いぬとおかあさん

 今年の正月は、実家に遊びに来ていた妹一家が次々にインフルエンザに罹り、その後母も寝込んで、軽い肺炎を起こしていたので会えませんでした。

 うちのインフルエンザの洗礼も終わり、独り暮らしの母も元気になったということなので、今年初めて実家に行ってきました。


 手土産にちょっといいウニの瓶詰や焼き海苔、低農薬りんご、とらやの羊羹を持っていったところ大変喜んでくれました。りんご以外は頂き物の横流しです。


 こうやって母と久しぶりに会うと、やっぱり往年のバイタリティが大人しくなってしまっていて、年を取ったなと感じます。


 そして、久しぶりに実家に行ったので、8年前に死んだ愛犬を連れてよく散歩していた道を歩いてみました。


 実家で飼っていた愛犬は「子犬差し上げます」と書いてあるミカン箱を抱えて道端にいた見ず知らずのおばさまからもらった生後2週間の柴系雑種でした。きれいな顔立ちで毛並みもよく、きゃんきゃん吠える弱虫だったこと以外は自慢の犬でした。

 今は火葬され、牙一本が綺麗な小箱に入れられて実家の仏壇の脇に置かれていて、毎朝母が水を供えています。


 散歩していると驚くことだらけでした。


 犬が喜んで嗅ぎまわっていた田舎の野道は舗装され、田畑は住宅地になっていました。

 大きな旧い造りの農家は、敷地を分割して小洒落た新しい小さな家に。

 味のある農家の造りを再現して家を建てる人はほぼいないので、もう永久に失われてしまいました。

 なんだか悲しくなります。


 昔通った幼稚園もなくなって更地になり、見覚えのある桜だけが残っているのとかもう……


 時代は移り変わっていくものなので仕方がないのですが、では私の実家の周りが住宅地になって緑を失くしてしまったその分、他の都市部が緑化しのどかなところへ変わっていくかと考えるとそうでもない気がします。


 外来種でないハハコグサも園芸種でない野菊も、メダカも小鮒も帰っては来ません。


 私は多くの子ども達に小川を泳ぐメダカや、自然に採取できる春の七草や、小さな生き物たちを見せてやりたいのです。

 自分で採った野草を家族が喜んでくれて、花瓶に活けたり調理されて食卓に上って誇らしくなったりする経験を与えたいのです。



 なのにこの状況。


 一言で言えば


 つらい。



 母は私が散歩に出かけている間、巻きずしを作って待っていてくれました。

「あんまり巻き寿司得意じゃないんやけどねえ」

と言いながら。

「私もっと下手よ。詰め込みすぎて海苔からはみ出すもん」

と言ったのですが、母は料理上手で鳴らした人だったので、こういう不得手があるなんて知りませんでした。

 小さい頃から母の作る料理はおいしくて美しいのが当然だったので、得手不得手があるなんて考えたこともありませんでした。


 最近は、なんだ、母さんも軽々やってたわけじゃなくて一生懸命だったんだな、と知ることが多々あります。

 大人として母と対等に話せる年齢に私がなってきたということかもしれません。

 年齢によって母娘の関係性は変わっていくし、介護や看取りについても少しずつ現実味を帯びてきます。


 こんなにいっぱいいろいろ作らなくていいよ、というくらいいろいろな御馳走を作ってくれるのが嬉しいと同時に、心がチクチクします。


 うどんとかカレーとかでも充分なのです。

 元気でいてくれさえすれば。

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