料理本は冒険の書
うちには、とても古い料理本があります。
昭和三〇年代の出版で、全二十四巻の図鑑仕様です。
某公民館の古本コーナーで入手しました。そこに置いてある古い本は自由に持ち帰っていいことになっているのです。
中を見てみると、前の持ち主はあまり熱心に読んでいなかったようで、すごく綺麗でした。ラッキーと小躍りしたくなる状態の良さです。
図鑑仕様の本二十四冊を持ち帰るのは本当に大変でした。
自転車で、数回往復してやっとこさ運びました。
そうまでしてなぜ欲しかったのかというと、私の母が若い頃から料理のバイブルとして使っている本にとても似ていたからです。
小さなころからその本を絵本のように読み込んでいたので、牛タン丸ごと一本の、堅い皮をどうやって除去するかとか、鯉の苦玉を潰さないようにするコツとか、そういう幼女らしくない知識を蓄えて、私は大きくなったらいつかこういうモンスターたちと格闘するのだと覚悟を決めていました。
しかし、成長してみるとなんのことはなく、牛タンは下処理されてカットされたものが売られていますし、巨大な鯉と死闘を繰り広げる機会なんてめぐって来ません。
本に掲載されているからといってみんながみんなやるわけではないし、やらない人の方が圧倒的多数であるということに昔は気付かなかったのです。
母を見て気づけよ、という話になるのですが、なにしろ、幼い私にとって母の料理本は血沸き肉躍るファンタジーであり、自分の未来を語る宿命の書物だったのです。
さて、私が所有する料理本の話に戻ります。
執筆者名には、亡くなった後も英名轟く料理家たちの名前がずらり。
そんな本を持っているというだけで、もう鼻高々です。
web小説によく登場する、神々の守護を約束されたチート勇者の気分です。
さっそくページをめくると……
あり得ないくらい古臭いテーブルセッティング!
青白っぽくて鮮やかさに欠け、シズル感のない写真の数々!
これが好きなのです!
当時は最高にお洒落で、美味しそうだったはずです。よく見ると食器だって国産某有名食器ブランドのもののようです。
当時の写真技術では色調やコントラストのデジタル調整ができなかったでしょうし、カメラやフィルムも今に比べたら格段に低機能だったに違いありません。
そんな時代に料理の先生を何人も揃え、料理を実際作って当時の感覚でおしゃれにコーディネイトし、光学フィルムで写真を撮って、ほぼ全ページカラーのハードカバー二十四巻にしたのはとても贅沢なことだったのでしょう。
そう思うと台所仕事中に水分の残った手で触れるのはもったいなくて、くつろいでいる時間にときめきながら読んでいます。
で、肝心の話。
その本に掲載されている料理のお味は……おいしいんですが、日本料理以外はほんのりとコレジャナイ感があります。
当時、ベイリーフもバジルも、オイスターソースもケイパーも、ラム肉もマスカルポーネも、甜麺醤もエキストラバージンオリーブオイルも庶民向けスーパーにはありませんでした。
だから、昔の外国料理のレシピというのは、誰でも作れるように一般的な食材で試行錯誤して作られたものなのです。本場の材料を使った料理には迫力負けするのは仕方ありません。
でも私はこれはこれでいとおしく感じます。
現在、普通にスパイスやハープがスーパーで買えるようになり、その辺の雑誌に掲載されている料理レシピも本格的になってきました。
それと比べると、私の古い本の中の料理はずいぶん材料が簡単ですが、お祖母ちゃんの家で作ってもらったご馳走のように、温かくて優しいのですよ。
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