第008次元 海の向こうの王女と執事2
エントリアを発ってから、半日が経過した。すでに太陽はどこにも見えず荷馬車から降りる頃には、空はすっかり灰と紫とに覆われていた。
港町、ハースタンの市場は夜を迎えてもまだガヤガヤと人の足が溢れていた。店の提灯がずらりと飾られ、夕闇に明かりを灯すその様は壮観だ。近くの町村から買い物に訪れる人民が多く、ここの市場は毎晩、祭りが行われているかのように賑わっている。
コルドとロクアンズは、ハースタンでたった一件の大きな宿屋に訪れると二人分の部屋をとり、そこで一晩を過ごした。
翌朝。
コルドは町の中で食料の買い出しをしていた。彼が店を出るとき、アルタナ王国行きの大型船がまもなく出航するところだった。
乗船員に声をかけ、手配を済ませると、コルドとロクアンズはそのまま船に乗った。
甲板で、パンに牛乳をつけ合わせた簡単な朝食を摂りながら、コルドは話し出した。
「今回の任務は、主に元魔の討伐だ。かなりの数が確認されているが、アルタナ王国にはあまり次元師がいないらしく、友好国であるメルギースに依頼を申し出たというところだろう」
「へえ……。ん? 主に?」
「ああ。もうひとつ、お前を連れてきたのにはわけがあるんだ」
コルドは口元に持ってきていたパンのかけらごと、組んだ脚元にすっと手を下ろした。
「この依頼自体、アルタナ王国の国王陛下から直々に送られてきたものでな。陛下の娘様……つまり、アルタナ王国の王女様について、お前に手伝ってほしいことがあるとのことなんだ」
「王女様?」
「王女様の、その……友だちに、というかなんというか……」
「とっ友だちぃ!?」
「……というより、ご機嫌取りしてほしいんだそうだ」
コルドは、周囲を気にしてのことかロクの耳元で声を小さくして言った。
「ご機嫌取り?」
「ああ。王女様は、部屋に籠りきりなんだそうだ。大人の言うことを聞かず、かといって周りに同い年くらいの子もいない……とにかくその王女様に手を焼いているらしくてな」
「ふーん……」
「それでお前を同行させたってわけだ。一国の王女様とお近づきになれるなんていい機会だし、お前ならすぐ仲良くなれるだろう」
ふんふんと、ロクはただ耳を傾けていた。
しかし、すこし考えこむような表情になると、ロクはおもむろに口を開いた。
「……ねえ、コルド副班」
「なんだ?」
「この話、荷馬車の中でもできたんじゃない?」
じっ、とコルドを見つめる。無垢な緑色の瞳が、彼にはやけに鋭い刃物のように感じられた。
「……お前、意外と鋭いな」
コルドの頬に冷や汗が伝った。甲板でうろついている人の雑踏に紛れて、彼は息を吸う。
「お前に言うか言うまいか、いまのいままで悩んでたんだが……正直に話そう」
「……」
「王女様が機嫌を損ねている、その理由だが……実はいまアルタナ王国は、国葬を終えて間もないんだ」
真剣に耳を傾けていたロクは、え、と驚きの声を上げた。
「亡くなられたのは、アルタナ王国第一王女殿下。旅路の道中で、事故に見舞われたらしい」
「そんな……。どこで事故に遭ったの?」
「極北西にある、ルーゲンブルム王国付近の森だ。古来より宿縁があって、アルタナ王国はその国を唯一敵視している。それで王女殿下の死をただの事故とは思ってなく、ルーゲンブルムの仕業なのではないかと国の上官位は躍起になっているんだ。……そしてなにより、国王陛下の御身が危険な状態らしい」
「それって」
「ああ。アルタナ王国の国王陛下はもとより身体の弱い御方で、ここ何年も床に臥せられていると……。いつお倒れになっても不思議じゃないその御身では国の未来が心配なんだろう。だから、まだ幼い第二王女殿下に、王位を継がせる準備をしている真っ最中なんだ。第二王女殿下はおそらく……その歳の幼さもあって不安に襲われているから、部屋に籠っているんじゃないかと思っている」
その第二王女の不安を、どうにかして取り払ってほしい──きっとそういうことなんだろうとロクは理解した。
「国王陛下の病状については、国民のほとんどが知らされていないらしい。まあ当然だな。王女殿下の死に続いて、これ以上民を惑わせたくないんだろう」
この船に乗っている人の中には、アルタナ王国の民もいるだろう。機密情報にもなるアルタナ王国の上層部の事情を話すには、開放的で雑多な音が聞こえてくる空間が望ましいとコルドは判断したに違いない。
船は、波に揺られながらアルタナ王国を目指して前進する。
「滞在期間は?」
「10日です」
波止場の青い空を泳ぐ海鳥たちに迎えられ、コルドとロクはアルタナ王国の地に降り立った。
ロクはぐっと腕を伸ばした。
「んー! やっと着いたあ!」
「のんびりしてる暇はないぞ、ロク。これから仕事だ」
「はーいっ」
「……──ロク。ここでは姓は伏せたほうがいい。わかるよな?」
「……。うん」
そのとき。コルドとロクの近くで、ザッと足を揃える音がした。二人が振り向くとそこには、鎧を身に纏った二人の男が立っていた。
「アルタナ王国へようこそお出で下さいました、メルギースの次元師様」
「我々は国王陛下より、あなたがたの護衛を仰せつかまつりました。我々が責任を持って、王城までご案内いたします、コルド様……と、そちらは……」
ロクの名前は聞いていなかったのか、一人の男がそう尋ねてきた。
「あたしの名前は、ロクアンズ。よろしくねっ!」
「え、ああ、はい。ロクアンズ様ですね」
「それじゃあ、王城までお願いいたします」
「はい」
港から続く大きな通りを上っていくと、賑やかな城下町へ出た。町の様子それ自体は、メルギースのエントリアの通りと変わらず、人と物資に溢れている。
しかし、路上で芸を披露する者とその人だかりを見かけると、ロクは思わず足を止めた。
「あれ、なにやってるの?」
「奇芸です。ああやって、棒や布、玉などの何の変哲もない品を使って、珍しい踊りなどを披露することをこの国ではそう呼びます。奇芸を行うのは主に旅芸人で、芸が素晴らしいと思われれば、ああやってみなが銅貨を投げ、そこで得たお金で暮らしを凌いでいるのです」
「へえ。すごいすごい!」
「ほかにも、ありとあらゆる芸がございますよ。ご覧下さい」
騎士の一人が指差した方向には、路上に布を広げ、硝子の品をずらりと並べる商人の姿があった。
それもただの品物ではない。まるで王城に寄贈するような、繊細かつ色合いも美しい硝子細工にロクは目を瞠った。
「えっ、あれ、ガラスなの? すっごい形!」
「そうです。なかなか見事でしょう? あの者は一般の民ですが、王宮に認められた硝子職人もいます。というのも、我が国の芸術品はみな、他国の王族貴族から高い評価をいただいており重宝がられているのです。アルタナ王国はいわば、世界一の芸術大国なのです!」
「ほえ~……」
辺りを見渡せばたしかに、野菜や果物などの鮮物よりも、珍しい形の菓子や煌びやかな装飾品を並べている商人のほうが多いことに気がつく。ロクはその物珍しさに首をあっちへこっちへ振っていたが、あるものを見かけると、その売り場に駆け寄っていった。
「あっ、おいロク! ウロチョロするなって!」
「ねえねえおじさん! この、白くてふわふわしてるのはなに? 食べ物?」
ぴょこっと屋台の下から顔を出したロクに、店主らしき男はすこし身を乗り出して言った。
「おお、嬢ちゃん。見ない顔をしてるねえ。ほかの国から来たのかい?」
「うん。メルギースから、ちょっと用事で!」
「そうかいそうかい。そんなら、うちの店のを土産にするといい! これは綿と糸とを編んで作った帽子で、男にも女にも大人気の品さ。嬢ちゃんくらいの年の子もみんな被ってるよ」
「帽子? なーんだ、食べ物じゃないんだ……」
「ははは! 食べ物じゃなくてがっかりしたかい? でもこれは、自分で編んで作ることもできるんだよ。自分好みの、世界でたった一つの帽子を作れるんだ。こんなのとかね」
「わっ!」
ロクの頭に、ぽすっとなにかが覆いかぶさる。頭にじんわりと温かさ伝わると、それが平たく分厚い帽子のせいなのだと実感する。
「あったかーい! それになんだか……いい香りがするね!」
「この綿は、キッキカっていうアルタナ王国にしか生息してない花の花弁でね。大きくてしっかりとした綿から、その花の蜜が仄かに香るんだ。だから、どこへ持ち帰ってもアルタナ王国の香りを忘れずに、ずっと覚えていられるんだよ」
「へえ……ロマンチックだね」
頭に被った帽子を取り外しながら、ロクはその花の香りを吸いこんだ。仄かに甘く優しい、独特の香りがした。
「ああ。ライラ王女様も大変気に入られ……」
「……」
「あ、ああ、すまない……。他国からのお客さんの手前、沈んだこと言っちゃあいけないな。さあ嬢ちゃん、気に入ったんなら一つどうだい? 安くするよ!」
ロクは、コルドたちとともに来た道を振り返る。すると、奇芸というものを披露していた旅芸人の姿がほんのすこしだけ見えた。
自国の王女が亡くなって間もないというのに、この国の民は皆笑顔だ。
だが、その悲しみをだれもが必死に芸というもので埋めようとしているからかもしれないと思うと、ロクはなんだかやりきれない気持ちになった。
そんな憂いを帯びたロクの表情を、拳骨ひとつで歪めてしまったのは、コルドだった。
「あだッ」
「だから、これから仕事だって言ってるだろう……! 観光はぜんぶ終わってから! それまでお預けだからな!」
「……あい……」
ロクはぶたれた頭をさすりながら、騎士たちとコルドのもとへ戻っていった。
顔を上げると、遠くの景色の中に、アルタナ王国の王城が見えた。
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