第011次元 海の向こうの王女と執事5

 

 菓子の籠とすこしの花を持ってルイルの部屋に訪れた日の、夕方のことだった。

 ロクアンズはまたしてもルイルの部屋の前にやってきた。一日に二度来るのは初めてだな、とロクを注視するガネストだったが、

 彼女は昼間と変わらない笑顔と、山のように菓子類を乗せたワゴンを連れて現れた。


 「ルイル、お待たせっ! ごめんね、あたし気づくの遅くて……問題は味じゃなくて、量だったんだねっ!」

 「……心配した僕がバカだった」

 「さあっ! いっぱいあるから、たあんとお食べー!」

 「そうですね。問題なのは味じゃなくて、その頭の軽さだと思います」

 「な、なななんだとぉ!?」

 「それと一日に何度も来ないでください」


 「たくさん会いに来る作戦は失敗か……」そう独り言を吐きながら、ロクはワゴンとともに引き返した。小さなその背中は落ちこんでいるようだったが、こぼれんばかりの山の中からときおり菓子をつまみながら去っていくのを見て、ガネストはふたたびバカを見たと眉をひくつかせた。

 当然、ルイルは部屋から出てこなかった。


 その翌日。菓子や花ではやはり効果がないと、そう思ったロクが次にとった行動は、楽器の演奏だった。


 「ルイル起きてるー? ロクだよ! いまからちょっと聴いてほしいものがあるんだ。いくよー!」


 ロクは言いながら、ところどころ歪んだ長い箱のようなものを抱えて部屋の前で座りこんだ。その箱には糸のような細さから紐のような太さまで様々な弦が張られている。アルタナ王国の伝統的な楽器『オウラ』だ。彼女はそのうちの一本に指を添え、粛々と弾き始めた。

 が、しかし。

 素人が聴いても「下手だ」と理解できてしまうほどの不協和音が、ガネストの鼓膜に突き刺さった。


 「やめてください! 追い出されたいんですか、あなたは!」


 始まって数秒も経たないうちに楽器を取り上げられ、ロクはしぶしぶ引き下がった。



 その後日も、ロクは楽器の種類や数を変えたり「わあー火事だ!」などとハッタリを騒いでみたりと、手札を変えながらルイルの反応を窺ってきたが、どれも失敗に終わった。


 そうして、初めてルイルの部屋に訪れた日から、6日目の朝を迎えた。


 「ルイルー! ねえ、『棒倒し』しようよ! これはね、あたしがいた村ですごい流行った遊びで、まず木の枝を用意するの。たくさんね。そんで4、5本くらい使って束にしたものを5つくらい作って、それをちょっと遠くの土に軽く埋めたら準備完了! あとは軽めの石を用意して、順番に蹴ってくだけ。立てた木の枝の束をいちばん多く倒した人が勝ちなんだ!」


 ロクは丸い桶のようなものを運びだした。ちらりとガネストが覗くと、そこには大量の砂が入っていて、止めるよりも先に彼女は廊下の真ん中で砂をぶち撒けた。

 ほかにもどこで見つけてきたのかは定かでないが、木の枝で組み立てたいくつかの標的と、小石を取り出した。だから勝手に採集するなとふたたび言及したところで聞く耳を持たないだろうということは、さすがのガネストも学んでいる。ただ黙って、大きなため息をついた。


 「いっくよ~……! えいっ! ……──やったあ! 2本倒れたっ! ねえ見てル……」


 興奮した様子でロクは扉のほうを向いたが、壁に埋めこまれただけのそれは、なんの反応も示さなかった。


 「ルイル、部屋出て見てみなって! すごいんだよほんとに! そんでいっしょに遊ぼうよ ! 楽しいよこれー!」


 元気な声音はその扉の表面に弾かれると、広い廊下の中で行き場を失った。


 「……んん~。これでもダメかあ……。ほんとに、どうしたら出てきてくれるんだろう?」

 「だから諦めたほうがいいって言っているじゃないですか」


 呆れを通り越した淡泊な忠告が、うわ言のように告げられた。

 ──ふと、

 ロクはガネストのほうに向きなおった。


 「……ねえガネスト、あなたはなんですこしも手伝ってくれないの?」

 「は?」

 「あなたはルイルの執事なんでしょ? だったらなんで、ずっとそこで突っ立ったまんまなの? ルイルを国王様にしたいなら、どうして説得とかしないの? その日が来るのを、ただ黙って待ってるだけなの!?」

 「……」

 「ルイルは不安だから部屋に籠ってるんでしょ! その不安を取り除いてあげたいとかすこしも思わないの!? ルイルのそばに一番いるのは、あなたなのに!」

 「──よそ者のあなたに、いったいなにがわかるっていうんですか……?」


 酷く冷たい瞳が、まるで弾丸のようにロクの口上を打ち止めにした。


 「あなたこそ、ルイル王女殿下を愚弄しているんじゃないですか」

 「なっ、なんだって!?」

 「ここ数日にわたる不可解な行動の数々。それに伴っているのは成功ではなく、不信感です。まるで効果が見られないというのになぜ諦めようとしないのですか?」

 「それは、だって、諦めたくないよ!」

 「仕事だからですか?」

 「え?」

 「あなたはこの国で、『ルイル王女殿下の機嫌をとる』という、仕事で来たんじゃないんですか」


 一瞬、喉の奥のほうで息がつまった。


 「そ、れは……いまはそんな」

 「諦めてください、次元師様。ルイル王女殿下の御心を乱し、殿下の御部屋の前で醜態をさらし、騒ぎ立てるなどという行為は今後一切お見過ごしいたしません。お引き取り願います」


 ロクは、二の句を告ぐことができずに、ただの棒のように立っていた。

 どのくらいそうしていたかは知らない。くるりと背を向けはしたが、感覚を失った足ではそれも覚えていなかった。




 寝所のある宿舎の中を、意図もなく歩いていた。ぼんやりとした意識だけが前へ進む。いつまでも変わらない一直線上の赤色に時間の感覚を狂わされていた。縦に長い大きな窓から、夜の明かりが仄かに注ぐ廊下を、いつから徘徊しているのかもロクははっきり記憶していない。


 「ロク?」


 聞き覚えのある声に、はっとした。


 「どうしたんだ、こんな時間に。それに隊服着たままで……。寝つけないのか?」

 「……」

 「……なにかあったのか? 俺でよければ聞くぞ」


 向こうで話を聞こう。そうコルドに促され、同じ階にある談話スペースに足を運んだ。そこには簡素なデザインのソファが窓を向いておかれていた。ロクはどこか宙を見つめたままそのソファに腰をかけ、じっと俯きながら、ここ数日のことを話し始めた。

 

 「なんか、どうしたらいいのかわかんなくって……。たしかに、ルイルのことは仕事だと思って来た。でもいまはそうじゃなくて……。外へ出してあげたいのに、その気持ちぜんぜん伝えられなくて、そしたらもう来るなって言われちゃって……」


 ロクは細い両脚を抱きこんだ。膝に顎を乗せると、背中が丸くなる。

 コルドはそんなロクをしばらく見つめてから、ふっと口元を緩めた。


 「……お前にも、弱気になる瞬間があるんだな」

 「え?」

 「──そうだなあ、」


 わざとらしい言い方で、考えるふりをしながら前に向き直ると、コルドはロクを見ずにこう続けた。


 「俺の仕事、実はほとんど終わってるんだ。確認されてた元魔はとっくに討伐したし、最近は巡回に出てるだけで特になにもしていない。つまるところ、暇なんだ。巡回のついでに観光も終わらせたしな。でもお前は、まだだったろ?」

 「……?」

 「だからお前の任務……俺が代わりにやってもいいぞ?」


 ロクは目を見開いた。

 ──どうする? とでも言いたげに、コルドは黙って返事を待っていた。


 「……ううん」


 絞りだした答えから、自然と、ロクは言葉を紡いでいた。


 「あたしがいい。これはあたしの問題で……あたし、ルイルと話がしてみたいんだ。ほんとに。この気持ちにウソはひとつもない」

 「そうか」


 あっさりと返すコルドは、ロクの横顔を眺めながら言った。


 「ロク、お前はそれでいい。そのままでいいんだ」

 「? どういうこと?」

 「まっすぐぶつかっていけ。言いたいことややりたいことを、ためらう必要はない。その相手が民間人でも王女様でも、お前はお前らしく、ぶつかっていけばいい」

 「……」

 「だってお前は、そういうやつだろ?」


 ロクの頭に、コルドの大きな手が伸びた。くしゃりとかき回される。骨ばったその手は温かった。ちょっと痛いかな、なんて考えていながら、ロクの口から笑みがこぼれた。


 「……うん。ありがとうっ、コルド副班」


 顔を上げたロクの左瞳に、光が差した。淡い緑の石が輝きを取り戻す。磨かれた原石は、ときに宝玉の意義を惑わせるほど美しくなる。

 コルドと別れたロクは、たしかな足取りで自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

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