あのときのみなさんへ、ありがとう

 ふと、思い出しました。


 私は高校生だった頃、ずっと原因不明の下肢痛で闘病していました。

 原因がわからないので、鎮痛剤を毎日飲んで、ひたすら検査をして対症療法をするだけでした。

 もう、私はいつか足を失うものだと覚悟していましたし、地獄みたいな痛みから解放されるならばそれでいいと思っていました。


 ところが高校三年生の春、たまたまやってみた検査でやっと原因がわかりました。


 骨の内側、とても見つかりにくいところに腫瘍がありました。

 悪性ではないのですが周囲の骨組織を圧迫し、ひどく痛むというのが特徴でした。百万人に一人という病気で普通のレントゲン撮影では映らないので、医師たちはその可能性を全く考えていなくて発見が遅れたそうです。

 その頃は発症からほぼ2年半、足を庇って歩いて骨は変形し、足のサイズも左右で変わってしまっていました。


 手術で骨を割り、その内部から腫瘍を削り落とすと私の右足の骨は空洞になりました。

 体重をかけると粉々に折れます。

 だから骨の内部がもう一度正常な組織で埋め尽くされるまで、義足のような装具を右足に装着して松葉づえをついてました。

 もちろん、まともには歩けませんでした。

 亀よりも遅かったかもしれません。


 退院したばかりのある日、仙台駅近くの交通量の多い道路の横断歩道を渡っていました。

 道幅は100mほどだったでしょうか。

 まだ装具どころか手術後歩くこと自体にも慣れていなくて、とても不安でした。

 でもどうしても行かなければならないところがありました。

 目の前に川が流れ、徒歩で向こう岸に渡らなければならないと言われたような心細さです。

 自分の歩きが遅くて迷惑をかけるのがわかっていたので、信号の色が変わるまでにはぎりぎり渡り終えるよう時間配分を考えて、青信号に変わった直後に渡りはじめました。

 なのに、信号が赤に変わったとき、私は横断歩道を半分しか渡り終えていませんでした。

 

 多くの車がずらっと並んで、私が渡り終えるのを待っていました。

 多くの人に迷惑をかけている自分がすごく惨めで、申し訳なくてたまりませんでした。

 絶対にクラクションを鳴らされると思っていました。


 ところがどの車もクラクションを鳴らさず、静かに待ってくれました。

 あんな市街地のど真ん中で、あんなに大きな交差点が静まり返ったのは初めて見ました。


 あのとき、私は皆さんに迷惑をかけていることにテンパってしまって、横断歩道を少しでも早く渡り終えることに必死でした。

 情けないことに、渡り終えた後へとへとに疲れて、どう振舞ったか覚えていません。

 当時の自分に、待ってくれた皆さんへ一礼くらいしていてほしいのですが……。


 足は、少しだけ変形が残っていますが、言わなければわからない程度になっています。

 術後始まった筋委縮や神経痛ももう消えました。


 あのとき私を待って下さった皆さんには感謝しかありません。

 今、深々とお辞儀がしたいです。

 ありがとうございました。

 あのときの静けさを、今でも私は時々思い出しています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る