夢で殺したから彼はおかしくなった……ってことは、ないよな
弱虫な勇者の話①
そこに至るまでの間に、数えきれないほどの悪魔を葬ってきた。勇者という役割を誇りに思っていたし、向けられる期待には全力で答えるつもりだった。
戦うことは好きじゃないけど、大切な人たちを守るためならば仕方がない。そう割り切って、旅を続けた。
実際に悪魔の所業を目の当たりにすれば許せないと思ったし、平和を勝ち取るためなら自分が傷ついても耐えられた。
でも、これだけは駄目だ。逃げられるのなら逃げていた。むしろどうして逃げなかったのか、オレ自身でもわからない。
「お前なんか居なければ……どうしてお前は、俺の邪魔ばかりするんだ……」
違う、オレはそんなつもりじゃない! そう言いたかったのに、声が出なかった。いや、違う。
まるでオレの姿をした別人がヴァリシュを刺し殺すのを、オレは一枚のガラス越しに見ているような、そんな状況だったのだ。
※
そして、オレはベッドから飛び起きた。
「は……? ゆ、夢……なのか、今の」
悪魔王を倒すためのアイテムを全て揃え、オレは仲間たちと一緒に宿屋に泊まっていた。もうすぐ決戦だというのに、心をへし折るような悪夢に、オレは思わず吐き気を催してトイレへ駆け込む。
なんだ、今の。この旅で胸糞悪い思いをしたことはいくつもあるし、嫌な夢にうなされることだって何度もあった。でも、今日は様子が違う。
人を刺した感触。生温かい血の温度。そしてなにより、相手が向けてきた憎悪の深さ。それらが全て夢だとは思えなかった。
知らない相手だったら、まだ夢だと思えたかもしれない。ヴァリシュだったからこそ、オレはその場で動けなくなるほど怖かったのだ。
本当に、ただの夢なのか。ふらつきながらも約束の場所で合流するオレに、仲間たちは思うことがあったらしい。
「ラスターくん、今日から明後日までの三日間はお休みにしない? 皆それぞれ会いたい人が居るだろうし、準備も各自でやってもらった方がいいんじゃないかなって」
リアーヌの申し出には全員が同意した。オレは皆を送り届けた後、オリンドの地図ですぐさまオルディーネ王国に帰り、親友を探した。
確かめたかった。あの夢は、ただの悪夢だったのだと。
「ヴァリシュ!」
でも、不安は募るばかりである。彼がどこにも居ないのだ。彼の部屋、食堂、謁見の間。
あの水色の髪は目立つから、絶対に見逃す筈はないのに。
「ラスター様、どうされたんですか?」
「お前は……えーっと、アレンスだったな。ヴァリシュがどこに居るか知らないか?」
怪訝そうな様子で声をかけてきたのは、騎士のアレンスだった。騎士団長とはいえ、最近のヴァリシュの勤務態度は悪く、騎士の仕事などしていないと思っていた。
だからダメ元で聞いてみるも、彼の居場所はあっさりとわかった。
「ヴァリシュ様でしたら、孤児院に行きましたよ」
「……は? 孤児院?」
意外すぎて、聞き間違いかと思った。アレンスはええと頷いた。
「マリアンという女性の騎士を覚えておりますか?」
「あ、ああ。ちょっと、やらかしがちな子だったっけ」
「そうです。そのマリアンがまたやらかしまして……いえ、最近はヴァリシュ様のおかげで結構マシになっていたのですが。その処分として、孤児院へ社会奉仕活動をすると」
……意味がわからない。いや、アレンスの言ってる意味はわかる。でも、なぜそれをヴァリシュが?
わからないことだらけなので、とりあえずオレもヴァリシュたちを追うために孤児院へと向かう。
そして、見てしまった。
「……あれ? お前……ヴァリシュ、だよな」
オレは時々孤児院に遊びに行くから、この辺りは慣れたものだが。いつもならば閑散とした路地裏から、何やら争う声が聞こえる。
そちらへ向かってみたら、見慣れた水色の髪を見つけた。ほっとするのも束の間で、その光景を見た途端にオレの思考はピタッと停止した。
「……ラスター」
疲れきった目で、ヴァリシュがオレを見てくる。彼は昔から何かといらないケンカを売ったり買ったりしがちだったけど。基本的には人間嫌いの潔癖。
だから友人と呼べるような存在は、オレ以外に居なかった筈なのだが。
「うげげ、勇者じゃないですか」
「あ、ラスター様。お久しぶりです、お元気そうですね」
「あー!! このドケチ貧乏勇者! どのツラ下げてアタシの前に来たわけ⁉」
久しぶりに会った親友は、なぜか人に……ていうか女子に囲まれていた。
※
オレにとってヴァリシュという男は、友人であると同時に兄弟のような、とにかく言葉では表現できないくらいかけがえのない存在だ。
今でこそ勇者として世界を旅して、人々に希望を与える存在となったオレだが。子供の頃は人見知りが激しい内気な性格だった。
両親を失い、孤児院で暮らすことになった頃は特にひどかった。周りとなかなか馴染めなくて、食事も喉を通らなくて、ずっと部屋の隅で泣いていたのを覚えている。
でも、そんなオレに歩み寄ってきた少年が一人だけ居た。
「そのデカい図体でメソメソ泣くな、鬱陶しい!」
「痛ぁ!?」
さらさらと揺れる鮮やかな水色の髪に、線の細い顔立ちからは全く想像出来なかった暴力行為。ゲシゲシと蹴られるオレに、エマさんや子供たちが慌てて駆け寄って来てくれたのを覚えている。
いや、確かにオレは子供の頃から身体が大きい方だったけど。だからと言って蹴られる理由にはならないだろうに。未だに腑に落ちないが、なんにせよそれがヴァリシュと仲良くなるきっかけだった。
ヴァリシュは凄い。オレでは思いつかないことを考えて、涼しい顔で大それたことをやっている。彼はいつでもオレの前を歩いていたのだ。
それなのに、いつしか彼は変わった。オレを避けるようになった。どうしてそうなってしまったのかはわからない。最初は泣きそうだったけど、仲間たちが支えてくれたおかげで吹っ切れた。
悪魔王を倒せば、きっとヴァリシュもオレのことを認めてくれる。そう信じて、今まで頑張ってきた。
でも、オレは夢の中でヴァリシュを殺した。悪魔と契約を交わし、オレを殺すためだけに力を得た彼を、オレは勇者の剣で刺し殺した。
あの憎しみを、夢の中のオレは見て見ぬふりをした。それが何よりも許せなくて。どれだけ汚い言葉を浴びせられても、蹴られても、殺されそうになってもヴァリシュと向き合おうと思ったのに。
今、オレは湯気をほかほかと立てるとても美味しそうな朝食と向き合っていた。
「まさか、本当に朝食を作ってくれるなんて……夢か? 今度はいい夢か?」
「作れ、と行ったのはお前だろうが」
オルディーネに帰ってきた、次の日。ヴァリシュと話をするために、早朝にダメ元で突撃して朝食を強請ってみたのだが。意外と素直に用意してくれた。
しかも、極東の島国料理。前まではシンプルな味付けや地味な見た目が気に入らない、なんて言っていたのに。なぜだかすっかりハマってしまっているようだ。
味に関しては言うまでもない。他愛のない会話をしながら、おかわり三杯分までじっくり堪能した。実を言うとあと二杯食べたかった。
「そ、そういえばラスター。お前の仲間達はどうしたんだ? 昨日から姿が見えないようだが」
「ん? ああ、ヴァリシュには言ってなかったな。オレ達さー、やっと悪魔王が居る城の結界を破る方法を見つけたんだよ」
満腹ですっかり気を抜いてしまっていたオレは、ヴァリシュの問いかけに正直に答えた。別に陛下や他の皆にも話していたことだし、特に秘密にするようなものでもない。
せいぜい、「こんな場所で油売ってないで、とっとと役目を果たしに行け」と尻を蹴られるくらいだと思ったが。
「勝った!」
「え、何にだ?」
拳を固く握り締めるヴァリシュ。突然、しかも謎すぎる挙動に忘れていた不安が蘇る。
勝った、とは一体何のことだ? 今の状況からして、戦いはまだ終わっていないのに。胸をざわつかせる焦りを必死に隠していると、ヴァリシュは得意げに髪を払いながら言った。
「ふっ、運命に……だ」
……何を言ってるんだろう、こいつは。
いや、考えろオレ。運命に勝った……つまり、勇者が勝つという運命に勝ったということか? それは言い換えれば、オレが負けることを確信したということだ。
しかも、ヴァリシュは嬉しそうにニンマリと笑っている。オレが負けて嬉しいということは……まさか、すでに彼は夢と同じように悪魔と契約をしてしまったのか?
探りを入れるために、適当な話題を振ってみる。
「運命ねえ……ていうかヴァリシュ、お前ちょっと変わったな」
「む、そうか?」
「無愛想なのは変わらねぇけど。なんか、雰囲気がさ。ていうか、お前がこんなペットを飼うのすらオレからすると意外なんだけど――」
なんとなく卓の上で葡萄を突っついていた黒い鳩に手を伸ばした、その瞬間。ギロリと冷たい視線に、呼吸さえ忘れた。
それはほんの一瞬、ヴァリシュでさえ気がつかないほどの研ぎ澄まされた敵意。隠そうとも、取り繕うともしない意志に、愕然とした。
……こいつだ。
こいつが、ヴァリシュを貶める悪魔だ。
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