悩める錬金術師の話②


「おかえりなさい、店長」

「……ただいま。ずいぶん元気そうじゃない、シズナ」

「うふふ、きっと店長の薬のおかげね。うふふふふ」


 日が暮れ始めた頃。工房に帰ると、けろっとした顔のシズナがいつものように出迎えた。先ほどお腹が痛いと喚いていたのは何だったのか、近所で買ったらしいバナナジュースをじゅこじゅこと啜っている。

 その暢気な様子に、凄まじい脱力感に襲われる。


「それで、それで? 王様のお話って何だったの?」

「ふ、ふふ……聞いて驚きなさい。アタシたち、お城に住むことになるかもしれないわよ」

「……え?」


 言っている意味がわからない。首を傾げるシズナに、謁見での話を伝える。王国錬金術師のこと、この工房を引き上げて城に入ること。一つずつ整理しながら説明した。

 シズナは驚きのあまりに目をまん丸にしていたけど、ふうんと納得したらしく。


「よかったじゃない、店長」

「よかった、のかな」

「努力が認められて、評価される。それはいいことでしょ、わたしなら全力で喜ぶわ」


 じゅこここ、とシズナがバナナジュースを飲み干す。


「騎士が言っていたように、店長のやりたいようにやればいいんじゃない?」

「で、でもさ。シズナはどうするの? アタシが王国錬金術師になったら、この工房は引き上げるし、お城の中に住むことになるんだよ?」

「そうね……それは、考えるだけでもしんどいけど。でも、だからって店長が自分の夢や目標を変える必要はないわ。わたしは悪魔だから、何をするのもどこへ行くのも自由よ。あ、でも怒られるようなことはしないわ。もう懲り懲りだもの」


 そう言うとシズナはジュースのカップをゴミ箱に捨てて、いつものように適当な本を見繕ってゴロゴロしながら読み始めた。最初の頃の殊勝さはどこへやら、最近の図太さに流石は悪魔としか言いようがない。

 ……とりあえず、本人がそう言うならシズナのことは考えなくてもいいか。アタシは所狭しと置かれた素材や道具の合間を縫って、転びそうになりつつもなんとか机の前に腰を下ろす。

 狭くてぼろいアタシのアトリエ。居心地は悪くないが、ずっとここでやっていくというのも難しいだろう。

 でも。アタシは帳簿を手に取り、中を見る。


「この国に来たばかりの頃は、誰も錬金術のことを知ろうともしてくれなくて……もう故郷に帰ろうかなって思ってた時に、ヴァリシュと会ったのよね」


 ヴァリシュと出会った日から、アタシの生活は大きく変わった。お仕事が増えて、錬金術の印象がどんどんよくなっていくのを肌で感じた。

 そしてなにより、非力な自分がヴァリシュのことを錬金術で助けられることが嬉しかった。もっとあの人を支えたい。

 ていうか、あんなに危なっかしい人は周りが注意して見ていないとダメなのよ! だから、王国錬金術師になることは悪いことではない筈。

 ……でも。


「今のアタシを支えてくれている人、こんなにたくさん居るのよね」


 毎週湿布薬を買ってくれる老夫婦。定期的に傷薬を買ってくれる冒険者の人たち。お守りやアイテムを買ってくれる商人さん。

 王国錬金術師になるには、帳簿に並ぶ大勢の人たちの依頼を断らなければいけない。


「はあーあ。なんか、眠たくなってきたなぁ……」


 考えることが嫌になって、アタシは自分のベッドに寝転がる。疲れた頭が休息を欲しがったせいか、すぐに深い睡眠へと意識が落ちていく。

 一度だけシズナに呼ばれた気がするけど、答える気力すらなかった。



 思い返してみると、そもそもアタシは錬金術で何がしたかったんだっけ。錬金術を広めたかった。有名になりたかった。一人前になって、故郷へ大手を振って帰りたかった。最初は、そんな感じだった。

 でも、大きく変わった瞬間があった。ヴァリシュがアスファとの戦いで負った大怪我で、昏睡状態に陥った時だ。


「悪魔と契約だなんて……いくらアスファを倒すためだったとはいえ、なんでそんな無茶をしたんだよ」


 暗い表情でベッドの傍らに腰を下ろし、何度も問いかけるラスター。勇者の悲痛な姿に耐えられず、アタシは目をそらして部屋を出た。

 すると、意外な光景が見えたのだ。それは団長が不在であるにも関わらず、自ら考え、行動する騎士たちだった。


「ヴァリシュ様が命をかけて、この国を守ってくださったのです。いつまでも放っておくわけにはいきません」

「あの方は常にご自分が不在になった時のことを考えて、騎士団を作り変えてくれた。期待通りの……いえ、期待以上の働きで返すのが我々の役目です」

「正直に言えば心配ですし、これからのことを思うと不安で夜も眠れません。でも、だからこそ休んでなんていられません。ヴァリシュ様が安心してお戻りになれるよう、騎士としての勤めを……いえ、自分たちに出来ることを一つでも多くやっておくのです」


 ああ、そうよ。そうだわ。アタシも、騎士の皆と同じだった。

 ヴァリシュが命をかけて守ってくれたから、アタシも同じものを返そうと思った。アタシに出来る錬金術で。

 ……ううん、ちょっと違うわね。

 ヴァリシュが守ると同時に、ヴァリシュを守るこのオルディーネという優しくて温かい国を、アタシは錬金術で支えたいと思ったのだ。

 それなのに、いつの間にか助けられているのはアタシだった。騎士団、お城の人、貴族の皆、ご近所さんたち。皆に助けて貰ってばかりだ。やっと恩返し出来るようになってきたばかりなのだ、ここで投げ出すわけにはいかない。

 ……うん。答えは決まった。ごちゃごちゃとした夢から目を覚ますと、空はすっかり明るくなっていた。



「そういうわけで、王国錬金術師にはなれません! ごめんなさい!」


 数日後。アタシは再び王さまと謁見させて貰って、王国錬金術師のお話を正式にお断りした。

 言うまでもないことだが、シズナは頭が痛いと喚いて今日も留守番だ。


「依頼されたお仕事は必ずやり遂げます。五大国会議にも同行します。でも、王国錬金術師にはなりません。アタシはまだあの工房で、やらなきゃいけないことがたくさんあるんです」

「むむ、まさか断られるとは思わんかった。一体何が足りんのかのう? ある程度のものであれば、報酬として用意するつもりじゃが」


 玉座に腰掛けたまま、諦めきれないと言わんばかりにじいっと見つめてくる王さま。

 流石にうろたえてしまうものの、今日は前回とは違う。

 隣に強力な助っ人が居るのだ。


「陛下、大臣。俺が言うのもなんですが、諦めた方がいいと思いますよ。リネットの頑固さ……いや、錬金術への情熱は大悪魔を前にしても揺るぎませんから」

「うっは! さっすがヴァリシュ、よくわかってるじゃない!」


 嬉しさのあまりに、隣に居るヴァリシュの腕をバシバシと叩く。彼の助言もあって、当面の間は王国錬金術師のお話は白紙に戻ることになった。

 正直、いずれは王国錬金術師にもなってみたいから、そろそろ弟子をとることも考えておこうかしら。もしくは、ルアミ共和国から知り合いの錬金術師を呼ぶか。

 やることがどんどん増えていって大変だけど、これがアタシの選んだ道だ。後悔はない。


「はあ、仕方がないのう。ラスターはなかなか旅から帰ってこぬせいで、ヴァリシュが寂しそうじゃから一緒に住む恋人……こほん、友人が居ればと思ったのじゃが」

「……なんですと?」


 あれ、今……王様ってばとんでもない爆弾発言をしなかった?


「お言葉ですが陛下、俺はあいつが出て行ったことに清々してはいるものの寂しいと思ったことは微塵もありません。それに、リネットの夢や目標を邪魔するつもりもありません」

「え、えっと……ヴァリシュを支えるのも、アタシの目標の一つなんだけど……」


 そうだ、忘れてた! 王国錬金術師になったら、ヴァリシュと一緒にこのお城へ住めたってことじゃない!

 つまり朝でも夜でも、隙きあらばヴァリシュにアピール出来る機会を自分から投げ捨てたってこと!?


「あ、あははー……やっぱり、王国錬金術師になろうかしらー、なんて」

「こんな場所で話すことでもないがな、ヴァリシュよ。お前もいい歳なんだから、そろそろ本気で伴侶を探したらどうだ? 縁談を断り続けるこちらの身にもなれ」

「あ、あの……聞いてる? アタシの話、聞こえてます?」

「本当にこんなところで話す内容ではないですね。それにお言葉を返すようですが、偉そうに言う割には俺に直接突撃してくる令嬢が後を絶たないのですが。どこの令嬢かは伏せますが」

「知るか! そこまで面倒見きれるか!」

「アボット、ヴァリシュにはヴァリシュのペースがあるんじゃ。あんまりガミガミ言うでない」

「陛下がそうやって甘やかすからこうなったんですよ!」

「ちょっとおぉ! 誰かアタシの話も聞いてよおお!!」


 ぎゃんぎゃんと言い争い始めた三人に、全く太刀打ち出来ないまま。結局アタシの決断は覆ることなく、今まで通りの生活を続けることになってしまった。

 いいもんね別に! 一緒のお城に住めなくても、これからヴァリシュを支えまくって、頼れるパートナーだって認めて貰うもん!

 そう決意を新たに仕事に励むアタシと、巻き込まれて半べそになるシズナ。今日もそうやって、アタシの錬金術工房は忙しいのであった。


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