第004次元 花の降る町1

  

 町のシンボルらしい高い風車が見え始めたとき、濃厚で芳しい香りがぶわりと鼻腔を刺激した。

 舞う花びら。広がる花園に煉瓦造りのこじんまりとした家屋が立ち並んでいる。

 ここは、花の降る町『フィリチア』

 平らな石を敷き詰めたような道の上を駆ける幼い子どもたちや、手慣れた所作で馬を操る男性、作物の入ったカゴを手に道端で談笑している女性たち。この町の住人たちには、すこし足を延ばせばエントリアという商店街がある。商売人の姿が少ないのはそのせいだろう。

 しかしまったくのゼロ、というわけでもない。ロクアンズとレトヴェールの2人の話に、エプロン姿の女性は花束を抱えながらも真剣に耳を傾けていた。


 「元魔、ねえ……。あ、たしかこの間、町の人たちがなにか噂していたのを聞いたわ」

 「うわさ?」

 「ええ。なんでも、この先のずっと奥にある広い庭園が、荒らされていたんですって。庭の手入れをしている人が襲われて、今でも意識が戻らないとか……」

 「……」

 「でもただの害獣の可能性が高いわ。たまにあるのよ、イノシシなんかに荒らされることが」

 「へえ~」

 「今日は巡回で来たのかしら? 2人だけなんて、偉いわ。ご苦労さま」

 「むぅ。子ども扱いしないでほしいな! コルド副班がいなくたってあたしたち、一人前なんだから!」

 「あらまあ」

 「おい、副班にだまって出てきてるんだから、余計なことは言うなよ」

 「あっそうだった」


 戦闘部班の仕事の1つに、近隣の町村をまわるという巡回警備がある。元魔と呼ばれる怪物の出没情報をいち早く入手するほか、運がよければその場で元魔に立ち会い、力を持たない人間の代わりに元魔を討伐するという目的のために行われている業務だ。

 まだ幼いロクとレトの保護者としていつもなら戦闘部班副班長のコルドも同行しているはずだが、今日はロクの提案により2人だけで隊を飛び出してきているのだった。


 「それにしても、此花隊のほうには元魔の新しい目撃情報が入ってきてたんだ。ここ、フィリチアからな」

 「本当? もしかして……」

 「どうかしたの?」

 「もしかして、さっき言ってた意識が戻らないって人……意識を取り戻したのかもしれないわ」

 「!」

 「その人、どこに住んでるの!?」

 「この先よ。庭園に近いところに、家を構えているはずだわ」

 「よっしゃ! 行こう、レト!」

 「っておい、勝手に……! ……ったくあいつは。いろいろありがとう。助かった」

 「いいえ。いってらっしゃい」

 「それじゃあ」


 女性が手を振るよりも先に、2人は背を向けて走りだしていた。

 路上で追いかけっこをする子どもたちの間を抜けて、一直線に伸びる石の道を辿っていく。


 しばらくして、2人は足を止めた。庭園の入り口を飾る花のアーチにもっとも近い、こじんまりとした木造の家が目に入ったからだ。

 まっすぐな木の棒が等間隔で地面に突き立てられている。低い丈の柵と柵の空いているところをロクは躊躇いもなく抜けていった。やれやれと肩をすくめながら、レトも彼女に続いた。


 「ごめんくださーい!」

 「こらっ、ロク。病人がいるってさっき言ってただろ!」

 「あ」


 ちょうどそのとき。バウッ!、という咆哮にロクが肩を震わせた。声のしたほうを見ると、庭に設置されたやっと子どもが1人入れるほどの小さな家から、のっそりと、黒い頭部が現れた。三角の耳と漆黒の毛並みとが立ち、鋭い目つきでロクを見上げていた。


 「うわっ、え、めっちゃ睨まれてる!?」

 「飼い主が寝てるから、大きな声を出したお前に怒ってるんだろ」

 「よ~しよし。怖くないよー? ほら、おいでっ」

 「バカっ、ケガするぞ!」


 腕を広げるロクを目がけて、黒い犬は駆けだした。噛みつかんばかりの勢いで懐に飛びこんでくる。しかし彼女は犬を捕まえるなりその黒い毛並みを撫でまわし、あっという間に抱きこんでしまった。

 レトは呆気にとられた。ロクとその黒い犬は、そこが地面の上であることも忘れて無邪気にじゃれ合っている。


 「……まじか」

 「あはは! くすぐったいよー!」

 「……」

 「なにレト、変な顔して。レトも撫でてみなよっ。可愛いよ?」

 「俺はいい」

 「あー、そっか! 動物ニガテだもんね〜!」

 「うるせっ」


 にゃははと笑うロクの頬を、黒い犬がべろりと舐めた。彼女は動物と遊ぶのが得意で、彼女の手を拒む動物を見たことがない。そう断言できるのは、レトがそんなロクの姿をいつも1歩引いたところで見ているからだ。動物になにか恨みがあるわけではない。ただ何年か前に、自分より大きな犬に意味もわからず吠えられて以来どうも苦手で、近寄れなくなってしまっているのだ。


 「あれ。この子、ケガしてるみたい」

 「え?」

 「脚のところ。かわいそう……。ちょっと待ってて!」


 ロクは腰元にぶら下げた小型のポーチを開いた。中から消毒液や筒状になっている包帯などの応急治療具を取り出すと、つかの間に、処置を終えた。


 「これでよしっと!」

 「バウッ!」

 「よしよし。……かわいそうに。ご主人様が寝こんでるから、手当してくれる人がいなかったんだね」

 「……」

 「レト?」


 黒い犬の頭上にレトは、おもむろに手のひらを翳した。しかし。


 「バウッ!」

 「……」


 力強い咆哮を受けると、差し出した手がびくりと震えた。レトは手を引っこめると、


 「……飼い主を守ろうと、必死なんだな」


 そう独り言のようにささやいた。

 ロクは、よいしょと膝に手をついて立ち上がった。


 「さてと。ぐずぐずしてられないね。庭園のほうに行こう、レト!」

 「ああ」


 最後に犬の頭をぐしゃりと撫でると、2人を見送るように黒い犬が吠えた。






 色とりどりの花が咲き乱れる庭園は、視界におさまらないほどの広大さだった。どこを見渡しても、花と草木が踊っている。絵になりそうな美しい景色に、本来の目的を見失いつつあるロクは、ぽっかりと開いたままだった口から感嘆の声を漏らす。


 「すっごいねー……っ! きれい!」

 「ああ。ここは有名な観光地だからな」

 「……そういうことじゃなくてえ」

 「なんだよ」

 「ほんっとに心が冷めてるんだから、レトはっ」

 「……? 事実だろ」

 「だ~か~ら~!」


 ドシン――と、揺れた。

 大地の震動とともに2人は息を呑んだ。おそらく同じことを考えている。

 まだ遠い。落ち着いていた心音が近づいてくる。2人の視界にはもう、美しい花びらひとつ映っていない。

 先に土を蹴ったのはロクだった。


 「ロク! おそらくこの先に元魔がいる。慎重にいくぞ!」

 「わかってる!」


 整備のされていない林道を器用に馴らしていく。伸び放題の草木を勢い任せに振り切って、片時も休むことなく前進した。

 仄かに、水と土の入り混じったような匂いを感じ取ったときだった。


 「そう言って、お前はいつもいつも……──、っ!」

 「……」


 車輪を転がすような足取りが、急停止した。

 崖から囂々と落ちる水の壁。細い川が伸びる滝つぼの、すぐそば。

 剥き出しの牙、形の異なる二本の角。体面からぼろぼろと崩れ落ちる、鱗のようななにか。形のかろうじて丸い頭部が揺らめいていた。

 灰、黒、茶色――混沌とする鈍い色の外装に、ぽつりと咲く三つの点。

 真っ赤な眼球が、ぎょろりとこちらに剥いた。


 「お出ましみたいだね」

 「ああ」


 2人の身長を遥かに凌ぐ体長。1歩、土を踏めばたちまち震動が起こり、2人の足元を揺らがす。

 動物のようにも人間のようにも魔物のようにも見えるその怪物は、決して鮮やかとはいえない顔色で大口を開け、咆哮した。


 「ギャアアアッ!!」


 鼓膜が破れるほどの爆音。とっさにレトは耳をふさいだ。


 「く……っ! おいロク、まずは慎重に──って、おい!」

 「────次元の扉、発動!」


 長閑な風を切って、ロクは、高らかに詠唱した。

 

 

 「『雷皇』──!!」

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