第005次元 花の降る町2

  

 全身に纏う、雷。コートの袖が強い光を帯びると、ロクアンズは地上めがけて手を翳した。


 「──雷撃ィ!!」


 その名に従い、雷は激しい花火となって元魔に降り注いだ。

 しかし。その黒い頭部の一片が裂け、口のようななにかを大きく開くと、そこから放たれた絶叫が雷を打ち消した。

 元魔は高く跳び上がり、鋭く尖った爪でロクに襲いかかる。


 「うわっ!?」


 間一髪、というところで攻撃を避けると、ロクはまっさかさまに地上に落ちていった。


 「ロク!」


 しかしロクは空中で器用にくるりと回り、無事に着地した。


 「ふぅ……危なかった~っ」

 「ったくお前は……だから慎重になれって言っただろ!」


 レトの叱咤に、ロクは一瞬ムッとして、


 「そう言うけど、レトだって!」


 殺気。

 ぐんと伸びてくる長い爪が2人の間に割って入る。ロクとレトはおたがいに逆方向へと飛びのいた。

 元魔は、赤い眼光を揺らしながら、ゆっくり歩きだす。


 「まずい! 町のほうに行きそうだよ! 止めなきゃ!」

 「だからがむしゃらに突っこむ前に作戦を……!」

 「っ、レトのばか!」

 「!」


 ロクは、元魔を追いかけようと踏みだした足を主軸に、半身だけ振り返った。


 「町の人が危ないっていうのに、なんでそうためらっていられるのさっ!」

 「……」

 「――レトだって、あたしとおなじ次元師でしょ!」


 レトは、ぴたりと静止した。彼の顔からぷいっと視線を外し、返事も待たずにロクは元魔を追いかけていった。

 1人、レトは取り残される。俯いていた。


 「……俺は、お前みたいには……」


 ぽつりと呟いた言葉は、だれに届くわけでもなく、視界の中でちらつく木漏れ日に吸いこまれた。

 ロクはすでにいなくなっていた。

 鬱蒼とした森林地帯。そこへ危険も顧みず飛びこんでいくロクの姿に、どこか煮え切らない気持ちを抱いていることはわかっている。

 探すつもりで走りだした。そこに混ざる焦燥が、どんな色をしているのかもわからないまま。




 元魔の黒い背中が見える。鱗のようななにかをぼろぼろと落としながら、ゆったりと走っていた。身体が重いのだろう。さほどスピードは出ていなかった。

 ロクは、右耳の通信機に意識を向けた。連絡はきていない。


 「……」


 レトから謝罪の言葉のひとつでも飛んでくるかと思っていたが、どうやら自分が思うよりもずっと薄情な人間だったらしい。


 「レトのバカ。いいもん。あたしだけでやっつけてやる!」


 加速。たっ、と地面を強く蹴り、跳び上がった。

 元魔の頭上に狙いを定め、その指先に、雷を這わせた。


 「雷撃ィ!!」


 空中で、雷が散とした。電気の欠片を浴びた元魔は足を止めた。否、止めさせられた。

 その隙に、ロクは元魔の視界の中へと降り立った。


 「……」


 決して鮮やかとは言えない、混濁とした外観。その赤い両眼と、額に輝く"心臓"だけが一際目立っている。

 自己的な意思などないのだろう。口から洩れる唾液のようななにか。狂ったような、赤いだけの眼から筋が伸びている。

 元魔とは、怪物だ。意思もなく、形もなく、名もない。あるのは、人間を襲うという意識ただひとつ。

 ロクは元魔を睨みつけた。


 「必ず、滅ぼしてみせる」


 雷が唸る。ぶわりと長い髪が靡いた。電熱にさらされた緑の瞳が、淡くも力強い眼光を放つ。

 

 「五元解錠! ――雷撃ィ!!」


 突き出した両手から、溢れるほどの雷を放った。長い髪が風とともに後ろへ引っ張られる。

 元魔は大きく口を開き、甲高い咆哮を吐き出した。


 「ガアアアアッ!!」


 雷と咆哮が、正面から衝突する。袖がまくられ、露になったロクの細い腕に電気がまとわりついた。痺れていくのを感じながら、表情は歪み、両足が下がっていく。

 まずい、と思った瞬間。


 「うわあっ!」


 ロクの四肢が大きく飛び上がった。宙を泳ぐ。小さな身体は風に弄られ、抵抗する術もなくそのまま大きな木の上に、頭から突っこんだ。

 元魔はというと、ブルルッと頭部を振り、ふたたび重い足取りで走りだした。


 (ま……まずい!)


 ロクは身体がまだ休まらないうちに、動きだした。コートの至るところが木の枝に引っかかっていたが、むりやりにでも手足を動かし体勢を変える。案の定、灰色の布地から繊維が伸びたが、そんなことを気にする間もなくロクは木の上から飛び降りた。

 ちぎれた葉っぱを髪や肩にくっつけたまま、ロクは元魔の跡を追った。


 (町まで、もうすぐそこだっていうのに……!)


 身体が重い。自分が思う以上のダメージを負っていたようだ。ロクは半ば身体を引きずりながら、前へ前へと進む。


 前方で、小さな黒い影が揺らめている。

 黒い影は、鮮やかな花のアーチをくぐることができず、ぐしゃりとそれをなぎ倒して町の中へと入っていった。


 ロクも急いで花のアーチがあったところを踏み超えた。痛みは置き去りにして。

 すると元魔は、ある木造の小屋の前で立ち止まっていた。

 大きな影を落とし、全長の半分ほどしかない小屋を見下ろしている。


 そのすぐ真下で、黒い犬が吠えていた。


 「!」


 小屋には人間がいる。それを感知したのだろう。恐れも知らず、黒い犬は怪物に向かって吠えていた。

 小さな玩具に手を伸ばすように、

 怪物の鋭い爪が降り注いだ。


 「待ってッ!」


 そのときだった。

 ひとつの影が、風のように黒い犬を攫っていく。

 元魔の爪が虚空を掻いた。


 「四元解錠、」


 黒い犬の近くに、だれかが立っていた。


 「──八斬式!!」


 八度の斬撃。形状の定まっていない太い腕から、血、のようななにかが勢いよく噴き出した。

 小さく悲鳴をあげた元魔が後ろへ引き下がる。

 ロクの視線。大きな怪物の背中の奥に、金の髪が見えた。


 「レト!」


 レトはコートの袖で汗を拭うと、ロクのかけ声に気がついた。が。


 「ギャアアアアッアアアッ!!」


 激しい咆哮が、草木を揺らし土を剥がしていく。

 それがいままでにない怒りの顕れだということを理解させられる。耳をふさぐだけでは足らず、レトとロクはぎゅっと目を瞑っていたが、

 次に目を開けたときには、


 「い……いない!」

 「向こうだ! 人のいるところへ行くつもりだぞ、あいつ!」


 元魔はドシン、ドシンと大地を揺るがしながら前進していく。

 町の人のものと思われる悲鳴が、二人の耳に聞こえてきた。


 「ロク!」

 「わかったッ!」


 ロクの右腕に、電気が奔る。それが拳に集約されると、ロクはそのまま地面に振り落とした。

 

 「雷撃ィ――!!」


 電気の波が高速で地上を駆ける。と、瞬く間に、電気が元魔の足元に喰らいついた。

 次の瞬間。

 叫喚。

 そして大きく仰け反った元魔の身体が、重力の赴くままに、ぐらりと傾きはじめた。


 「まずい! あのまま倒れこんだら──町の人を巻きこむぞ!」

 「っ!」


 どう考えても、間に合わない距離に元魔がいる。これから走りだしたところで、その場所まで辿りつけないのは明白だった。

 なけなしの希望を翳すように、ロクが手を伸ばした。

 そのとき。


 傾いた元魔の身体に、幾重もの鎖の束が巻きついた。


 「っ!?」

 「あ、あれは……」


 何十本と伸びる鎖の先には、男がいた。


 「説教は後回しだ! 無事か、二人とも!」


 精悍な顔つきに焦りを滲ませたコルドが、そう叫んだ。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る