第014次元 海の向こうの王女と執事8

 

 「栄養の不足が主な原因でしょう。それと、軽い脱水症状も見られます。だいぶ衰弱しておられますから、しばらくはお薬をお出しします。ですが、ルイル王女殿下は体力もございますし症状も軽度なので、すぐに目を覚まされると思います」

 「そうですか……。王医様、ありがとうございます」

 「とんでもありません」


 施療室へと運ばれたルイルは、すぐに王医の治療を受けることができた。王医が煎じた薬湯を飲み、いまは寝台で寝息を立てているという状態だ。

 ガネストは、ほっと息をついた。ロクアンズもルイルの幼い寝顔を見て、安心したように笑みを浮かべた。


 「よかったね、ルイル。大事に至らなくて」

 「……。すこしもよくありません。もし、気づくのがもっと遅かったら、ルイルは……」


 ガネストが弱々しく呟いた。

 ──『……たすけて……』部屋から出てきたルイルが、ロクにそう言っていたのを彼女はぼんやりと思い返した。


 「……立ち聞きするつもりはなかったんですが……。……すみません」

 「え?」

 「……」

 「……ああ、なんだ、やっぱり聞いてたんだ。べつにいいよっ。隠したいわけでもないしね」


 ロクは、あっけらかんとして言った。不意を突かれ、ガネストは一瞬呆けた顔になった。


 「ガネストのことね、なんだかレトみたいって思ってたんだ。冷たいし、優しくないし」

 「はい?」

 「でも、レトのほうが優しい。レトは案外素直だから」

 「……」


 ロクは、ぐぐっと伸びをして、ガネストの顔を覗きこんだ。


 「ねえガネスト! ルイルって、ココッシュ好きかな?」

 「え? ココッシュって……」

 「この国の伝統のお菓子なんでしょ? なんか、生地がふんわりしてて貝みたいな形で、中にクリームとかジャムをはさんでるやつ! 実は城下町で聞いたんだ~! ねえ、好きかなっ?」

 「ま、まあ……」

 「ほんとっ!? じゃあ作ってよガネスト~! ねっ、お願い!」

 「なんで僕が?」

 「だって、あたしじゃダメなんだもん。調理場の人が言ってたよ。『ガネスト様はお料理も巧みで、特に菓子は絶品なんです。ガネスト様の作ったものじゃないと、ルイル王女様は召し上がらない菓子もあるくらいで』ってね」

 「……」


 ガネストは、ロクが度々調理場に行っていたことを思い出して、バツが悪そうに視線を外した。


 「ルイルが起きたとき、ルイルの好きなものを一番に食べてもらって……そしたらきっと元気出るよ、ルイル! だからお願いガネスト! いっしょにルイルのこと元気づけよ? ねっ」


 太陽のような笑みだった。捨て子だったとか、拾ってくれた義母を亡くしただとか、そんなことを一切匂わせることのない底抜けの明るさが眩しかった。ガネストは目を閉じて言った。


 「わかりました」

 「ほんと!? やったー!」

 「……いっしょに、と言ってましたがあなたは手伝わないんですよね?」

 「うっ。あ、い、いや! お……応援するっ、やっぱり! フレーフレー、って! 後ろは任せて!」

 「邪魔ですね」

 「ひどい!」


 ロクを置いて、ガネストはさっさと医療室から退出した。最後に見たロクの絶望したような顔を思い出して、思わず笑いそうになる。

 ふとガネストは立ち止まって、考えた。笑うのなんて、いったいいつ以来だろうと。

 

 

 

 

 

 ──事件が起こったのは、その日の夕方だった。

 

 

 ルイルは、4時をすぎたころに目を覚ました。ガネストはココッシュ作りのためにと材料調達をしている最中にその報せを聞き、ルイルのもとへは寄らずに調理場へ向かった。さながら職人のような手さばきであっという間にココッシュを作り終えると、それを持って施療室に戻ってきた。


 「王医様、ガネスト・クァピットです。入ります」


 菓子の入った籠を片手に、ガネストは扉を押し開いた。彼のあとについてきたロクも遠目からその隙間を見やり、室内を覗く。

 ガネストは脈が早くなるのを感じながら、ルイルの寝台へと目をやった。

 しかし、

 ──室内は、何者かに侵入されたかのように荒れ果てていた。


 「……! ルイル……王医様! 王医様!」


 ルイルはいなかった。それを認識してすぐ、ガネストは王医の姿を探した。しかし室内は不気味なくらい静まり返っていて、人ひとりいなかった。

 そんなとき。


 「がっ、ガネスト様! 大変です!」


 廊下のほうから声がして、ガネストとロクはすぐさま振り返った。

 すると、顔中に汗を滲ませた王医が、焦りと困惑に満ちた表情で駆け寄ってくるのが見えた。


 「王医様! これはいったい」

 「わ、私が薬室へ行っている、その数刻の間に、ルイル王女殿下が……殿下がいなくなってしまいました!」

 「なんだって!?」


 ガネストは、血相を変えて王医の分厚い肩に掴みかかった。


 「も、申し訳ありませんっ! 私が人を置いていれば……どうか罰を! 罰をお与えください!」

 「……。このことを、知っているのは」

 「医官に留まらず、城中が、パニックに陥っています……! も、もももし国王陛下のお耳に入ってしまったら……」

 「……」

 「──ねえ! 見て、ガネスト! 窓が……!」

 「!」


 ロクが室内を指差した。寝台に近い壁の窓硝子が割られていて、辺り一面にその破片が散らばっていた。

 荒らされた室内をただ呆然と眺める。ガネストは、全身から力が抜けていくのを実感した。


 「……」

 「行かなきゃ。あたしがルイルを助けに行く!」


 室内へと駆けこんだロクが、割れた窓へ向けて前進した。ガネストが我に返ったのは、彼女が硝子の破片を踏みつけ、躊躇うことなく窓から飛び降りたのを見たときだった。


 「! ロクアンズさんッ!」


 ガネストも室内へ入った。こぼれた薬品、無造作に放られた道具や大量の本、そして辺り一帯に散らばっている硝子の破片を踏み抜いて、窓の縁に食いついた。するとその真下から、ロクの叫び声が聞こえてきた。


 「心配しないでガネスト! ルイルのこと、必ず連れ戻すから!!」

 「……」


 決して飛び降りられない距離ではない。が、一瞬の躊躇もなく窓から外へ飛び出していけるかと問われれば、否と答えてしまうだろう。それほど、すぐ目下の地面との距離が恐怖心を煽ってくる。

 しかし、ガネストは窓の縁に足をかけると、茂みに向かって勢いよく飛び降りた。


 「ガネスト!?」

 「……僕も行きます」


 ロクが驚きの声をあげると、ガネストは着地の衝撃を負った両脚で、負けじと立ち上がった。


 「ルイルを守るのは僕の務めだ」


 淡い海色の双眸が、太陽の光を照り返し、強く言い放った。

 

 

 

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