二話 なんだかとてつもなく嫌な予感がする

 通されたのは大神殿の奥。普段は神官の中でも位の高い者しか入ることが出来ない、神殿図書館だった。

 蔵書量としてはそこまで多くはない。しかし、ここにある書物はどれもが古く、中には棚と鎖で繋がれているものまである。チェインドライブラリーというのだったか。


 ……鎖で繋がれる本だなんて、書かれている内容は一体どういうものなんだろう。気になる。


「ヴァリシュ、勝手に読んじゃダメだぞ」

「そんな行儀の悪いことをすると思うか?」

「本当かなぁ? ヴァリシュくんって意外と好奇心旺盛だもんねー」


 先を行くラスターとリアーヌにからかわれる。なんて失礼なやつらだ。確かに気にはなっているが、流石に許可なく触らない程度の常識と理性はある。多分。

 何か言い返そうと思うも、先に知らない声が俺を呼んだ。


「お待ちしておりました。あなたがヴァリシュ様でいらっしゃいますね?」


 おもむろに俺を呼んだのは、奥のソファ席に腰かけていた男性だった。年齢は四十代後半くらいで、ひょろりと細い体躯。面長の顔は温かみのある笑顔がよく似合う。

 ホレス大神官。勇者、聖女の二人を除き、神にもっとも近い場所に居る存在。時には一国の王と同じか、それ以上の権力を持つ時代もあったとか。

 とりあえず、彼はゲームでもかなりの重要人物なので記憶に残っているのだが。


「お、おお……まさか、こんなにも。まるで『オリヴィエ様』の生き写しのようじゃ」

「え?」

「おい、オレの親友に勝手に触らないでくれ」


 ホレス大神官の隣に居る老人は、見覚えがない。伸ばされた枯れ枝のような手に、ラスターが俺を庇うように身体を割り込ませる。

 同時に、ホレス大神官が慌てて老人を落ち着かせるように軽く腕を引いて、座り直させる。


「も、申し訳ない。わたしはこのノーヴェ大神殿の長、ホレスです。こちらはデイル、わたしの父です。スティリナの件につきまして、どうしてもヴァリシュ様と直接お話がしたいと申しており、同席させているのです」

「息子に大神官の任を譲ってからは、ただ神に祈るばかりの日々でした。世界の平穏を護ってくださるよう、そしてスティリナの悲しみを少しでも癒やしてくださるように……しかし、神は癒やし以上の贈り物をくださったのです。あまりの歓喜に、我を見失いかけました。ご無礼をお許しください、

「ああ、気にしなくて……あ、れ」


 いい。そう言いかけて、俺は思わず口元を押さえた。今、どうして俺は反応したんだ? 

 俺とデイルの間にはラスターが居る。単純に身分だけで考えると、俺は勇者ラスターや聖女リアーヌよりも低い。いや、この場に居る人間の中では一番低い。

 だから、デイルが謝罪するならまずラスターやリアーヌになるだろう。そもそも、デイルは俺の名前を一度も呼んでいない。

 それなのに、なぜ『リーリス』という単語が俺のことだと思ってしまったのだろう。ラスターも信じられないものを見るような目を、俺に向けてくる。


「ヴァリシュ、お前なんで……」

「いや、今のは」

「とにかく皆さん、一旦落ち着きましょう」

「そうですね。座ろ、ヴァリシュくん」


 リアーヌに腕を引かれて、向かい合わせに置かれたソファへ腰を下ろした。他に下働きは居ないようで、ホレス大神官が自らお茶を淹れ始めた。

 ラスターだけは警戒してか、ソファや椅子には座らずに傍の柱に背中を預けてデイルを睨んでいる。

 勇者に睨まれるだなんて、俺でも恐ろしいのに。デイルは見向きもしない。ていうか俺しか見ていない。

 ……今までにも侮蔑、嫉妬、同情、度が過ぎた尊敬などなど色々な視線を浴びてきたが。こんなにも狂気的なものは初めてだ。


「さて、大神官さんよ。ヴァリシュを連れてきたら、スティリナの秘密を話してくれるって約束だったよな?」

「はあ……これだから勇者は。スティリナの犠牲の上に立ち、神の慈悲で生きてこれたようなものなのに。横暴な男だ。そこの聖女殿は、少しは自分の立場を弁えたようだが」

「なんだとこのジジイ! スティリナのことがなければ、オレはこんな場所には二度と来たくなかったんだ!!」

「お、落ちついてラスターくん!」

「父さん、もうその話はいいだろう」


 今にも取っ組み合いになりそうな二人を、俺が止めるよりも先にリアーヌとホレス大神官が止める。基本的に人当たりのいいラスターが、ここまで誰かに対して嫌悪感を露わにするのは珍しい。

 だが、無理もない。ここではリアーヌがひどい目にあった。それはもう罪人のように、悪魔の血を引くというだけで処刑寸前にまで追い込まれたのだ。

 俺の記憶では、ホレス大神官自身が率先して事を動かしていたが。この様子だと、デイルこそが首謀者だったのだろう。


「まず、わたしの方からお見せしたいものがあります。こちらの小箱です。これは今から七十年程前に、スティリナに縁のある方が残していったものです」


 そう言って、ホレス大神官が取り出したのは小さな小箱だった。銀色の金属で出来ており、何やら複雑な模様が描かれている。


「ラスター様、開けてみてくださいませんか?」

「オレが?」

「ええ。中にはスティリナの秘密を明らかにする鍵が入っているそうなのですが……鍵がないにも関わらず、今まで誰も開けられたことがないのです」


 ラスターがホレス大神官から小箱を受け取り、蓋を開けようと指に力を込めた。

 しかし、小箱はびくともしない。


「うぐぐ……な、なんだこの箱。びくともしないぞ」

「やはり、力づくでは駄目なようですね。これまで何度も開けてみようと試みたのですが、どうやら鍵ではなく特殊な細工がしてあるようなのです」

「その箱の模様、スティリナ神殿の天井と似てるね。ヴァリシュくん、試してみたら?」

「俺が?」

「そうだな。ヴァリシュ、頼んだ」


 あっさり諦めたラスターが、弧を描くようにして俺に小箱を投げ渡してきた。リアーヌが言うように、確かに天井の模様と似ている。

 ……ということは、また謎解きか?


「あ、ヴァリシュくんが持ったら蓋の真ん中が光ったよ!」

「本当だ。ということは、この小箱も魔力で仕掛けがされてるのか」


 リアーヌとラスターが俺の両脇に寄ってきて、手元を覗き込んでくる。確かに、指先から魔力が吸い取られるような感覚があった。

 仄かに光を放つ部分を見つめる。魔力を帯びたことで数字が浮き上がり、ダイヤル錠のように上下をスライドして数字を変えられるようだ。

 あとは簡単だった。小箱の底に刻まれた妙な模様は数字の鏡文字。それを入力すれば、小箱はあっさり開いた。


「開いた! ヴァリシュくん凄い!」

「ふっ、この程度はゲーマーなら常識だ」

「げーまー? また変なこと言い出したな。で、何が入ってるんだ?」

「……指輪、だな」


 小箱の中身は指輪だった。それも、大粒の水色の宝石を抱いた結構ゴツい指輪だ。

 これが、鍵? セレブが権力を誇示するために指にジャラジャラ付けてる悪趣味な代物にしか見えないが。


「おお、おおお……! その箱を開けるとは、やはりヴァリシュ様。あなたこそがリーリスですぞ!」

「……大神官さん。さっきからそこのジジイが繰り返しているリーリス、っていうのは何なんだ?」


 ラスターがデイルを睨みつつ、ホレス大神官にたずねる。


「スティリナでは我々とは異なり、個人の名前に名字を付けません。代わりに、名前の後に役職を付けて呼ぶのです」

「役職って?」

「たとえば、スティリナにはかつてティキスという農村がありました。そこの村長の名前をトムとしますと、トム・エクサ・ティキスとなります。エクサがスティリナで村長を表す単語で、この場合はティキス村の村長のトムという意味です」


 ホレス大神官の説明に、ラスターが理解出来ないと言わんばかりに首を傾げた。

 気持ちはわかる。国によって文化は大きく異なるが、この世界では名前と名字で個人を表すのが普通だからだ。俺も深く考えるとこんがらがりそうだ。

 あれだ。レオナルド・ダ・ヴィンチは『ヴィンチ村のレオナルド』という意味だったらしいし、そんな感じのしきたりだと思うことにしよう。

 

「あの、それではリーリスという単語はどういう意味なんですか?」

「リーリスは王という意味です。リーリス・スティリナでスティリナの王、となります」

「リーリス・スティリナ……あれ、その言葉どこかで聞いたような」

「ラスターくん、スティリナ神殿の鎧さんだよ!」


 ラスターとリアーヌが顔を見合わせる。俺も多分、二人と同じ答えに至った。

 いや……多分、その先まで行き着いてしまっている。思わず頭を抱えるも、ホレス大神官は構わずダメ押しと言わんばかりに宣言した。


「鎧……おそらくは『番人』のことだと思いますが。ヴァリシュ様、あなたは番人にこう呼ばれたのでしょう。ヴァリシュ・リーリス・スティリナと。彼が呼んだのなら間違いないヴァリシュ様、あなたこそがスティリナ王族の末裔なのです」

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