やむを得ない場合、賊たちには傷を負わせることも考えるけど……でも、)


 ロクは懸命に考えた。思いつく限りの作戦をぶつぶつと述べてみる。こういう作業はいつもレトヴェールの仕事だったために、彼の指示に従って動いてきただけのロクは難色を示した。


 (こういうとき……レトなら、どうする?)

 

 迅速に指示を飛ばしてくれる義兄はいない。自分がやらなければならない。そう理解した。

 しかし、いくら思考を張り巡らせても妙案は浮かんでこなかった。そればかりか焦りが着々とこみ上げてきている。


 眉をひそめ、唇を噛み、思案に耽っていたロクの肩に、ぽんっと手が置かれた。


 「大丈夫ですか?」


 ロクは我に返った。心配しているのか、訝しげにこちらの顔色を窺っているガネストと目が合う。

 なにかがしぼんでいくような気がした。


 「……」

 「ロクアンズさん?」

 「……ごめん。そうだ。あなたもいるんだった」

 「?」


 ガネストは小首を傾げた。ロクがなにを言っているのかよくわからなかったため、彼はとくに返事をせずに小声で話しはじめた。


 「今回の誘拐がなんらかの目的によって行われたのだとしたら、考えられる理由は2つです。1つは、身代金の要求です。王族の人間をさらえば、それだけ交換条件で高値を提示することができます。賊であるならばなおのこと。そしてもう1つは、ルイル王女殿下が子帝になられることを、望まない分子による犯行か」

 「ルイルが王様になることを、嫌がってるってこと?」

 「そうです。ライラ王女殿下の支持派、つまり生前に王女殿下と親交のあった者による反乱である可能性もあるということです」

 「その場合……ルイルの身は、かなり危険だよね?」

 「……そうですね。向こうの怒りを買ってしまえば、なおのこと危険性が高まります」

 「……」


 悠長にはしていられない。ロクはふたたび頭を捻った。

 ルイルを傷つけてはいけない。犯罪者といえど、被害は最小に抑えるに越したことはない。さきほどの一撃で、もしかしたらロクの手の内はバレてしまっているかもしれない。

 ──が、

 ガネストのことは、その存在すらも、認識されていない可能性が大いにあった。


 「……!」

 「なにか浮かんだんですか?」


 ロクは返事をせずに虚空を見つめていた。

 そして、ようやく、彼女はふっと笑みをこぼした。


 「……よし。これでいこう!」

 「どのような作戦ですか?」

 「ガネスト、銃を扱うのは上手いの?」

 「ご命令とあらば、狙うも外すも」

 「暗闇の中でも?」

 「……もちろん」

 「そうこなくっちゃ!」


 ロクは口の端を吊り上げた。そしてガネストに耳打ちをすると、彼はすんなりと頷いた。


 「1分ね。屋敷に入ったところで、1分したら作戦開始。いいかな?」

 「異論はありません」

 「……じゃあ、いくよ」


 2人は頷き合うと、体勢を低めに、同時に屋敷へ向かって走りだした。

 屋敷の門の前には、1人の男が見張りとして立っていた。

 崩れかけた塀の影に隠れ、様子を伺う。きょろきょろと辺りを見回していた男が、ふいに後頭部を見せた。

 ロクが駆けだす。

 男は緩慢に首を回して、こちらを向いた。すると男はロクに気づき、目を剥き、声を上げるよりも先にロクの右手が──バチバチッと雷を携えていた。


 「うっ!」


 雷を纏った手で、ロクは男の首を鋭く叩いた。電流のショックと手刀の効果が及んで、男はその場に倒れこむ。

 ロクがこくりと頷くと、ガネストが音も立てずにゆっくりと扉を押し開けた。ガネストは中を一瞥し、だれもいないことを確認すると吸いこまれるように屋敷の中へと消えていった。

 さあ、作戦開始だ。

 ロクは気合を入れ直し、その場から移動した。入口からすこし離れた位置に足を落ち着かせると、屋敷の大きな窓の奥に潜む、数人の男の影を見上げた。



 扉から入ってすぐの広間には、人の気配がなかった。屋敷の中は蝋燭で明かりを保っているのだろう。全体的に薄暗く、古い建物なだけあって空間自体が寂れている。

 左手にうっすらと半螺旋状の階段が見えた。2階は、すこしだけ明かりが強い。置いている蝋燭の数が多いのだろう。ガネストは足音を完全に殺し、階段に近づいた。


 「ちっ。また降りだしたな。小雨程度だが、明日には晴れといてほしいもんだ」

 「そうだな」

 「ところで今回の……ほんとにこのガキを連れ去るだけでよかったのか?」

 「ああ。金は弾む」

 「素性も明かさねえし、変な服は着せるし、謎だらけだよなあんた」

 「どっかのお偉いさんだったりして!」

 「なるほどな! いや~あんた、バレたら首跳ね飛ぶんじゃねえの?」

 「お前たちは余計な心配をせず、ただ従っていればいい」


 数は、気配からしても3人。ルイルを除いた数だ。彼女はというと、おそらく左手側にいる男に捕まっている。隙間風のような浅い息が聞こえてくるのはその方向からだけだ。それに左手側にいる男だけが喋り口調に負荷がかかっているように思えた。ほかの男は屋敷に着いて安堵の息が混じっているので、その差は歴然だ。

 ガネストは息を殺す。そのときをじっと待つ。胸元のベストの内から一丁の銃を取り出し、構えたその瞬間。


 ──轟音を連れた落雷が、眩い光を放ち、窓硝子を叩き割った。


 「な、なんだ!?」

 「雷だ! すぐ近くで! が、硝子が……!」

 「うッ、うそだろ……!? さっきまで小雨」


 雷光が失せ、もとの暗闇に戻った、その瞬間。


 「──ッうああ!?」

 「!? ど、どうした!?」


 銃声が響いた。

 外界からの風の暴力によって蝋燭の火が一気に消え失せ、間髪を入れずにもう一度、乾いた音が空間を駆け抜ける。


 「ぐあッ!!」

 「お、おい! ……な、なんだ……!? だれだッ!! いったい、何者だッ!?」


 またしても、窓が力強い光に包まれる。雷独特の重低音が響く。一瞬だけ、身の回りの景色が明るくなる。

 骨張った腕でルイルを抱えていた男は、ガネストの蒼い双眸と、目が合った。

 

 

 

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