第015次元 海の向こうの王女と執事9
「うん! じゃあ行こう、ガネスト!」
ロクアンズは、にっと眉と口角を吊り上げた。
「あなたの、躊躇の欠けた行動には度々驚かされます」
「え?」
「いえ、忘れてください」
「……あ! ああ、ごめん! 勝手に飛び降りちゃって。窓割れてたし、てっきりこっから連れ去られたのかと思って……冷静に考えてみれば、窓を割ったのは罠かもしれなかったよね!?」
「……。いや、おそらく本当にここから連れ去ったのだと思います。王城の外も中も惜しむことなく人員を配置していますが、唯一、ここからの一本道だけ警備が手薄なんです。城内へ物資を運ぶための運搬経路になっていますし、ちょうどこの時間はその運び出しに番役の人間も使っているはずですから」
ロクは前方を見やった。城壁と同じ質の石で造られた壁がある程度の幅を置いて向き合い、それに沿って草木の鉢が一直線にずらりと並べられている。そうして作られた一本道が、ずっと先まで続いている。
「なるほどね……。それに、よく見たら車輪と蹄の跡があるよ。ここを通っていったってことで、まちがいないみたい」
「……」
「ねえガネスト、この近くで馬を借りられるところない? 走ってちゃ追いつかない」
「こっちの道を行くと、すぐに保管庫があります。そこに何頭か、馬を置いているはずです」
「よし!」
ガネストは右手のほうへ、指先を向けた。彼が指し示した方向に従ってロクは走りだす。
ガネストの言う通り、通路を進むとすぐに保管庫へ辿り着いた。王城の外から運ばせた物資を通す関所のような場所だった。文字通り保存の利くもの、たとえば米や土などといった大量の物資を一時的に置くのにも適応している。
小さな厩舎が見えて、ガネストとロクはそこへ駆けこんだ。保管庫で仕事をしていた人間の中には、ルイルの失踪を知らない者もいたために、庫内は騒然とした。
ガネストが事情を話すと、保管庫を取り締まっている代表の役人が快く馬を貸し出してくれた。お礼を言い、彼は一頭の馬を引いてロクのもとに戻ってくる。
「あっごめん、もう一頭貸して!」
「え? あなた、馬を扱えるんですか?」
「一応ね! ……レトほど上手じゃないんだけど」
「?」
不思議そうな顔をしつつも、ガネストは役人に頼みこんで馬をもう一頭借りることに成功した。
ガネストとロクは慣れたように馬に跨った。まだ年端もいかない二人が悠然と手綱を引き、勢いよく馬を発進させたその背中を見て、役人たちは呆気にとられていた。
「さっ、急ごうガネスト!」
「はい」
よく馴らされた地面を、蹄が強く蹴り飛ばす。一本道を颯爽と奔り抜けていく。すると、だんだんと壁の端が見えてきた。その先は森になっていて、林道が続いている。
「車輪の跡が続いてる! まっすぐだ!」
「……目が良いんですね」
「まあね! 田舎育ちだし……それにほら、片目しか開いてないし!」
「……」
ガネストには気になっていることがあった。きっと、彼女に初めて出会う人間ならだれしもが、一瞬は意識する。
傷で塞がれた右目のことを。
彼女はぱっちりした大きな目をしている。しかしそれは左目だけで、もう片方の右目は、瞼を真っ二つに分断するような傷跡が走っていて、固く閉じているのだ。
「これね、拾われたときからあったんだ」
「!」
「気がついたらこうだった。だからどういうわけで、こんな傷があるのかもわかんない。でもあたしにとっては物心ついたときからこうだから、ぜんぜん気にしてないんだけどね。……ほとんどの人は驚くだけで触れてこないんだけど、たまに聞かれるんだ、『その目どうしたの?』って。そのときはいっつも、『事故でまちがって切っちゃって』って答えちゃってるよっ」
へへっ、とロクが笑う。まるで心の内をそっくり覗かれたようだった。それほど、欲しかった答えが明確に返ってきた。
口にこそしないが、初めて見たとき、それを気味悪いと感じた。しかし、彼女の容姿や第一印象であったり、数々の行動であったり、他国からやってきた研究機関の次元師というレッテルは、いつの間にか取り剥がされていた。ここ数日を経て彼女の内側にあるものに触れたために、ガネストは、その右目を気味が悪いなどとは思わなくなった。
ガネストは顔の向きを前方に戻し、緩やかに視線を下げる。と、そのとき。
ロクが、あ、と声を上げた。
「ガネスト、見て! 荷馬車だ!」
「……!」
くっと顔を起こした。前方に揺れているのは、たしかに荷馬車だった。荷台のスペースに骨組みを立て、布をかけている。その四角い空間の中までは覗けないが、車輪の具合や薄汚れた布から察するに、──盗賊の部類だろうと思えた。
「次元の扉、発動!」
バチッ──と、空間に電気が奔る。はっとしてガネストが横を向くと、
「──雷皇!!」
ロクがその名を叫んだ。瞬間、彼女の全身から雷光が弾け飛ぶ。非科学的で、超次元的な力──次元の力を、目の当たりにする。
「……!」
「雷を操る次元の力だよ。お菓子作りも楽器も苦手だけど、あたしはこっちでなら戦える!」
ロクが、手綱を打ち鳴らす。馬は加速し、荷馬車との距離をぐんぐん詰めていく。
天上を覆う雨雲に、絶好の天気だ、とロクは呟いた。
その灰色の背中が遠ざかると、ガネストは真っ青な顔で声を荒げた。
「ッ! ロクアンズさん!!」
「──五元解錠!」
しかし、ガネストの声はロクの耳に届かなかった。
「雷撃ィ!!」
翳した右の掌から、膨大な量の雷が放たれた。荷馬車へ向けて一直線に駆け抜けていく閃光だったが、わずかに導線が逸れ、転がる車輪の表面を撫でるに終わった。ぽろりと、車体から小さいなにかがこぼれ落ちるのが見えた。
「あれ? 失敗しちゃった……。車輪外すつもりだったのに」
「──なにを考えてるんですか、あなたは!!」
「!」
突然、ガネストが馬に乗ったままロクの目の前に飛びだしてきた。ロクはびっくりして、自分も強く手綱を引いて馬を急停止させる。
ロクは、物凄い形相で睨んでくるガネストにぽかんとした。
「が、ガネスト?」
「すこしは考えて行動しなさい!! あんなことをして、もしもルイル王女殿下の身になにかあったら、どう責任を取るおつもりですか!? 賊から取り返すことができれば、彼女の身体はどうなっても構わないというんですか!!」
「え? いや、そんなつもりじゃ」
そのときだった。
狼狽えるロクの額に、──カチャッと、銃口が向けられた。
「たとえあなたでも、ルイルを傷つけることは絶対に許さない」
真黒の装甲。彼の髪や瞳と同じ海の色で、細い線のようなデザインが走っている。ガネストはこれまでになく冷酷極まりない目つきで、いまにもロクの額を撃ち抜かんとしている。
しかしロクは、恐れを上回る"ある予感"に、支配されていた。
──それが、超次元的な匂いを漂わせている、と。
「……ガネスト、あなたもしかして……」
「……」
ガネストは、そっと銃を下ろした。そして自分の腰元から提げたホルダーに収める。
「急ぎましょう。ここで言い争うのも時間の無駄ですから」
「みんなには言ってないの?」
「……僕の務めは、ルイル王女殿下をお守りすることです。それ以外に役目はありませんし、それ以外の能力を、ひけらかしたいわけではありません」
ガネストは手綱を操り馬を前に向かせると、荷馬車が消えていった道の奥に視線を戻した。
「ともかく、夜が更ける前に急いで馬を走らせましょう。これ以上暗くなると見失ってしまいます」
「たぶん遠くまで行ってないと思うけどね」
「は? どういうことです?」
「車輪の一部っぽいものが外れるのを見たんだ。一瞬、ガタッてなって、そこから運転が不安定になったのを確認した」
「……ということは」
「案外近くで、ウロウロしてるかもね」
ガネストは口元に手を持っていき、すこし考えるような仕草をした。そして、あることに気がつくと真っ直ぐにロクを捉えた。
「この近くに、いまはもうだれも住んでいない古い屋敷があります。大きな屋敷で目立ちますし、あなたの推測が正しければ、おそらく……そこで往生しているかと」
「! じゃあ!」
ガネストは頷いた。二人は前を向くと同時に、手綱を唸らせる。
先に駆け出したガネストの後ろ姿と一定の距離を保つロクは、その背中を見つめながらつい先刻のことを思い出していた。
『すこしは考えて行動しなさい!!』
声の主や文字並びにちがいはあるが、かけられた言葉は、彼が自分に対してよく言っているものそれ自体だった。
(……──同じようなこと、レトにも言われてるな)
流れても流れても濃灰の空が晴れることはなく、月明かりのない道の上を探るように駆け抜け、ロクの脳裏ではその言葉が繰り返し再生されていた。
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