第012次元 海の向こうの王女と執事6

  

 「おや、レト君じゃないか。こんなところでなにをしてるんだい?」


 メルギース国の最大都市、エントリアに位置する次元研究所『此花隊』本部は、ちょうど昼時を迎えていた。

 戦闘部班副班長のコルドと、班員のロクアンズがメルギースを発ってから、5日目のことだった。同じく班員のレトヴェールは、資料室で戦闘部班班長のセブンと出くわした。


 「セブン班長」

 「いまはお昼だろう? 食べに行かなくていいのかい?」

 「俺、さっき起きたから。寝起きはお腹空かなくて」

 「……ああ、そういえばロク君がそんなことを言っていたような……」

 「なんのことだ?」

 「いや、なんでもないよ」

 

 レトは持っていた紙束に視線を戻す。セブンは、上からその紙面を覗きこんだ。


 「元魔の出現地……?」

 「……ああ、まあ一応。関連性がないとは思うけど……。ほんとに読みたいやつは届いてないし」

 「本当に読みたいもの?」

 「──神様の、出没情報」


 低い声色。独り言のようだった。瞬間、空気が変わったことを察したセブンは、細心の注意を払いながら発言した。


 「そうかい。彼らは人前に姿を現さないからね。たしかに情報は少ない」

 「……。もし現れた場合、情報はここに来るのか?」

 「来ると思うよ。資料室は特に、いつも新鮮な情報を届けさせてる場所とこだから」

 「……そうか」


 普段からあまり温度差を示さない声音であるがゆえに、そんなレトの微細な感情の変化を掴みきれずにいる。しかし思ったよりも穏やかな語尾だったなと勝手ながらに解釈したセブンは、自然に話を切り替えた。


 「そういえばレト君。いま、コルド君とロク君がアルタナ王国にいるのは知っているかな?」

 「ああ。何日か前に発ったんだろ。任務で」

 「君も行くかい?」


 レトはきょとんとした。珍しく年相応のあどけない反応を見せたレトに、セブンはくくっと笑う。


 「もしかしたら、君の助けが必要になるかもしれないよ? ちょうど私も出るところだったし、途中まで送るよ」

 「……いや、べつにいいよ」

 「ロク君もいないし、どうせ暇してるんだろう?」

 「……」

 「あそこは観光するにもいい国だよ」


 ニコッと微笑みかけるセブンだったが、返ってきたのは相変わらずの仏頂面だった。

 深く息を吐きながら、机の上に紙束を置くと、レトはそのまま扉に向かって歩きだした。


 「行かないのかい?」


 バタン、と扉が閉まる。セブンは、やれやれと肩を竦めた。

 

 

 

 所用を済ませ、支度を終えたセブンは、荷馬車の手配をするために厩舎に訪れていた。数人の人間が、馬に餌をやったり掃除をしていたりと、各々の活動をしている。

 その中で、馬の頭を撫でていた男がセブンの存在に気がつき、声をかけた。

 

 「セブン班長!」

 「やあ、いつもご苦労様。さっそくで悪いんだけど一台出してほしいんだ」

 「わかりました」

 「しかしあれだね、援助部班っていうところは、仕事が多くて大変だ」

 「そんなことはありません。たしかに仕事の数は多いですが、担当によって班もちがいますし、班員もすごい数なのでみんなで協力し合っているというか」

 「はは。それはいいね」


 此花隊における組織の一つ、『援助部班』。この組織の仕事内容は、主にほか組織のサポートを務めることだ。施設内の清掃や食堂での調理、依頼の手配、そして任務で外へ行く隊員たちのために馬を引くことも仕事の一つである。


 セブンは舍内にいる馬を撫でていると、なにかに気づいたように目をぱちくりさせた。


 「あれ? 一番速い子がいないね」

 「ああ、さきほど戦闘部班の……金髪の子が乗っていきましたよ」

 「え?」

 「行き先は言ってませんでしたけど」


 驚いて目を丸くしていたセブンの口元が、みるみるうちに緩んでいく。

 そして、ぶはっ、とセブンは吹き出した。


 「やっぱり面白い子だなあ」

 「ど、どうかなさいましたか」

 「いやー、なんでもない。動物は苦手じゃなかったのかな」

 「?」

 「それにしても……いったいいつ、馬術なんてものを会得したんだ?」


 遠くにある門を眺めながら、セブンは感嘆の声をもらした。


          *

 

 7日目の朝。アルタナ王国の空はここのところ調子を崩しつつあるが、王城内で生活している者たちの心配が及ぶ範囲ではない。

 大きな窓硝子の向こうにある曇天が、城内の廊下から陰陽の境を奪いとった。覚えた道は薄暗い影に呑まれていたが、グレーのコートは着実に目的地へと向かっていた。

 コートの裾が大人しくなる。ロクアンズが足を止めたのは、いつもはいるはずの人物が、そこにいなかったからだ。


 「あれ? ガネストがいない……どこかに行ってるのかな」


 さほど気に留めることもなく、ロクはルイルの部屋の前まで歩いていった。

 立ち止まる。ロクは、コンコン、と扉を叩いた。


 「ルイル、おはようっ。いる?」


 返事はなかった。しかしロクは笑顔を崩さなかった。


 「ねえルイル。ひとつ聞いてもいいかな?」


 返事を待たずに、ロクは問いかけた。

 

 「どうして、王様になりたくないの?」

 「……」


 部屋の奥で、布の擦れる音がした。寝台の上で座っているのだろうか。予想外の質問にいささか動揺したように思えた。


 「王様ってさ、国のことを一番に考えてて、支えて、そうして国中の人に愛される。どっかの国にはそうじゃない王様もいるかもしれない。でもそれはその人次第で……。ルイルだったらきっといい王様になれるよ」

 「……なんで、ルイルのこと、しらないくせに」


 冷たく突き放すような、それでいてどこかふてくされているような、幼い声が返ってきた。


 「そうだね。あんまり知らない。だからもっとお話したい。ねえルイル、聞かせて? どうして王様になりたくないの?」

 「っ、やだ!」


 扉から、バンッ! と強い音がした。初めて訪れたときと同じだ。ルイルがなにかを投げつけたのだ。


 「いやだっ! かえって! なんでそういうこというの……? ルイルは王様になんかならないっ!」

 「だから、どうして?」

 「あなたにはわかんない! わかんないよ! ……おねえちゃんがなるんだったの……ルイルは、ルイルは王様になんかなりたくない!」

 「──もういないよ!」


 ロクは、拳をつくって扉を殴りつけ、叫んだ。


 「あなたのお姉ちゃんは、もういない! 亡くなってしまった人はもう帰ってこない! ルイルだってわかってるでしょう!?」

 「ちがうっ! ちがうもん! いるもん! おねえちゃんはかえってくるもん……ルイルをひとりにしないって……いってくれたの……おかあさんもしんじゃって、ないてたルイルに、そういってくれたんだもん……だから、おねえちゃんは、かえってくるんだもん!」


 ひくっ、と小さくひきつっていたのが、途端に大声で泣きだした。

 ロクは耳を疑った。この国の王妃は亡くなっていたのだ。いまここで初めて耳にしたのも偶然にすぎず、おそらく何年も昔の話なのだろう。ロクは、息を吐いた。


 「……あなたの気持ちもわかる。でもねルイル、ここで泣いてたってお姉ちゃんは帰ってこないし、なにも変わんな」

 「わかんないよルイルのきもちなんか! だれもわかってくれない! ルイルは、ひとりぼっちで……だからだれも……ルイルのこと、これっぽっちもわかってくれないくせに! わかんないよ!」

 「わかるよ!」

 「わかんないよ!!」


 ロクは口を噤んだ。周囲を見渡したがだれもいない。扉に背中を預けると、そのまま腰を下ろした。


 窓硝子の向こう側は、降りだしそうな曇り空だった。


 「……わかるよ」


 ロクは、ぽつりと呟くように言った。


 「あたし、拾い子なんだ」


 静寂が訪れる。ルイルは、薄暗い部屋の中でゆっくりと首を動かして、扉のほうを向いた。


 「拾われた子どもって意味。もともと、捨てられてたんだ。だからね、あたしにはお母さんもお父さんも、お姉ちゃんも……お兄ちゃんも、ほんとはいないの」

 「……」

 「だから、わかるよ。あたしも……ひとりぼっちだから」


 灰色の雲によって閉ざされた空へ、二羽の白い鳥が駆けていった。

 ロクは、静かに語りだした。

 

 

 

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