三話 亡国を襲った悲劇と、俺を襲う黒い食欲の化身

 ……なんだ、それ。


「今から七十年ほど前のことです。この神殿に、一人の女性がいらっしゃいました。涼やかな水色の髪をした美しい方でした。彼女はオリヴィエ様。あなたと同じリーリスを継ぐ者でした」


 ホレス大神官が静かに話し始めた。彼の話によると、オリヴィエは一人でこの大神殿に訪れたそうだ。

 膨らんだお腹を抱え、たった一人で。


「……まさか、その人がヴァリシュの母親だとでも?」

「いいえ。ヴァリシュ様の年齢から見て、おばあさまかと。オリヴィエ様はここに一年ほどいらっしゃったのですが、ある日生まれたばかりの子供を抱えて居なくなってしまったのです」

「わしは覚えておりますぞ。まだ十歳になったばかりの小僧でしたが。赤子を抱えて微笑むオリヴィエ様は、まさに聖母でした」


 デイルが狂気的な笑みで語り始める。


「オリヴィエ様は語ってくださいました。スティリナの歴史を。そして、勇者が引き起こした悲劇を」

「何?」

「スティリナは、勇者に滅ぼされたのです。悪魔の味方だという汚名を着せられて!」


 突如名指しされたラスターが肩を震わせる。

 でも、違う。ラスターは確かに勇者だが、デイルが示す者とは別人だ。


「勇者とは、人間が悪魔に対抗すべく神が作った仕組みであることはご存知だと思います。ですので、スティリナを滅ぼしたのはそこの若造ではなく、先代の勇者ではあるのでしょうが。オリヴィエ様は戦禍に飲まれた国から、たった一人で逃げ出したのです。そして、次の勇者に見つからないように逃げ続け、なんとか血を後世に繋いだ」

「ま、待てよ! 勇者は悪魔を打ち倒す者であって、人間の国を滅ぼしたりなんか――」

「先代の勇者トビアスは、魔法を使えるスティリナ国の人を人間だとは思わなかった。そういうことですね?」


 困惑するラスターを遮ったのは、リアーヌだった。冷静を装ってはいるが、口調から内心で憤っているのが伝わってくる。


「そうです。元より、スティリナ国の人々は他国との関わりを断っていました。常に雪が吹き荒ぶ山の上という土地柄も理由の一つではありますが、魔法の力を悪用しないように。悪用されないように。それが、先代勇者の目には悪魔のように見えていたのだろうと、オリヴィエ様は涙を堪えながら話してくださいました」

「勇者トビアス、そしてその仲間たちは旅の途中で行方知れずになっています。まさか、スティリナで――」

「あ、ありえない! そんなこと、絶対に!! だって、勇者は正義のために剣を振るうのであって、そんな……」


 ラスターが声を荒げるも、俺を見て言葉を詰まらせる。彼としては、自分と同じ使命を背負った勇者が人間の国を滅ぼしたことが信じられないのだろう。

 でも、それは俺がラスターと一緒に生まれ育ったからだ。


「……わたしにはわかるよ。人間という生き物は、たとえ自分と同じ姿をしていても、自分と違う力を持っている存在を人とは思えないものだから」

「リアーヌ……」


 リアーヌが膝の上で拳を握り締める。彼女も悪魔の血を引くせいで、差別を受けた身の上なのだ。

 だからこそ、俺の味方だと念を押したのか。


「ヴァリシュ様、あなたが魔法を使えるようになった経緯は、事前に二人から聞いております。オルディーネ国を襲った大悪魔アスファを倒すために、左目を犠牲に悪魔との契約に応じたのだとか」

「……ああ」

「お労しいことですが、その契約のおかげであなたはスティリナの血族としての本来の姿を取り戻したのです。オリヴィエ様、そしてその子供たちがどのような生き方をしたのかはわかりませんが、代を重ねていくにつれてスティリナの血が薄まり、魔力を失ったのでしょう。しかし、あなたは再び魔力を得た」

「ヴァリシュが妙に器用な魔法を使えるのは、スティリナの血を引いていたからってことか」


 ホレス大神官の話に、ラスターが勝手に納得している。俺が口を出さなくとも、話は進んでいく。口を出す気力も、俺にはなかった。

 ……頭が、痛い。


「そう……つまりは、ヴァリシュ様こそがスティリナの王! 勇者に滅ぼされたあの国を継ぐ者なのです! スティリナにはリーリスしか扱えない魔法兵器があると、オリヴィエ様が仰っておりました。ヴァリシュ様、それを探し出すのです!」

「か、勝手なことを言うな!! ヴァリシュはオルディーネの騎士団長で、命懸けで国を護ってくれた英雄で、オレの大事な親友だ。おかしな国の王様なんかじゃねぇ! 大体、そんな兵器を探してどうしろって言うんだ!?」

「知れたこと。優れた武力と、王の血が残っていれば国の再建は可能だろう?」

「そんなの、悪魔と同じだ! 力で人を征服しようだなんて! そうだろ、ヴァリシュ!?」


 ラスターが同意を求めようと、俺を見る。いや、彼だけじゃない。この場に居る全員が、俺を見ていた。

 そして、俺の異変に気がついた。


「ヴァリシュくん、大丈夫? 頭が痛いの?」

「どうされました、リーリス!? 具合が悪いのですか?」

「くそ、やっぱりこんな場所に来るんじゃなかった。立てるか、ヴァリシュ?」


 舌打ちをしながら、ラスターが俺の手を掴んだ。相当苛立っているのか、立ち上がらせようと引っ張る手に容赦がない。


 ――だから反射的に、俺はラスターの手を振り払った。


「触るな、ラスター」

「え……ヴァリシュ、どうしたんだよ?」

「ヴァリシュくん……」


 大して痛くもないくせに、傷ついた表情のラスターと驚いた様子のリアーヌ。なんだ、どうしてそんな顔をするんだ。

 ……いや、二人は悪くない。それはわかっている。

 でも、もう限界だ。


「……気分が悪い。しばらく一人にさせてくれ」


 吐き捨てるように言って、俺は一人で部屋から出た。誰かに呼び止められたが、聞き入れる余裕すらなかった。

 頭が割れるように痛い上に、腹の底から湧き上がるどす黒い感情。真っ直ぐに歩くことすらままならない。

 周りには誰も居ない。ふらつきながら何とか中庭まで歩くと、適当なベンチに崩れるように腰を下ろす。


「俺が、あの国の王……? なんだ、それ。そんな馬鹿なことが、あるわけが」


 ない、とは言い切れなかった。俺の中にある一番最初の記憶は、オルディーネ王国の孤児院だ。あの孤児院に居るのは、オルディーネ出身の子供だけじゃない。

 旅の途中で行き場を失った行商人の子や、何らかの理由で他国から逃げ延びた子だって居る。

 デイルの言う通り、オリヴィエや彼女の子供……リーリスを継ぐ者が俺を生んで、最終的にオルディーネで力尽きたのだとしたら。顔も覚えていない両親が汚名を着せられて、国を滅ぼされ、勇者から逃げ続け俺の知らないところで破滅していたということか。


 ……勇者という存在は、俺からどれだけのものを奪えば気が済むんだ?


 そして、デイルは言っていた。


「魔法兵器……それがあれば、目にものを見せられるかもしれないな。勇者にも、スティリナの悲劇を知らずに今ものうのうと生きている愚かな人間達にも!!」


 どす黒い感情に、理性が塗り潰されていく。そうだ、力さえあれば報復なんて容易い。

 勇者を倒し、世界中にスティリナの存在を知らしめる。

 両親や犠牲になった国民のために、最後のリーリスである俺が――


「ヴァリシュさーん! 探しましたよぉ!!」

「……は? お、お前、なんでここに――ぐはぁ!?」

「ふえーん! お腹が空きましたー!! ひもじいですー! 神殿の外の町で、美味しそうな揚げパン屋さんありましたよね!? 奢ってくださいいぃ!」


 

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