第010次元 海の向こうの王女と執事4
「……あ、そうだ。ねえ、子帝ってなに?」
「子帝、というのは次期国王様のことを意味します。この国では、現国王様の身になにかあってから次の国王様を選ぶのではなく、前もって次期国王様を決めておくのです。政治的混乱や民心の乱れを最小限に抑えるためにこの国で定められていることです。子帝に選ばれた王族の方は、必ず、次の国王様になります」
「……なるほどねえ」
『国王になるのは、──おねえちゃんだもん……っ!』──ついさきほどのことを思い出す。
本来ならば、第一王女であるライラ・ショーストリアがその子帝と呼ばれる地位に就くはずだったのが、不慮の事故によって彼女は亡くなってしまった。代わりに第二王女であるルイルがその役目を担うというのはごく自然な流れである。しかし心の内は単純ではないだろう。
ロクアンズはしばらく扉の表面を見つめていたが、ふっと踵を返した。
「また明日来るね!」
メイドたちに手を振りながら、ロクは長い廊下の奥へ消えていった。
*
「ルイル王女様のお嫌いなものはお出ししていませんよ。最近は特に、お出ししたものがそのまま調理場に戻ってきますから……。お嫌いな野菜も飲み物も、なおのことお出ししていません」
「じゃあ、好きなものを出してるのに食べないってこと?」
「ええ。もはやおやつとしか言えないようなものでも、召し上がらなくなってしまって……。すこし前までは、菓子は大好物でしたので、そればかり口にされていたのですが……」
「お菓子? どんな?」
「ケーキや焼き菓子がほとんどです。ルイル王女様は、焼き菓子を大変好んでおられます」
「焼き菓子……」
翌日のことだった。城内の調理場へと訪れたロクは、そこで調理師を見つけるなり声をかけた。話の内容は、ルイルの食べるものに関することだった。
ロクはしばらく唸ったのち、話題を変えた。
「ねえ、ルイルが籠りきりになった理由って、やっぱり第一王女のことで?」
「そうでしょうな……。ルイル王女様は、ライラ王女様のことを実の母上様のように慕っておられました。それが、突然ご逝去なさるとは……ルイル王女様も、困惑なさっていると思います。ライラ王女様が亡くなられてから、ひと月も経っておりませんし」
「そっか……。ねえ」
「あ、はい」
「ここ、ちょっと借りてもいい?」
「え?」
コートの袖をまくりながら、ロクは厨房を見渡して言った。
「ルイルー! おーい!」
広い廊下に、ガンガンと扉を叩く音が響き渡る。
ロクは昨日と変わらずルイルの部屋に訪れていた。
「いないのー? ルイルー! おーい!」
「……」
ロクの若草色の後ろ髪を見るように、ガネストが壁に凭れかかっていた。彼は特になにをする様子もなく、ただそこにいるだけだった。
「おーい、ってば! ……もー。じゃあさっそく、こいつの出番かな!」
ロクは、床に置いていた籠を持ち上げると、それを扉の前で翳してみせた。
「ルイル! いっしょにお菓子食べよっ! 作ってきたんだ~!」
ガネストはぎょっとした。「ジャーン!」というかけ声をとともに籠から布が取り払われると、そこには、奇妙な形をしたこげ茶色のなにかが山のように積まれていた。
「ね、食べよ!」
「ちょっとあなた、ルイル様になにをお出しするつもりですか!」
「うわっガネスト! なにさっ、さっきまで知らんぷりしてたのに!」
「こんなもの見せられて知らないふりはできません! それと呼び捨てはやめてください」
「なにおう!?」
ロクとガネストは菓子の入った籠を引っ張り合っていたが、ふと、彼のほうが手を離すとその中身ともども彼女はひっくり返った。
「いっ、たぁ~……」
「これでわかりましたか? 興味本位でルイル様に近づくのはやめてください」
「ちがうよ! あたしは真剣に……!」
「真剣に? なら、もうすこし真剣に菓子作りをしてください。さっきのあれは、とても人が食べる物とは思えない」
「な、なんでそんなことわかるのさ!」
「それくらいわかります」
ガネストは、眉をしかめて強く言い放った。
「掃除は僕がやっておくので、あなたはもうお帰りください」
「え、でも!」
「お帰りください」
重ねて言うと、ガネストは背を向けて歩きだした。掃除用具を取りに行くのだろう。
尻もちをついた状態からロクは立ち上がり、自分の手にくっついた菓子のかけらを払う。
ふいに、自分の足元で無惨に散らばっている菓子の山に目をやると、ロクはその中のひとかけらを手に取り、口に運んだ。
「まっず!」
遠くで歩いていたガネストがその大きな声に足を止めた。
思わず半身振り返ったが、一体なにがしたいんだと嘆息して、さっさと目を逸らした。
その翌日。ロクはふたたび、籠を持ってルイルの部屋の前に訪れた。
「ねえルイル! いっしょに食べよ! またお菓子作ってきたんだ、クッキーだよ! 今日は失敗してないからさ~!」
昨日とおなじように壁に寄りかかるガネストが、またかといった表情でロクを一瞥した。
「おーい、ルイルってばー!」
「……いらない」
かすかながら声が返ってきた。昨日とはちがって反応がある。このチャンスを逃すまいと、ロクはいくらか上ずった声で畳みかけた。
「でもルイル、最近あんまり食べてないんでしょ? あたしもいっしょに食べるから、ねっ! 食べようクッキー!」
「いらない! 好きじゃないもん!」
「……ええ? ウソ!」
「うそじゃないもん!」
ロクはその場で呆然と立ち尽くした。自分が持ってきた菓子の籠を見つめてから、
「……じゃあお花がいい? 一応摘んできたんだけど」
と、床に置いていた数本の花を掴んで持ち上げた。
「勝手に摘まないでくださいよ……」
「だって、ルイルの好きそうなものわからないんだもん。ねえガネスト、ルイルってなにが好きなの?」
「わからないなら諦めたらどうですか」
「やだ!」
間髪入れずにロクが答える。
清々しいほど元気のいい返事に、
「……どうしてですか?」
ガネストは眉をひそめて問い返した。
「え?」
「……」
ガネストは、ふっと視線を外す。彼がそれ以上なにかを聞いてくることはなかった。
沈黙が訪れる。
ロクは左手に籠、右手に花を握った自分の姿を見下ろした。
「……また明日、来るからっ」
赤いカーペットの表面をドタバタと蹴りながら、若草色の髪は遠のいていった。
ガネストは顔を上げた。おなじことの繰り返しだ。いつか「飽きた」と投げ出すだろう。そう心の内で唱える彼は知っているのだ。目の前の扉がいかに重く、厚い壁なのかということを。
そして。
その翌日も、そのまた翌日も、ロクはルイルの部屋に通い続けるが、その扉を開かせることがただの一度も叶わないまま──刻一刻と、『子帝授冠式』の日が迫ってきていた。
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