第十一章

新たな闇落ちフラグが建設されました

一話 ちなみに服は透けない。そういう機能はない。

 ノーヴェ大神殿。現存する中では、この世界で最大規模の神殿である。

 歴史も古く、元々は小さな神殿であったが、近隣の村や町、そして国が悪魔の襲撃で滅ぶ度に難民を受け入れていた為に発展したのだという。

 ……まあ、目の前に聳え立つ大神殿の荘厳さには素直に感動したが。


「おーいヴァリシュ、いつまでいじけてるんだよ。終わったことをいつまでも気にすんなって」

「いじけてなどいない。お前と一緒にするな」

「ひど!」


 テンションだだ下がりの俺に対して、ラスターがわざとらしいまでにはしゃいでいる。

 はー、殴りたい。


「入団試験も終わって、これから本格的に見習いを鍛えていかなければならない時期だというのに。二週間も休むだなんて……うう、胃が痛い」

「帰りたい時には一瞬で帰れるんだからいいだろ? それに、騎士団の皆だって言ってただろ? お前働きすぎだから、思う存分息抜きしてこいって」

「今度のお休みは、ちゃんと王様にも許可をとったから大丈夫だよー。バカンスだと思って、楽しもうよ!」


 脳天気なラスターとリアーヌには、もう何度目かわからない溜め息を吐くしかない。いや、確かに働きすぎた自覚はちょっとある。

 でも、今では騎士団に居る方が落ち着くというか。楽しいというか。未だに抜けない悪しき元日本人の社畜魂のせいというか。

 とにかく、居心地が悪い。それも二週間もだなんて。ちなみに期間を決めたのはラスターである。


「……息抜きが出来るような場所ではないと思うが。なんで俺はここに連れて来られたんだ?」


 改めて、大神殿を見上げる。リアーヌはバカンスと言ったが、下町ならばまだしも、大神殿自体はどうやってもバカンス出来るような場所ではない。

 三人で神殿の中へ向かう途中も、すれ違うのは神官や修行者のような出で立ちの者ばかりだ。

 居心地が悪い。場違いでしかない雰囲気に、無意識に頭上に話しかけそうになってしまう。

 しかし、今日は頭が軽い。


「……外では詳しく言えないんだけど。ここの大神官様が、ヴァリシュくんの素性を知ってるかもしれないって言ってたの」

「俺の? 暇そうな勇者じゃあるまいし、何で俺の素性がこんな離れた神殿の大神官殿に知られているんだ?」

「失礼な! これでもオレ、結構何かと忙しいし!」

「ラスターくん、声大きいよ!」


 わんわんと響くラスターの声に、リアーヌが慌てて指を唇の前に立てる。はっ、と口を押さえたラスターが周りを見回すと、今度は人目を気にするようにこそこそと話しかけてきた。


「あのなヴァリシュ。オレたちが思っている以上に、スティリナ神殿のことは根が深い問題だったんだ」

「根が深い?」

「そう。下手したら、国と国同士の争いになるかもしれないくらいにな」


 そんな話をしながら、ラスター達に案内されたのは神殿の中心にある巨大な劇場であった。歴史を感じさせるステージから、迫力のある讃美歌が聞こえてくる。

 ノーヴェ大神殿では、週に三回ほど礼拝の式典が行われる。今日は残念ながらないようだが、四十人程の合唱団が練習で歌っているようだ。

 練習でもこの迫力なら、式典ではどれ程のものになるのだろう。


「ヴァリシュくん、こっちこっち」

「こっちって……バルコニー席じゃないのか?」


 リアーヌに促されるまま、脇の階段を昇りバルコニー席へと向かう。この劇場は二階の部分に個室型のバルコニー席がいくつか設けられている。

 華美ではないが、上質な椅子にサイドテーブルまでついている。完全にVIPの席だ。


「大丈夫、今日は一日空いてるから。それに、オルディーネ王国の騎士団長様なら、いつ来てもここに通されると思うよ?」

「そ、そうなのか」

「リアーヌ。オレ、大神官様に伝えてくるから。ヴァリシュとここで待っててくれ」

「はーい、待ってまーす」


 ラスターが足早に来た方向へと戻って行った。大神官は式典以外で表に出てくることは滅多にない。多忙ということもあるが、大神殿には騎士団のような自衛組織が存在しないため、正式な手続き意外の面会は制限されているのだ。

 ここなら待ち時間も人目を気にする必要はないから、彼らの機転は嬉しいものだ。


「ねえ見てヴァリシュくん、ここにも鏡があるんだよ」

「鏡……もしかして、天使の鏡か?」

「そう。錬金術で作られたものじゃなくて、純正品なんだ」


 壁にかかった鏡を指差してから、リアーヌが前髪を整える。そう言えば、今ではリネットのおかげで雑貨屋にまで売られるようになった天使の鏡も、元はと言えばノーヴェ大神殿でしか作られない貴重なものだったのだ。

 騎士団がない代わりに、天使の鏡がいたる所に設置されている。おかげで、いつもしつこく付き纏ってくる黒い鳩はオルディーネ王国で留守番である。


「ねえねえ、フィアちゃんが居なくて寂しい?」

「いや、全然。むしろ頭が軽くて快適だ」

「本当にー? あ、ヴァリシュくんも鏡見る?」


 リアーヌが下がって、俺を鏡の前に立つよう促した。映る者の真実の姿を暴く天使の鏡。だが、普通の人間からすれば、ただの鏡だ。

 これから大神官に会うのだから、身嗜みくらいは整えておこう。そう思って、俺も鏡の前に立った。


 そして鏡を覗き込んだ時、不覚にも驚きの余りに息が詰まった。


「がおー! 悪魔だぞー、食べちゃうぞー!」

「……何をやっているんだ、リアーヌ」

「えっへへ、驚いた?」


 背後から俺の肩を掴み、横から顔を覗かせてリアーヌがころころと笑った。鏡の中の彼女も笑っている。

 だが、鏡の中に居るリアーヌは、後ろに居る彼女とは違う姿をしていた。

 翼を持たない異形の悪魔、嫉妬のルインがそこに居たのだ。


「ああ、驚いた。ルインかと思った」

「あれ、ヴァリシュくんってルインと会ったことないって言ってたような」

「あ、いや……きみの双子の姉なら、きっとこんな感じなのだろうと思って」

「ふうん、そうなんだ。ね、ラスターくんが来るまでちょっとお話しよう」


 苦しい言い訳だったが、リアーヌは納得したらしい。満足げに笑いながら椅子に座ると、俺にも隣に座るよう言った。

 俺はもう一度鏡を見る。眼帯をしているにも関わらず、フィアとの契約の証が刻まれた左目が晒されている顔を。

 オルディーネ騎士団長の鎧はそのままなのに、器用なものだ。隠したいことだけを暴く鏡から離れ、彼女の隣の席へ座った。


「わたしね、初めてこの神殿に来た時に神殿の人に捕まったの。悪魔が居る、聖女の名を語る化物だって。ラスターくんや皆が頑張ってくれたから、助かったんだけどね」

「そういえば……い、いや、そうだったのか」


 言われてみれば、ゲームにそういうイベントがあった。その出来事でどうして彼女が魔法を使えるのか、という疑問が浮き彫りになるのだ。

 神の加護を受けたから、ではない。彼女が悪魔の血を引くからだ。精神的に厳しいイベントだが、ラスターや仲間達との絆が深まったきっかけでもある。


「わたしの本当の姿を見せたの、ラスターくん達以外ではヴァリシュくんだけなんだ。びっくりしたでしょ?」

「少しだけな」

「怖い?」

「フィアに比べれば可愛いものだ」

「あ、それ後でフィアちゃんに教えちゃおうっと」


 軽口を叩き合って、笑う。こうして笑えるようになったということは、彼女は乗り越えたのだろう。

 ルインのこと、そして自分のことを。のほほんとしているようで、強い女性だ。


「わたしね、ラスターくんのこと好きなんだ」


 かと思っていたら、急に惚気けられた。


「……ショック?」

「ああ、ラスターにはもったいない。乗り換えるなら今の内だが、どうする?」

「ヴァリシュくんがそういうこと言うと、冗談でも勘違いしちゃいそうだよ」


 でもね、とリアーヌは続ける。


「わたし、ヴァリシュくんのことも好きだよ」

「ありがとう。俺もリアーヌのことが好きだぞ、友達として」

「あ、先手打たれた。悔しい。でもね、わたしの好きは友達の意味だけじゃないよ。多分、一番きみと立場が近いから。理解者って言った方が近いかな?」


 リアーヌの目が、俺を射貫くように真っ直ぐに見つめてくる。


「だからわたし、いざという時はヴァリシュくんの味方をするよ。ラスターくんの敵になってでもね」

「……どういう、意味だ?」


 ステージでは俺達の存在に気がついていないのか、練習が続いている。神に捧げられる筈の歌は果たして、ちゃんと神に届いているのだろうか。

 それとも、聖女リアーヌの暴言諸共聞こえていないのだろうか。


「だって、ラスターくんは勇者で、だから。どんなに嫌でも、苦しくても、そうじゃない側の人や、悪魔の味方にはなれない人だもの」

「リアーヌ、きみの言っていることがよくわからない。一体どういう――」

「おーい、二人共。大神官様がすぐ来て欲しいってさ」

「はーい、今行きまーす。行こう、ヴァリシュくん」


 呼びに来たラスターに遮られ、俺はそれ以上リアーヌから話を聞くことは出来なかった。

 リアーヌの言いたいことは何なのか。彼女が言う、『そうじゃない側の人』とは一体。

 わけがわからないことばかりだが、今は二人について大神官に会うしかなかった。

 

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